『長江哀歌』
『長江哀歌(エレジー)』。前回のベネチアで、カトリーヌ・ドプーヴも絶賛した、中国映画の気鋭、ジャ・ジャンクーの最新作だ。
彼の出世作『プラットホーム』は、長尺で、淡々としてかなり退屈なのに、なぜか深い余韻がある忘れがたい作品だった。近代化に伴い激変する中国の時代の空気と、翻弄されながらも生きる若者たちを切り取り、ぼくも共に、その現場で、目撃者の一員になった気分にさせられる1本。でも、この人の映画を観ると、やはり映画館で観なくちゃーと思う。他に目移りしない状況で、長尺の映像に身を委ねて観る。静かな、繊細な映画はダメという人には、あまり勧めできないけどね。
古来からの李白や杜甫の漢詩に、山水画さながらの光景が広がる。そして、三国志のふるさとでもある、長江・三峡。孫文以来、近代中国の壮大な悲願のひとつ、この長江に建設中の三峡ダムだ。一つのダムで、日本中の総貯蓄量の二倍になるとも言われている大国家ブロジェクト。そのために、二千年もの歴史がある古都奉節(フォンジュ)が、水没していく。ここで暮らす、130万人もの人が移住を迫られる。ちょうど京都市一つが完全に水没するようなものだが、この大陸的スケールはピンとこないが、さすがに万里の長城を作るお国柄である。
二千年もの長きの間の歴史的遺産、さまざまな人々の喜びと哀しみ、そして生死の上に営々と築かれてきたすべてが、わずか2年で完全に終焉を迎える運命にある古都が、物語の舞台である。
まさに、急激な近代化が進む中国の象徴だ。去る人があれば、来る人もある。物が動くところに、金も、人も集まる。まんまと成り上がるものあれば、取り残されるものもある。成功を夢みながらあっけなく命を終える名もなき庶民たち。
16年ぶりに、逃げた妻と子供を探し、もう一度やり直したいと願う炭鉱夫。
2年間音信不通の出稼ぎにきた夫を探し、愛を取り戻そうとする妻。
二つの物語は、小さくからまりあいながらも、淡々としたペースで綴られていく。
悠久の流れ長江のように、歴史的大事業の下でも、名もなき小さな人々の日々のささやかな営みが、ときにたくましく、ときにあまりにも脆く、これまでも、そしてこれらかも脈々と移ろいつづけるのである。
その美しい長江の流れと、中国の近代化を切り取ったようなリアリテイーある映像の対比。
現実と虚実との境界がないかように、超常的な違和感ある映像が挿入される。UFOを静かに見つめる女。廃墟ビルがロケットとなり飛び、男の横で正装した京劇役者が黙々と食事している。長江の風景を眺めるように、廃墟ビルの間を綱渡りする男を静かに眺めている主人公…。
何気なく映し出される静物の趣と、おとこたちの肉体。
「烟」「酒」「茶」「飴」などのキーワードひとつ、ひとつ。
長江の悠久の流れと、哀愁漂う懐かしい音楽。
アジア的な多湿で、どんよりしたと曇り空のような映像。
変わらないものと、変わるもの。
しかし、単なる二項対立ではない、深みのある、静かな余韻が残った。
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