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「心身の革命~他力信仰の極致~」

 今月の伝道研究会から、羽栗行道先生の「心身の革命~他力信仰の極致~」を読むことになった。今回は、ほんとうに序論的入り口の10頁だけ。でも、ここだけ読んだだけでも、先生ご自身が体験的に浄土真宗を聞き開かれていたこと。そして、実践的な、生きた教化活動をされておられたことが、わかる。仏智に照らされた自分を知ることがない限り、獲信はないのだというところに、焦点を充ておられるのが、よくうかがえるのである。

 仏教は転迷開悟の教えだ。迷いの中の人が、迷いの頭で聴いても、世界、境涯の性あるのでけっしてわかることない。だからこそ、真の善知識(信仰の体験者)に付いて聴かねば、何座、何十年重ねても聞き開くことができない。知識の仕事は、まず、その人の迷い凡夫、悪業の物柄を知らすことに、骨をおってくださるのである。その真の自己に目覚めさせられてこそ、長い長いまよいの夢が覚め、永劫はじめて、弥陀の本願、無条件の救済が、私一人のためであったことに大信心に安住することができるというのある。

 まったくもってそのとおりだ。今年の仏の子供大会のテーマもそうであるが、まず迷いの自分を知らせていただくのである。

 1)自分で知る自分 2)他人を通して知る自分、それだけでは今生事だ。 3)仏様の仏智によって知らされる(照らされる)自分を教えていただく。ここを聞かせていただくことが、聞法の真骨頂である。

 アメリカの同行、高山支部の多数の華光同人、そして京都で直接ご教化にあった方々と、羽栗先生と華光のご縁は、とても深いものがある。『子どもの聖典』の「本能心と教養心」や「罪悪のめあて」などは、先生のこの書から引用されたものである。

 これから、きわめて具体的で、それぞれの根機にあった罪悪の見つめ方が微に入り細を穿って示されてくる。これからの輪読を楽しみにしている。

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