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小規模であること

 ファーストディーで、映画は1000円。いつも1000円で観られる映画館はやめて、東映系の大手シネコンに初めて行きました。大手の劇場は、ネットを使って自宅から座席を指定できるので、混雑も心配ないし、とても便利。自転車で、二条城の裏側まで、20分足らず。思いのほか近いですね。新しい劇場なので、駐輪場、劇場フロアー、シートとも、快適。満席だったけれど、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』を、ゆったり鑑賞してきました

 めったにこの界隈には足を向けないけれど、地下鉄が伸びて、ずいぶん変わりました。レトロな雰囲気が漂っていたJR二条駅は新しくなり、大手シネコンに、有名私立大学などが建ち並び、再開発が進んでいる。山科駅周辺、京都駅南側もそう。どんどん京都も普通の都会になっているなー。

Img_1312  お昼は、ネットで調べた町家風のカフェ「雨Img_1311林舎」へ。劇場から1分ほど。あれ、もしや、お知り合いの関係?の気配がしたのに、情報と違って休業日。残念。これは別のお楽しみに。開いていた2軒お隣の玄米食の町家のお店へ。どうも温かい雰囲気で、リーズナブル。珍しものはないけど、ちゃーんと人が作ってるというランチ。ちょっとだけお話を聞くと、障がい者や、高齢者などを助けあいながら、ふれあい社会をめざしているNPO法人が、小規模共同作業所の一環として経営されているらしい。福祉の面でも『殯(もがり)の森』の舞台のように、家庭的な雰囲気のなかでの介護、少人数でのグループホーム化が進んでいるようです。

 いまや、行政も、企業も、学校も、病院も、日本のいたることろで、生き残りをかけた戦いが続いています。そのために巨大化し、画一化し、効率的な事務的な処理を押し進められている。成果主義のもと、効率的な利潤の追求が第一なのである。確かに、効率化には大切な面もあります。しかし、それは生身の人に当てはめることはできない。人は、それぞれのいのちを抱えて生きていて、当たり前だけれども、一色に画一化することはできないものです。でも、ほんらい代替不可能ないのちが、いつのまにか、「代わりはいくらでもある」状態となり、「かけがえのない」はずのものが、誰もその実感を持てない生きづらい世の中になっている。そのなかで、なんのために生まれてきたのか。私は誰なのかと、みな彷徨っているのではないでしょうか。

 今後は、企業が利益や補助金目当てで行なう福祉や介護施設と、このような小規模のよさをいかしたグループに二分化されていくのでしょうね。

 そうそう映画の話から。映画館も、どんどんスクリーンが増える大型シネコン型(便利で、きれいで、快適。しかし画一的で、ヒット作のみ)と、個性的なラインナップのアート系のミニシアターに二分化されています。問題は、後者は良心的だけども、なかなか人も、お金も集まらんということでしょうなー。経営的には苦しいそう。

 どうも、華光のようですね。

 ずいぶん、横道に逸れました。

 

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コメント

こういうオチでしたか(笑

投稿: ネコ丸 | 2007年10月 3日 (水) 02:26

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