私の聞法の場
朝、冷気で目が覚めました。数週間前までは、「暑い、暑い」といっていたのに、すっかり秋。京都は時代祭と、鞍馬の火祭り。送迎で、2度ばかり京都駅にいったが、やはり混雑していた。
9月の終わりのことであったが、25年以上にわたり、献身的に華光会の会計をお世話くださっていた会計事務所が、急なご事情により、年度限りのご縁となってしまった。それにしても、さまざまな形でご奉仕くださり、まったくもって多大なご恩徳がある。そのご功績に、感謝の念を示し、「長年に渡りお世話になり、ありがとうございました」と、こちらが御礼申すしかない。ところが、先手で、先方から、今期限りになってしまったことを、何度何度も頭をさげ、号泣し、謝罪されるのである。
まったくもって、これは法蔵菩薩様のお姿だなーと味わった。こちらが、いくら頭を下げても足らないだけのご恩徳があるのに、その方が、先手でこの私に頭を垂れ、願い、「申し訳ない」(迷わせてきたことを)あやまらせているのだからなー。
結局、これまでも、またこれらかも、こういうのさまざなおかげによって、私の聞法の場は護られていくのである。いくら組織化し、合理化されていっても、その背後に仏法広まれの精神、ご恩報謝の一念がないならば、この聞法精舎は味気ないものになる。
もちろん、実の社会生活は、残念ながら、まことに残念ながら、尊いご法の味わいだけでは渡ってはいけない。いくら、ご法の味が深いからと免税(伝道事業のみならそうだが)されるのでも、真実を伝えているからといって、監督官庁や税務署から、おほめに預かることもない。
華光会もまた社会的な責任をもつ宗教法人である以上、さっそく今期の会計業務が迫ってくる。現実的にどうするのか。もう半世紀ものお付き合いだけに、後がたいへんなのである。
どうするしょうかと悩んでいたところ、またしても、仏天のご加護というべきか。7月からから会計の専門家の方が、お仲間に入ってくださったのである。
日数からすると、まったく不思議なことである。実は、先の先生の場合も、こちらが困っていた折に渡の船という形で、急きょご縁が深まり、ここまでのお付き合いが続いていたのだ。
今日、お会して、いろいろとご相談をした。きっと大きなご迷惑をおかけすることもあろうが、こころよくお引きうけくださることになった。まったくもって有り難いことだと喜んでいる。まずは、懸念していたひとつが肩の荷が降りた気分だ。
こうして、少しずつ、少しずつでも、確実に進んでいくかないなー
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