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運営面のお話(1)

 昨夜の会議は、いちおう夜10時前に終わって、そのあと、残った人達で、少し飲んだ。あまり体調が優れず、それでも1時前までお付き合いした。3、4名残った人達が帰宅したのは、いちばん電車が入ったあとだから、早朝5時半ごろだろう。

  華光会は、運営面にしても、経理にしても、裏や表のない、非常に民主的で、純粋な集いであると自負している。しかも、若い人達や新しい人達も多くなり、法座も活発で、今後の拡がりも含めて、明るい展望をもっている。

 自画自賛だが、ぼくとしては、ここをしっかり踏まえた上で、つまり悲観論や危機感ではなく、華光の今後の可能性をとして、以下の話をしているのである。

 今回は、そんな今後への期待をもちつつも、寂しさや悲しさ、ぼくの中での何か目に眼えない圧力への畏れが伴う、複雑な思いがする会議だったのは、事実だ。

 運営委員会が、本来は、責任役員会の委託をうけて、華光の運営や経理を補佐する立場なのだが、いまは、責任役員会に準じて、報告を承認をする機関になっている。たぶん、運営委員各自も、正確にその立場を認識していないだろう。また各自の役割も不明確のままだ。それというのも、年数や地域性、ネームを考慮して、人選をしているので、なかなか実務的な、機動性をもったものにならないのである。これは当初からの課題なので、10年前ごろには、組織表をつくり、行事ごとに結成され、解散していく実務委員を置いた。また事務員・事務局も出来た。結局、役員や支部長に比べると、運営委員の役割があいまいになってしまった。特定の人だけに、仕事が集中したり、運営以外の雑務にまで及んで、負担が大きくなっている状況が続いているのである。

 確かに、これまでの華光会の状態をみると、無理がない部分もある。物心両面での、さまざまな献身的な奉仕のおかげで、ご法が相続され、運営されて、またその後を継いだ人達も、同じ道を歩みし、そのひたむきな姿から、ご法の尊さを感じていたのである。

 それに、どこまでが大きな負担で、大変なのかは、個人の置かれた状況や気分で随分違うものだし、それが、その人自身の法味の源泉だったりするから、一概では語れないのだ。

 それでも、考えていかねばならない状況のときもある。

 現実には、理想的な空論を語ってもしかたないので、少しずつしか変わっていくことはできない。一時は、たんへんなことがあるかもしれない。でも、今後の発展を考えて上で、一旦は、いまの状況を白紙にして考える必要がある。

 その方向で、役員の意見は一致したが、いま、この場では、そんな抽象的な表現でしか述べることはできない。ただ、取り組み方によっては、さらに同人各位の上に、活性化された法座か実現されていく可能性が見えてくるだろう。

 これは、シリーズ化して、ボチボチと書いいくことになるだろう。

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