ポスターとチラシ配布
東京公開講演会のために、東京支部の有志の皆さんが、ポスターや、チラシ配りに励んでくださっている。その報告を受けて、いたく感銘を受けた。と同時に、これまでぼくの考え方を恥じる思いがした。
それで、皆さんに触発されて、ぼくも、プチ行動することにした。お店へのポスター貼りと、チラシ配りをやってみた。連れ合いは、法蔵館、百華園、芝川骸骨堂、龍大周辺などの、華光にゆかりのある本屋や仏具屋などを回ったところ、どこもやこころよくポスターを張ってくださったようだ。
ぼくは、違う路線から責めることにした。自力整体の教室の皆さんには、チラシを直接、お渡しすることにした。各地で、例によって「エー、お坊さんなんですか」と驚かれたり、「ヘエ、そんな先生なんですか」と言われたりもしたが、そのことで、一口お話することができた。また、本願寺関係者がけっこうおおい(本山所有の土地にあるそうな)へアーサロンでは、「講演会の前日に髪切りに来る?」と、応援してもらった。きっとそうするだろう。
あとは、京都駅周辺にあるカフェや映画館。ちょっと場違いと感じたけれど、意外や意外、あっさりと協力してくださったので、こちらがびっくりした。どうも特別意識の固定観念は、ぼくの方だった。八条口のコーダル・オンと、東本願前のティ・コンセブションは、ポスターを貼ってもらえた。映画館では、東寺前の京都みなみ会館と、烏丸四条の京都シネマが、チラシを置いてくださった。その場、その場で、デザインのこと、華光会のこと、ぼくのことなどもチラチラとお話できたのも、うれしい。ただ、ぼく自身のことなので、ちょっと照れくさくもあったが、、。
今回のことで、正直、ぼく自身にはいろいろ思いがあった。どこかで抵抗する気持ちがないではない。たが、仏教の正統を自負し、「人集めをが目的ではない」「新興宗教ではない」などと格好をつけているが、どこかで、地道に努力されている新興宗教の皆さんを、軽蔑する気持ちがないわけではないと思わされた。
確かに、「法は自然(じねん)の理だから」と思っているが、あまりにそれを金科玉條に正当化して、浄土真宗全体の生命だった、庶民の泥臭さとか、混沌としたエネルギーが消え去っているのも、事実である。一言でいうと、活気、熱がないのである。教義も、伝道方法も、法悦も、すべてに渡って超優等生になっている。だから、一般の方にとって、危険度、怪しさがない分、単なる葬式や先祖供養と、感謝の教えにすぎない面もあるのではないか。また、歴史や伝統がある分、頭が高いのである。
かといって、同じことを皆さんにお願いするつもりはまったくない。華光が、路線を変更することもないだろう。同時に行動してみて、これが宿善になるとか、ご恩報謝とか、巧みに強制されて行うことでもないことが、よくよくわかった。ここは、同人各自に温度差があってもいい。やった人も、やらなっかた人も、我がものとして共に法座に参加されたらいい。それぞれが、各々その力量に合せて出来ることをやらさせてもらい、聞法させてもらうだけである。
当たり前のことだが、頭を下げてお願いして回る。ぼくの中からは起こってこないものだ。これもまた、少しでも、有縁の方がうまれ、「仏法弘まれ」の思いから出ていることが、ぼくには尊いのである。
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