『ナヴァラサ』
8月末のことだけれど、久しぶりにインド映画を観た。
ご承知のように、娯楽が少ないインドでは、映画は庶民の最大の楽しみで、ダントツで世界一製作数を誇る、映画大国である。
という説明も、いささか様子が変わってきた。いまやインドは、世界有数のIT大国であり、映画を取り巻く環境にも変化が起こっているようだ。
ぼくも、一度、そのインドで映画館に入ったことがある。まだ日本に、「踊るマハラジャ」などのインド映画ブームがくるかなり以前の話だ。ムンバイが、まだボイベイと呼ばれていたころ、アメリカのハリウッドに対抗して、「ボリウッド」とも言われていた時代。25年も前のことになる。
夜、ホテルからリキシャに乗って、繁華街の映画館に行った。何分、昔のことなので、どうやって切符の買ったのやら、入場料はどうだったのか、詳しい記憶はまったくない。ただ、満員の劇場の独特の雰囲気に、恐る恐る緊張しつつ、少し興奮していたことは覚えている。もちろん、言葉なんて分からない。でも、そんなことはおかまいなしだ。だって、それが、インド映画なのだから。勧善懲悪、原色の映像、歌と、踊り。ヒゲづらの、ちょっとデブとした典型的インド映画のヒーローと、サリー姿も麗しいヒロインが、悪に立ち向かうアクションに、カーチャスイに、恋愛と、なんでもあれの娯楽作。もちろん、ラブシーン(キスシーンですら)御法度のお国柄。それらしき場面になると、ミュージカルにかわるのだ。とにかく明るい画面いっぱいに歌い、歌い、踊り、踊るのである。だから、言葉なんかわからなくても、充分、楽しい、娯楽作品なのだ。
でも、上記に記したように、そのインド映画も変化している。娯楽一色から、芸術系のもの、社会派ものが評価されるようになって、日本でもボチボチ公開されているが、まだかなり少数派のようだ。
その中では、本作『ナヴァラサ』は、エンターテーメントの娯楽性もあり、突然、ミュージカルになる。歌い、踊ったりもする。インド独特のセリフ回しや、しぐさがはいったりする。余談だけれど、サリー姿のお母さんの話し方、いま呼吸法を習っている南インドの女性によく似ているので、驚いた。なにも、容姿が似ているのではない。だれも、その地に生まれ、その言語や文化にふれ、知らず知らずに、ノンバーバールな部分に色濃い影響を受けている、抗しきれない、身に沁みている無意識の部分のしぐさ、態度、匂い、ふるまいがある。その意味では、どれだけ日本人が英語を勉強しても、ネィティブにはなれないのであろう。ちょっと余談。そうそう、これは、南インドのお話ということが言いたかった。
トランスジェンダーのお話。インド映画らしいドラマで始まるのだけれど、それが、後半のロードムービィになってから、俄然、趣向が代わる。男性であることに違和感を覚える女装する叔父さんを救うべく、旅にでた少女。ちょうど少女から女性へとかわりつつある彼女の目を通して、インド最大のゲイフェスティバル(文化的背景は本作の公式HPを見てね)を、ぼくたちも共に見学することになる。ドラマが、急にリアルなドキュメンタリーになる。ほんもの元男性が次々現れて、社会の偏見や差別の実体を、強烈に訴えだす。みんな、ほんものが登場するのだけれど、なかでも、「ミス」に選ばれた、すごーい強烈な、おねいキャラの元男性が、いい味を出している。
この感じはうまく表現できないけど、どんなオカルトも、パニック映画も、たとえば日本映画なら、フレームという予定調和の世界の中での出来事。なにか安定しているんです。でも、この国の映画は少し違う。画面をはみ出すような危うさというのか、そんなムードを感じずるので、どこかドキドキしながら見ておりました。たぶん、ぼくだけの感覚だろうけどなー。
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