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8月の輪読法座

 今夜は、輪読法座でした。

 華光の法座が週末に集中するので、なかなか参加しずらいとの声を、ちょくちょく耳にします。それで、今年から毎月1度だけ、平日に開催しています。曜日も決めず、いろいろな試みて、参加状況、顔ぶれの変化を確かめています。今月は、暑い夏なので、夜の法座にしてみました。

 ところが、京都の皆さんが出かられる時間帯に、市内は激しい雷雨となり、堀川の水が一部で溢れるほどの短時間の大雨。そのせいで、出足が悪かったのでしょうか? 今回は、せっかく筆者のM先生にもご足労くださったのに、参加者は8名と、これまで一番最少でした。それでも、けっこう盛り上がって、小見出し2つだけしか進みませんでした。逆に、皆さんのいろいろな声が聞けたのかもしれませんね。

 今年のお正月に、突然、「死に前よ!」と叫んで、急逝された先生のお寺の新しい檀家さんのお話でした。無常は待ったなし。自分の都合でやりたい放題しているこの私が、「死ぬ前や」と死んでいかねばならないが、どこへ行くのか。その行き先、後生はどこなのか?という章でした。

 ただし、夜だからといって新しい顔ぶれはありませんでした。やはり、もう少し若い人にも参加してもらいたいですね。平日だろうと、日曜であろうと、お参りする人はお参りする。無理な人は、なんなりと理由がついてお参りされないようですので、それなら、少しでも皆さんのご都合のよい日時に開催しようという話になりました。次回は、土曜日の昼です。

 9月22日(土)・昼1時30分~5時。66-3号の「濁悪邪見の衆生」の3回目。できれば、巻頭言か、聖教の心も読んでいきたいです。

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コメント

おはようございます。残暑で恋しい雨も、降りすぎれば煩わしい。どこまでいっても勝手都合のこの私です。自然の大きな営みに生かされていること、分かているけど・・・といっても所詮何もわかっていないこのわたし。この知らないこを知らない自分と知らせていただくことの不思議を、いまじっわっと味じわさせていただく。26日は支部法座を勤めます。最初は私が「華光誌」を拝読させていただいた数いん回。先月から輪読ができる雰囲気になりました。今回も「華光誌」を声を出して読み、聞き、響きを確認をしたいと思います。お同行さんのお心を通して響く声(仏のわたしへの願い)を聴かせていただきたいと思います。

投稿: 稜 | 2007年8月23日 (木) 07:34

ちょうど同じ日の昼頃、広島でも「死ぬ前よ!」を輪読をしました。7月から参加されている方の声を聞きながら、「後生」など思いもかけない私に、「気付いておくれ!!」と呼びかけてくださるお仲間の声、私への声を聞かせていただいていました。お昼過ぎても、話が続いていきました。私は、「ああ~腹減った~!!」ばかりで、聞けなくなっていきました。
ほんと、おそまつ。

投稿: Tねこ | 2007年8月24日 (金) 09:23

 稜さん、Tねこさん、いつもありがとう。
 日高でも、徐々に輪読の雰囲気が整ってきたようですね。楽しみです。
 もちろん、広島も賑やかそうですね。
 ここでも、掲示板でもいいのですが、もし、さらに輪読会の雰囲気が共有できるネットワークが広がると、地域を超えて、さらなる厚みが出てくるように思います。もしそうなら、ますます楽しみが増えそうですね。
 お二人とも、これからもよろしく。

投稿: かりもん | 2007年8月26日 (日) 21:29

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