『ヒロシマ ナガサキ』
京都シネマで、原爆に関する映画が、2本上映された。8月6日のヒロシマ、そして、たった3日後の9日のナガサキで、連続被爆した人達の証言を綴った『二重被爆』。
そして、日系3世で、短編ドキュメンタリーでオスカー監督にもなった、スティーヴン・オカザキの『ヒロシマナガサキ』だ。(原題、White Light-Black Rain)
正直、いまさら、もう原爆のことはいいかなーという気分もしていた。
でも、甘かったー。
目を覆う衝撃的な映像と、耳を塞ぎたくなる証言が続く。
ラスト近く、トランペッターの近藤等則と、黒田征太郎の絵画とのコラボレーションに合せて、なぜかぼくも涙が溢れてきた。
構成は、いたって正攻法。
冒頭、アメリカの映像を使って、ザーアと満州事変から始まり、真珠湾奇襲、そして戦局の流れが語られていく。
そして、当時のさまざまな映像と、被爆生存者の証言が積み重ねられていく。被爆者だけのではなく、原爆を直接投下した、エノラ・ゲイに乗組員、同乗の科学者、カメラマンたち4名のインタビューも交える。やはりアメリカでは、「殺戮や戦争を終結するためのもの」との認識が根強いようだ。
しかし、核兵器は、命や体だけでなく、心までもズタズタにする。人間の尊厳を木っ端みじんに踏みにじるものだ。黒こげで炭素化したり、白骨化した死体の映像が、そう証言する。
そして、62年前のあの日のある出来事ではなく、いまもまだ生きている事実に深い衝撃を受ける。
奇跡的に生き残った人達への、想像を絶する肉体的な苦しみに、さまざまな差別と偏見の眼、そして、「生き残ってしまった」という精神的な苦悩、さらに、国家の無策ぶりと、アメリカの人体実験(観察)・モルモット化という一面。さらに、未知なる原爆症の恐怖。彼らが口をそろえて言うのが、「生き残った」故の何重もの苦しみだ。
また、原爆乙女とその際のテレビ番組での被爆者と、乗組員との出会いなども知らないことだった。
プロパガンダとの批判的な声も一部ではあるようだが、まず事実を知らないとなにも始まらない。ゲームのような核戦争ではなく、きのこ雲の下であった大惨事の事実に目を逸らさないことから始まるのだ。そして、いま、ぼくたちに必要なものは何かも、自ずから見えて来るのだ。
この8月6日には、全米で放送されたという。
地域は限定されているが、しばらく上映があるようだ。ぜひ、機会があれば、ご覧いただきたい。終了後、しばらく重苦しい気持ちで、言葉もなかった。(劇場の詳細は、上記の公式サイトから)
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コメント
残(酷)暑お見舞い申し上げます。15日急なこと(毎度のことか)?妻の一言で、広島原爆ドームと資料館へ。行き着くまでの思い、その知識は、どこからか分からないが、駐車場からドームへ歩く道すがらで瞬時に打ち砕かれた。かりもんさんの「でも、甘かったー」のことばが、いま、あらためてこころへ響く。「何も知らなかったヒロシマ」を痛感した。何事においてもそうであろうなと。ここでも大悲大慈のお心を知る。資料館での思いもある。作文にするなら良い材料ではある。しかし、川沿いを歩き、ドームに近づいたある地点で、突然立ち止ったわたし。溢れる涙、湧き出るお念仏。わからない。でも、この心に遇わせていただいたことを喜びたい。かりもんさんありあがとう。ブログは水面に投げられた大悲の石やね、その波紋の一端はわたしに届いてきたように思います。南無阿弥陀仏。
投稿: 稜 | 2007年8月17日 (金) 07:49