« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月の24件の記事

東京講演会の準備と、華光誌編集と。

 どうにか暑さのピークは過ぎて、連日、曇天で、急な激しい雷雨が続いている。いまも、遠くで雷鳴が轟いている。夜の空気も少しヒンヤリしてきた。でも、華光会館の事務所は、まだまだホットな日が続いている。

 東京Tokyoposter44444441公開講演会法座の準備に、アツイのだ(~Q~;)。

 今回は、華光大会と聞法旅行が同時に来たようなものだ。旅行社を通さない、外部開催なので、そこの部分での準備もたいへんなのである。こんなことは、最近では、新華光会館の再建記念の華光大会(11年前)か、華光誌創刊の50周年(これなど16年前になる)など、祝賀会を兼ねた大会以来かもしれない。さすがに、50年の重みである。

 でも、実質2、3名で進めていた以前とは違い、事前の打ち合わせが、丁寧に行っている。おかげで、メーンの世話人5名の意識のところでは、かなり共通の認識が出来ているのは、好材料だ。

 先日の水曜日にも、5名でかなり長い相談となった。

 タイムスケジュールや、役割は固まってきた。華光会館とは勝手が違い、集合、部屋割り、食事、風呂と、生活全般にしても、講演会の準備にしても、会場との詰めもあって、世話役もたいへんである。手分けされた事前の準備も、着々と進んでいるようだ。ご苦労さまです。

 ただ、東京や遠方の方の離れた方が、直にこの雰囲気を共有できないのが残念だ。もちろん、お世話人の有志の皆さんには、いろいろと手伝いをお願いしたいと思っている。さらに、ただお客さんで参加されるだけてなく、もう一歩踏み込んで、ひとりでも多く、この熱い思いを共有していただきたい。よりひとつになって、その日を迎えられたら、こんな有り難いことはない。

 第一、すでに東京支部の有志の皆さんが、PRのために、一肌脱いでくださっている。その積極的で、しかし、地道ながらも誠実な態度が、皆さんの言葉から伝わってくることが、とてもうれしく、励まされている。華光には、お金も、力もないけれど、ご法を喜ぶ同人が、大きな財産である。こんなとき、同人の力は有り難いものだ。

 その夜には、伝道研究会で、講演会の内容を相談した。

 テーマの「仏教のめざすもの」~浄土真宗華光会の歩みとこれから~に添って、二人の講演内容のすり合わせ、対談・フロアーとの対話の部分の進行などを話し合った。なりゆきから、正直に気持ちを伝えあうことがあったので、少々、感情的にしんどい部分もあったが、逆に今回の思いをぶつけ合い、団結力が強まったのではないかと、いまは、前向きに捉えていけるようになっている。

 こちらも、3時間ほど話し合ったが、結論にはいたらず、9月にもう一度開催して、つめることなった。(案内の詳細はこちらからどうぞ)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/tokyo16.htm

 ちょっと、華光誌の編集作業が重なってしまったのが、少し痛手だが、こちらは、昨夜で、だいたい誌上法話が形になってきた。「業魂のお葬式」(仮題)と題する小生のものである。体験記の2名分もほぼ出てきている。でも、今回の問題点は、珍しく記事が多いことだ。富山の「仏青研修会」、7月の「壮年の集い」、そして8月の子供大会の参加記に加えて、日頃のお味わいや、お手紙をいただいている。どれも味わい深いものがあるので、取捨するよりも、多少の中身を削ってでも、一人でも多くの方の声を掲載したいと思っている。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『スピリチュアル・ネイチャー』

 8月22日、日本のフリージャズの第一人者で、パーカション奏者の富樫雅彦氏の訃報。キャリアの途中、再起不能とまでいわれた事故で、下半身不随の障がいを抱えながらも、ドラマーから独自のパーカッショニストとして、数々の意欲作かある。

  正直、このあたりは、それほど得意ではない。でも、富樫といえば、まずこの『スピリチュアル・ネイチャー』。全5曲の組曲構成での(1曲はスタジオ) ライブ録音。

Img_1087  このタイトルと、このジャケット。もし、これが、2005年録音のCDなら、もう聞く前から音が想像つきますね。今、大ブームの、例のスピリチャアルですよ。そんな人気のへんなカウンセラーもおりますが…。さらに、ネイチャーときて、このジャケット。もう、ヒーリング・ミュージックとか、環境音楽とか、時に、胎教音楽や、α波の音楽なんかもあるけれど、いわゆる、癒し系の分野に並んでいても可笑しくな雰囲気。ピアノやバイオリンなどで、非常にシンプルなメロディーを、モチーフを替えながら反復し、やさしい穏やかなリズムで、優雅に繰り返す癒し系の音楽。

 でも、それを期待していたら、ビックリするかも。

 だって、いまから33年も前の1974年の、フリージャズのコンサート録音。当時は、各ジャズ賞を総なめにした、日本ジャズ史上の名盤としての誉れ高い。富樫雅彦、田中昇、中山正治、豊住芳三郎(perc)、 池田芳夫、翠川敬基(b)、佐藤允彦(p)、flやサックスのブラス陣が、中川昌三、渡辺貞夫、鈴木重男という、かなり豪華な顔ぶれ。

 日本の豊かな自然、田園風景だったりをイメージした組曲。日本的なメロディーも随所にうかがます。でも、ジャズアルバムですから、当然アドリブがある。冒頭の曲「THE BEGINING」の荘厳な静かなイントロから、2曲目の「MOVING」のちょっと室内楽のような趣もあるけれど、過激に 「フリージャズ」に展開していくところもある。

 でも、フリージャズって何? 実のところ、ぼくもさっぱり分かっていない(笑)。普通、想像するのは、アナーキーで、不協和音の連続、メロディーもないハチャメチャな騒音とか、テナーの咆哮ぽい感じなんかでしょう。

 でも、当ライナーノーツに、富樫の言葉が載っている。

 「フリー=自由は、演奏する側よりも聴く側にあるんです。そして、その時点で、奏者と聴衆が一体となって創造し、また想像しうるとき、両者の断絶は取り除かれるはずです。このことは、すべての音楽の形式を問わず、「コミュニケートする」ため一番大切な条件なのではないでしょうか」と。

 おお、難しいぞ。聴く側に委ねられる自由。だから難しいのだよね。いろいろな情報や、経験で、自分に合うテンプレートに照らして聞くことしか出来んものナー。

 で、アルバムのタイトル曲の「SPIRTUAL NATURE」が、やっぱり白眉。アルバムの半分を占める。オープニングはメロディアスなロマンチックな雰囲気から、ベースの力強い反復をバックに、アドリブが続いていきます。中川昌三のフルート、渡辺貞夫のソプラノサックス、そしてチェロと、ますますホットなアドリブが展開して、富樫のダイナミックなソロへ。最後に自然讃歌へと静寂のエンディッグを迎えますが、流行の眠たくなるような癒し系音楽なって、吹っ飛んじゃうのは事実だなー。

 それにしても、彼の音楽は、あまりにもストイックすぎないかなー。でも、この禁欲性、静謐さの美と、エネルギーが解き放たれたような激しさが、ぼくは嫌いじゃない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

宿善の到来

 このところ、新顔で華光会館にお参りくださる方が増えている。

 共通した法歴、そして、よく似た心境をお持ちの30代後半から50代前の、しかも男性が圧倒的に多い。

 その多くが、学生時代に、浄土真宗の教えに出会い、絶対の幸福を目指し、「後生の一大事」の解決のためにご聴聞をされてきたのである。しかし、さまざまな理由で、数十年の間、聞法から遠ざかっておられたようだ。

 それが、仕事や家庭を持たれ、ますます人生の空しさ、孤独感から、若い時に聞いた念仏の教え、親鸞さまの教えそのものに、我が身を通して帰ってこられたのである。

 現実、この日本の状況である。もう、40もすぎると、自分も、またその人生も、その先が分かってくる。経験値の観点からはいいこともあるけれど、若い時のような夢や希望をもつには、現実はあまりにも厳しい。年老いた親に、金のかかる子供に、倦怠期の夫婦関係に、家や車のローン。仕事の見通しも、そして、自分のからだにしてもそうだ。どうにもこうにも、思うようには進まず、それでいて、責任ばかりは重くのしかかる…。

 いやはや、あまりに夢のない話題で申し訳ないなー。でも、ほんとうのこと。

 そんな時、不思議と、忘れようとしても、忘れられなかった、若い時に薫習された教えが、蘇ってくるのである。

 しかし、一般の寺では満足できない。そこで、ネットや書籍などで、華光会のことを知り、かなり勇気をだして(ぼくがその立場でも、確かに怖いよね。紹介者もなくて、初めての集まりの門を叩くのだもの)参加を決意された方々である。

 すでに聞法の、ある種の道筋できている。言葉は伝わる。聞法に真剣みがある。聞かねばならないという気持ちもわかる。しかし、逆の意味で、聞法の妨げとなる固定観念が焼きついている。お勧めには逆の方向から、つまり、いままで聞いて覚えたことを「捨てる」ところから、お伝えする必要がある。

 その場合、ブランクはけっして悪いことではない。その時間と共に、若い時には寝食を忘れて求めたことが、フツフツと発酵している。若い時の、理想ばかりの、カッコいいが、観念的な聞法から、ヨレヨレでも、実感のともなった、わが身に則した聞法が始まるのだ。

 まさに、宿善の到来ではないだろうか。

 もし、このブログをご覧になって、迷っておられる方があったなら、勇気をもって、華光の門を叩いてみてください。いま、その一歩を踏み出すさないと、きっと、次のチャンスでも踏み出せない。「いつか、いつか」で長綱を引いて、迷ってきたのですからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京公開講演会法座の〆切

 今月20日が、東京公開講演会法座の参加申込みの〆切日だった。

 予想以上に、遠方からの参加者が多くて、うれしい。以前、東京の全林野会館での拡大版壮年の集いを開いたときは、中心は、東京支部の同人で、他は、名古屋か、京都、大阪(奈良)の同人だけだった。ところが、今回は、それに加えて、九州、広島、四国、和歌山、滋賀、日高、福井、静岡、高山と、かなり幅広い申込みがあった。

 ところがである。肝心の東京支部の方の申込みが、案外に少ない。もちろん、2日目の講演会のみの場合は申込不要で、当日参加があるだろうが、それにしても、〆切時点でも、8、9名。お手伝い方の返事もない。どうも、支部でのとりまとめと、本部への申込とを、混同されている方が多かったのと、宿泊の申込みを遠慮されていたようだ。ここ数日、手分けして、未連絡の方への確認と、勧誘が進んで、急に予定どおりの大所帯になってきた。

 こうでなくっちゃね。ポスターやチラシだけなく、6月の東京支部法座の折には、下見を兼ねて、会場以外のホテルを押さえたり、食事場所の確保をしたりと、世話人の皆さんも、準備に万全をつくしている。加えて、〆切後は、広報や渉外などの準備が本格化し、暑い事務所が、ますますホットになってきた。

 同じく東京では、この週末、有志の方が、ポスター貼りに汗を流してくださった。ほんとうにご苦労さまです。力をもらいます。

 今回は、先生方も4名揃っているし、講演会以外でも、ご法話もあり、座談会も予定している。常の華光大会や壮年の集いなどのご法座と同じなのだから、せいぜい、この機会に、東京周辺の方は講演会以外のところも、ご参加いただきたい。贅沢に3日間もある。ぜひぜひ、全国から集う華光同人と共に、東京の地で、仏法讃嘆しましょう。いつもの東京法座とは、また華光会館の法座とも、一味違うこと、間違いなし。そして、時間が許す限り、講演会後のパーティーでも、同人の皆さんと交流していただきたい。

 それにしても、「京都に華光会館があってよかった」と思うほど、会館があることは、ほんとうに有り難いことだ。最近は、参加者が多くて、手狭なのは贅沢な悩みで、おかげで、低価で、自分たちの希望の日に、宿泊法座を開くことができ、しかも、どれだけ大声で念仏しようが、座談が白熱しようが、また少々遅くまで懇親会が伸びようとも、誰に遠慮も、気兼ねもいらないのだ。次回「お断り」という心配もないものね。(もちろん、近隣への最低限のマナーは必要ですが)

 もちろん、維持やお守りははたいへんである。このところ、柵は曲がる(これは被害者)、玄関ドアはおかしい、部屋のドアは外れる、空調は不調と、さすがに修繕箇所が増えてきているが、それは外側の建物の話。皆さんのこころの念仏道場である。建物ではなく、念仏道場としての真価は、皆さんの一人一人の信心、その喜びにかかっているのですぞ。

 ちょっと横道に逸れた。今は、東京の法座だ。公開講演会だけでなく、東京法座にも、ぜひぜひご参加ください。

 〆切ましたが、まだ欠員があるので、お早めにどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マキノ高原

Img_1031 8月もあと1週間。ぼくの子供の頃と違い、小学校の夏休みも様変わりしている。7月21日~8月31日までの夏休みは、昔のこと。いまや、7月いっぱいは、自主登校など学校が続いて、8月も1週を残して授業が始まり、いきなりすぐ給食も再開される。

 というわけで、夏休みもほんとうに最終盤。今日は、夏休み最後の子供へのサービス。華光誌と東京法座の準備で、事務所はいま大忙しだが、日帰りで、マキノ高原にある温泉プールに出かけた。出発前から、東京の準備で、ミーティングImg_1034が白熱して時間オーバー。親御さんにお世話になっている仲良しの友達も誘って、2時間強ほどのドライブ。ところが、その子が、ものの15分で車酔いして、ずっと車中は大騒ぎ。休み、休み、予定していた棚田のカフェもお休みで、比良のきれいな湖カフェ(Rカフェ)で一休み。飛び込みで入ったのに、なかなか素敵なところ。。ここらは湖も静かでとてもきれい。お魚もたくさん見えるほどでした。でも、ここでは泳がず、 やっとの思いで、マキノ高原へ。

Img_1052_2 今年の子供大会は雨にたたられたけれど、もし3日目も雨なら、ここに来る予定だった、温泉とスパです。とにかく、お客がほとんどなくてラッキー。緑の中での露天風呂が、きもちよかった。子供たちも大喜びで、やっとぼくも気分転換ができました。

 帰路。山科で食事Img_1070をし、アルコールを飲んだので、連れ合いと運転を交代。ほろ酔い気分で座っていたら、あと7、8キロ足らずで、パトカーに停車命令。スピードも出していないし、アルコールも飲んでいないけれど、やはりドキドキしながら止まったら、ライトの付け忘れ! いや、参りましたね。しっかり反則金と取られて、ちょっとがっかり。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』

 9月号の「Esquire」の日本版は、ロサンゼルス建築と、ボサノヴアの特集だった。ショビンやボサノヴァは、得意の守備範囲だけれど、別に、ロスの建築には興味はない。ところが、そこに先月、映画でみた、フランク・ゲーリーの半世紀の足跡がとらえられていて、映画のことが書きたくなった。

 『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』

Sketches_of_frank_gehry_01 フランク・ゲーリー。「建築家の異端児」「脱構造主義の旗手」と称される、世界的な天才建築家だ。彼が80歳を前に、いまだに斬新な創作意欲に満ちる、その魅力的な姿をカメラはとらえている。

 監督は、「愛と哀しみの果て」や「ザ・フォーム/法律事務所」などのオスカー監督、シドニー・ポラック。初の長編ドキュメンタリーだそうだが、フランク・ゲーリーへの深い愛情が滲み出ている。構えのないリラックした態度から間見える巨匠の素顔。お互いの信頼、友情の産物だろう。それにしても、3次元の建築の世界を、2次元のフィルムにいかに収めるのか。随分、腐心があったことだろう。

 建築家というより、芸術家といっ31d27f3c_2たほうがいいのかもしれない。その奇抜な造形が産み出されるプロセスを見事に描いている。アイディアが浮かぶ。パートナーに指示をだし、無造作に厚紙を切り、セロハンテープでくっつけ、いろいろと折り曲げる。紙や素材を替えていく。まるで幼児の工作のようだ。でも、こんな大雑把な簡易模型から、世界的な巨大建築が産み出されていくのである。

 世界的評価と名声。同時に、批判や酷評の数々(異常者とか、醜いとか、時には冒涜という言葉での非難まで。つまりは、毀誉褒貶(きようほうへん)の数々こそが、彼が、常に留まることなく、世間常識に捕らわれない自由な創作を行っている証なのであろう。止まらぬ創作意欲、産みの苦しみを語り、作品をいとおしむように愛で、そして完成後の落ち込む心理を率直に語る姿など、人間的な魅力が随所に垣間みれる作品だった。

827ab3d3_2  代表的な作品。映画では、これらの創造的なフォルムが生まれるプロセスがよくわかります。

←ビルバオ・グッゲンハイ                       ム美術館

        DG銀行(ドイツ)→63f2b533 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

8月の輪読法座

 今夜は、輪読法座でした。

 華光の法座が週末に集中するので、なかなか参加しずらいとの声を、ちょくちょく耳にします。それで、今年から毎月1度だけ、平日に開催しています。曜日も決めず、いろいろな試みて、参加状況、顔ぶれの変化を確かめています。今月は、暑い夏なので、夜の法座にしてみました。

 ところが、京都の皆さんが出かられる時間帯に、市内は激しい雷雨となり、堀川の水が一部で溢れるほどの短時間の大雨。そのせいで、出足が悪かったのでしょうか? 今回は、せっかく筆者のM先生にもご足労くださったのに、参加者は8名と、これまで一番最少でした。それでも、けっこう盛り上がって、小見出し2つだけしか進みませんでした。逆に、皆さんのいろいろな声が聞けたのかもしれませんね。

 今年のお正月に、突然、「死に前よ!」と叫んで、急逝された先生のお寺の新しい檀家さんのお話でした。無常は待ったなし。自分の都合でやりたい放題しているこの私が、「死ぬ前や」と死んでいかねばならないが、どこへ行くのか。その行き先、後生はどこなのか?という章でした。

 ただし、夜だからといって新しい顔ぶれはありませんでした。やはり、もう少し若い人にも参加してもらいたいですね。平日だろうと、日曜であろうと、お参りする人はお参りする。無理な人は、なんなりと理由がついてお参りされないようですので、それなら、少しでも皆さんのご都合のよい日時に開催しようという話になりました。次回は、土曜日の昼です。

 9月22日(土)・昼1時30分~5時。66-3号の「濁悪邪見の衆生」の3回目。できれば、巻頭言か、聖教の心も読んでいきたいです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

稲はみのらん、其の暑さにぞ

  朝、ミーティングをすませて、七を保育園に送った。

 子供を載せる専用の自転車だが、途中から、どうも様子がおかしいと思ったら、後輪がパンクした。しかたないので、押して保育園に向かう。

 間が悪いことに、今日は21日。弘法さんという、東寺境内をフルに使っての縁日の日である。なかでも、1月の初弘法、12月の終い弘法は、20万人もの人出で賑わうともいわれているが、このところ観光客、とくに外人(なかでも白人)密度が高いようだ。今日も、たいへんな人出だった。人込みをかいくぐり、子供を預けた後、パンク修理のお店を探した。先客があったので、少し時間がかかるとのこと。

Img_1021 人出の波とは逆方向だか、炎天下、京都駅まで歩いて時間をつぶすことにした。途中、浄土宗のお寺に、手書きの掲示伝道が目に留まった。浄土宗の有名な歌人の歌のようだ。

  「日盛(ひざか)りの 玉なす汗わ 流すとも

    稲はみのらん 其の暑さにぞ」。(田中木叉上人)

 3時ごろから、大津の滋賀会館まで、『フランシスコの2人の息子』というブラジルの音楽映画を観に行った。プチ涙が出て来る作りでした。七を保育園で拾って帰ってきたら、東京からS先生が来館されていImg_1022た。4月に築地別院に移られて以来、久しぶりにお会いする。少し、9月の東京公開講演法座の打ち合わせをして、Tさんも交えて食事に出かけた。わが子と同じ芋焼酎が目の前にあったので、ロックで飲んだ。MAUN.さんも合流されて、いろいろと話に花が咲いて、思わず遅くなった。

 凡夫には、阿弥陀様のように、智慧も、慈悲も、自利も、利他も満足し、円満というわけにはいかないが、せめて、いま、ここの自分のところを大切にしていきたと思いましたね。

 それにしても、今年の8月21日は、なかなか予定どうりにはいかない、楽しい一日になりました。 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

仏道のすべては

 ある時、阿難が釈尊にお尋ねした。

 「私どもが善き友をもち、善き仲間と共にあるということは、すでにこの聖なる道の半ばを成就したに等しいと思いますが、いかかでありましょうか」

 それに対して釈尊がお答えになる。

 「阿難よ。それは違う。我々が善き友をもち、善き仲間と共になるいうことは、それがこの聖なる道の半ばにあたるのではなく、まったくそのすべてなのである」。

 ぼくは、この相応部経典、雑阿含経のやりとりが好きだ。 

 浄土真宗は在家止住の教えである。それでも、いやそれだからこそ、この泥凡夫が、善き師に出会う、善き友に出会う、そしてその仲間に加えていただくことが、すべてなのである。そんな、善き友と、その善き友の集いである「僧」(僧伽・サンガ)を得たことを喜ぼう。その出会いを大切にしよう。

 この世に、凡夫の目の色が変わるさまざまな宝がある。しかし、ほんとうの宝は、仏・法・僧(僧伽)の三宝なのである。

 聖徳太子さまもおっしゃっている、「篤く三宝を敬ふ」と。

 あまりにも当たり前のことだ。でも、あまり当たり前すぎると、どこかで粗末にしてしまうものである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

お同行の力

 真夏の東海支部法座。

 お盆明けの日曜日。帰省と重なって、子供連れなどで新幹線はかなり混雑していた。

 今回は、華光会HPの講師紹介が間違っていて、また提出していたテーマもうまく告知が出来ていなかったが、この猛暑のなか、年配の方も、元気にご参加くださったのは、うれしかった。

 歎異抄の第3章のお話。

 「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるることあるべからざるを、あわれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり」。…闇から闇へ、迷いから迷いへをさまよいつづける、私の後生の一大事に驚きを立て、哀れなるかなと、大悲のお心を成就、立ち上がったくださったご本願のお心に触れさせて頂かない限り、この末世の泥凡夫の私が救われていく道はないのだ。どれほど聞法しようとも、精進しようとも、わが身、わが心を頼りに、はからい続けるだけでは、なんの役にも立たない。そこを、現前としてみそなわしてくださっている、阿弥陀様をたのむである。いや、その心に触れると、頼まざるおえんのである。

 今回は、お同行方の力で、厳しい座談会になった。

 私達は、今生の生活にうつつを抜かし、すぐに聞法の焦点が外れていく。今生事の幸せ、自分のよしあしに捕らわれて、汲々している。ほんとうに、すぐにご法も、念仏もないような生活で一喜一憂する。

 そこを、引き戻してくださるのが、ほかならぬお同行の一言である。この厳しさの奥には、同じ泥凡夫としての温かさもある。虚仮不実の世の中にあって、せっかく人間に生まれたのである。ほんとうのことを、ただ一つのことを、外さずに聞かせてもらいましょう。そこ一つを喜ぶ身にさせてもらいましょうや。今回は、そんなお同行方の涙ながらの言葉、時に圧倒されるほどの厳しい言葉を、大いにお聞かせ頂いた。その生きた言葉の一つ一つが、どこまで皆さんに伝わったかはわからない。しかし、その一つ一つのお育てに、阿弥陀様の生きた働きをみる思いがした。そこが華光の喜びの源泉でもある。

 有り難いご法座でした。ありがとうございました。

 談笑しながらお茶を飲んで帰った。楽しかったが、おかげで大事なものをもらい忘れた。

 帰路の新幹線は、信号機の事故のために混雑しいた。東京行きは、止まっていて、名古屋駅も京都駅も、すごい混雑ぶりだったが、さいわい、少しの遅れですんだ。帰宅したら、華光会館の柵の事故証明のために、相手方と警官が現場検証をしていた。二度も、謝罪にこられて、逆に心苦しいほどだ。

 お礼の電話などし、ちょっと夫婦でやりあい、子供と遊び、プログを書いて、あとは寝るだけである。かくて、アッという間に、今生の生活にひき戻っていくのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『インランド・エンパイア』

 観てきました。リンチワールド。劇場では、「マルホランド・ドライブ」以来、久しぶりです。

 『インランド・エンパイア』 混沌とした180分の長尺でした。

Inlandempire_01_2  強烈にぼかしがはいった男女の密会場面。ウサギ人間たちの映像に涙する女。そして豪邸に優雅に暮らす、女優ニッキー・グレイス(ローラ・ダーン)。彼女の夫は、町の有力者だ。その彼女が、「暗い明日の空の上で」という映画の主役に抜擢され、ハリウッドのスタジオへ。監督(ジェレミー・アイアンズ)、もう一人の主演男優、デヴォン・バーク(ジャスティン・セロウ)。しかし、この映画はお蔵入りしたポーランド映画「47」のリメイク。実は、以前、主役の2人が謎の死を遂げ中止に追い込まれていた。それでも映画の撮影は進められたが、やがて彼女と男優は不倫関係となる。そして、彼女の周りで不可解な事が起き出し、現実と映画、そして幻想の世界が交錯しはじめる.ていく。果たして、現実か、映画か。時には、映画中映画まで交じり、過去が交じり、異国(ポーランド)が交じり、幻想か夢の中か。上流(セレブ)だったり、下流の売春婦だったりと、謎めいた、一種のフィルムノワール的世界が展開していきます。

 丁寧な画像が一転荒れた画像になり、調和的な音楽が不安を掻き立てるノイズ音や爆音になる。特に、中盤になるほど、ストーリーはある種の支離滅裂が高くなる。でも、メチャクチャではなく、どこか繋がっているようでもあり、いやまったくそうでもなかったりで、後のシーンを先で示唆していたり、違う方向から同じものを見せていたり、またはシンメトリーだったりもする。アイティムも、部屋も、番号や記号も、そして登場人物さえも、それぞれがどこかで繋がっているようで、まったく繋がっていないような塩梅。最後まで、謎解きはなく、観客が、それぞれの想像力をかきたてて解釈するしかないのでしょうね。

 マルホ同様、ダンスと音楽が面白かったですね。冒頭のタイトル、そしてラストのエンディングタイトルのダンスのシーンが、とてもCool。マイ・フェイヴァリスト・シンガーの一人、ニーナ・シモンのパワフルな歌声に合せて、長いダンスシーン、ちょっとカッコいいぞ。途中の、ロコモーションに合せたベタな踊りも○。

 好きな人は、メチャクチャ好きでしょうね。でも、詰まらん人には、この3時間はたいへんかもしれない。ぼくなりには、楽しめましたね。でも、1回見ただけでは、解釈的めいたことは語れませんわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『八宗綱要』凝念大徳

 最近、『無門関』(岩波文庫)と、『八宗綱要』(講談社学術文庫)を読み出した。

 ぼくは、一応、真宗学を専攻していたが、いまの大学の制度では、それ以外の仏教の宗派を勉強する機会はほとんどない。たぶん、仏教学概論程度のものが、卒業単位で必要なぐらいだ。旧制の大学では、真宗学を示す宗乗と、仏教学を示す余乗という体系があったが、細分化し、専門化しすぎで、真宗学を専攻するものは、他の宗派のことを何もしらないまま卒業することになっている。だから、「真宗以外の宗派の教義について、どれだけ知っているか」と、問われたら、唯識(法相宗)の勉強を多少している程度で、他に教義に関しては、みごとに素人同然だ。

Img_1008  たまたま、別の本(河口慧海の『チベット旅行記)』)を探して、同じ講談社学術文庫の『八宗綱要』を見つけた。そこで、父の書棚から、仏教学会編の『八宗綱要講義』を選んで、少し読むことにした。これは大正年間に書かれ、昭和2年に発行された古本の再版もの。いまも、法蔵館から新刊も出ているようだが、仏書専門店で、一万円前後で取引されているのだろう。

 さて、鎌倉時代の華厳僧である凝念大徳が顕した本書は、仏教諸派の教理を本格的に知ろうとする人のための適切な案内書として、古来より名高い。それが、凝念29歳の時の書物であるのだから、八宗兼学の早熟な天才だったようだ。

 ところで、仏教の八宗とは何か。いまの感覚では、浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗と、天台、真言などになるだろう。しかし、ここでは、平安時代までに中国から日本に伝わった仏教の八つの宗派のことである。つまり、倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗の"南都六宗"に、平安時代の天台宗と、真言宗を加えたもの。いわゆる、「南都北嶺のゆゆしき学生(がくしょう)たち」の学問である。この八宗の祖が、龍樹菩薩なのである。つまり、今日隆盛の浄土宗も、浄土真宗も、また臨済や曹洞の禅宗も、日蓮宗も含まれていないのだ。

 それは、本書が、鎌倉新仏教の興隆の最中に顕されたものなので、それらは既成仏教から敵対視される新興勢力にすぎなかった。それでも、無視できないほどの力も生まれつつあり(彼自身も、22歳のころ長西から、善導大師の『観経四帖疎』を学んでいる)、おまけ程度に、禅宗と浄土教の中国での概観が、巻末に触れられている。

 ただ、逆にいうと、法然上人や親鸞聖人の当時の、仏教学の概要、八宗の様子が本書を通して知ることができる。鎌倉新仏教が、華々しく日本的な展開をする最中、既成仏教の中からも、さまざまな逸材が輩出していることは、あまり知られていない。そう考えると、鎌倉仏教、日本仏教の重層的な深さ、ダイナミックさも窺えるのである。 

 まあ、せいぜい得意の三日坊主にならんように、毎日坊主をしていきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五山の送り火

 今日も、実に暑かった。40度を越す地域が続出して、とうとう日本最高気温も記録したようだ。京都でも、39度になったところがあったが、しばらく要注意である。

Img_1002 昼間、研修場で、会合を終えて降りてきたら、 玄関のアルミの柵が歪んで見えた。あまりの暑さで歪んだのか、それとも、暑さで目がおかしくなったのかと怪しんでいた。華光会館の事務所に、とんでもない力をだす御仁がおられるが、さすがの彼女でもここまでのパワーはなかろう。なんと、車にぶつけられて歪んだそうだ。それも知り合いの方。何かとお世話になっている製作会社が、本業のDVD(映画)撮影のための備品を運ぶ途中のことだったという。やれやれ、人的被害がまったくなくてよかったけれど、最初はわが目を疑った。

 夜になっても暑さは続くが、さすがに屋上にあがると風も抜けて、多少はしのぎやすくなっていた。

 今夜は、京都は、五山の送り火。 華光会館の屋上からは、松ヶ崎の「妙法」以外はよく見えた。それが、大きな建物に遮られ、メーンの如意ヶ嶽の「大文字」がまったく見えなくなった。一番大きく見えていたのに、残念だ。北区西賀茂の「船型」、 北区大北山の「左大文字」、そして、右京区鳥居本の「鳥居形」は、小さいながらも見えているが、鳥居の見え方がややや危なくなってきている。

 諸説があって、いつ、どのような形で始まったかが定かではない、謎の行事である。昔は五山ではなく、もっと多くあったようだ。日本人とお盆、先祖(死者)崇拝の民間信仰と深く結びついているのは確かなようだ。

 お盆も終わりである。

 でも、まだ数日は、かなり残暑が厳しそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

真カ研の世話人会

  終戦の日の今日も、猛暑の1日だった。

Img_0991  真宗カウンセリング研究会の世話人会が、華光会館であった。1年1度は、自由な話し合いの場を持っている。なぜか、西光先生がご存命のころはなくて、これで3年目になる。8月15日、丁度、お盆の最中だか、逆に、出席できるお坊さんもおられるのだ。

 今年は、前半は会報や会費請求の事務作業をおこなった。そのあと、フリーに話し合ったあとが、15分間だけ、完成マジかのDVDアニメ(仏さまのプレゼント)の試写会を開いた。直接、華光の集いに関わらない先生方もおられるので、客観的な声も聞きたかったのだ。皆さんの方が、その完成度を驚いてくださる結果となったようだ。

 おいしいご馳走を食べながら、いろいろな話題が出た。それぞれ異なるバックボーンを持ちながら、共有する認識もあるので、安心して、いろいろな話題が出せる集まりとなってきた。その一つは、みな、共に凡夫という人間観が浸透しているのだろうか。近々、ログハウスで合宿をしようとの話もでたが、残念ながら日程のやり繰りがうまくいかず、来年に延期になりそうだ。でも、研究会は、当面、細々でも、地道に誠実な活動を行っていくことになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ヒロシマ ナガサキ』

 京都シネマで、原爆に関する映画が、2本上映された。8月6日のヒロシマ、そして、たった3日後の9日のナガサキで、連続被爆した人達の証言を綴った『二重被爆』。

Hiroshimanagasaki_01  そして、日系3世で、短編ドキュメンタリーでオスカー監督にもなった、スティーヴン・オカザキの『ヒロシマナガサキ』だ。(原題、White Light-Black Rain)

 正直、いまさら、もう原爆のことはいいかなーという気分もしていた。

 でも、甘かったー。

 目を覆う衝撃的な映像と、耳を塞ぎたくなる証言が続く。

 ラスト近く、トランペッターの近藤等則と、黒田征太郎の絵画とのコラボレーションに合せて、なぜかぼくも涙が溢れてきた。

 構成は、いたって正攻法。

 冒頭、アメリカの映像を使って、ザーアと満州事変から始まり、真珠湾奇襲、そして戦局の流れが語られていく。

 そして、当時のさまざまな映像と、被爆生存者の証言が積み重ねられていく。被爆者だけのではなく、原爆を直接投下した、エノラ・ゲイに乗組員、同乗の科学者、カメラマンたち4名のインタビューも交える。やはりアメリカでは、「殺戮や戦争を終結するためのもの」との認識が根強いようだ。

 しかし、核兵器は、命や体だけでなく、心までもズタズタにする。人間の尊厳を木っ端みじんに踏みにじるものだ。黒こげで炭素化したり、白骨化した死体の映像が、そう証言する。

 そして、62年前のあの日のある出来事ではなく、いまもまだ生きている事実に深い衝撃を受ける。

 奇跡的に生き残った人達への、想像を絶する肉体的な苦しみに、さまざまな差別と偏見の眼、そして、「生き残ってしまった」という精神的な苦悩、さらに、国家の無策ぶりと、アメリカの人体実験(観察)・モルモット化という一面。さらに、未知なる原爆症の恐怖。彼らが口をそろえて言うのが、「生き残った」故の何重もの苦しみだ。

 また、原爆乙女とその際のテレビ番組での被爆者と、乗組員との出会いなども知らないことだった。

 プロパガンダとの批判的な声も一部ではあるようだが、まず事実を知らないとなにも始まらない。ゲームのような核戦争ではなく、きのこ雲の下であった大惨事の事実に目を逸らさないことから始まるのだ。そして、いま、ぼくたちに必要なものは何かも、自ずから見えて来るのだ

 この8月6日には、全米で放送されたという。

 地域は限定されているが、しばらく上映があるようだ。ぜひ、機会があれば、ご覧いただきたい。終了後、しばらく重苦しい気持ちで、言葉もなかった。(劇場の詳細は、上記の公式サイトから)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

後片付け

 子供大会の後片付けをした。準備に比べると、かなり楽だ。一人で、一日あれば充分。一年に一度、この子供大会だけに使う備品をおさめる。旧会館は、仏壇下の押し入れが定位置だったが、いまは、道場の左奥の押し入れがそうだ。もう何十年も前から同じ段ボールのミカン箱が、10箱以上ある。でも、おやつやつまみが減る分は、帰路の荷物は少なくなるが、ただし、準備では整っていたのもが、帰路はグチャグチャになって帰ってくる。

 それで、来年に向けて、荷物点検表に照らし合わせていく。邪魔くさいけれど、一人で丁寧に作業するほうが、気楽だ。水泳で使ったビニールシートや大型ボートなどを洗い、薬品も調べた。旗などももう一度畳み直す。不足したもの、来年用意するものを書き出して、準備完了。これで、来年の準備がスムーズに行く。

 残りは、決算と、写真の送付と、法話テープだ。ビデオの編集や感想文「はちす」の作成は、皆さんにお手伝いしてもらう。9月いっぱいをメドに完了の予定だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Los Aires(ロス・アイレス)のフォルクローレ

「南米音楽のライブが、急遽、決まったけれど、ノーチャージなので、どうですか」と、オーナーに声をかけてもらって、コーダルオンのライブに行きました。

Img_0983  Los Aires(ロス・アイレス) という、京都を拠点に活動中のフォルクローレのグルーブ。かぶりつきで聴いたけれど、とてもやさしく、哀愁を帯び、どこか懐かしい音色とメロディー。そして予想以上に、多彩なリズム。心地いい、時間が流れました。

 華光の同人の方でも、音を愛する人が増えています。自分で演奏する人もかなりいるけれど、音楽関係の仕事をしていた人、DJまでする玄人肌の人と、ぼくのように、JazzやワールドミージックのCDやLPの収集家もいるので、最近は、音楽談義になることもしばしば。まあ、そんな方には「釈迦に説法」。

 フォルクローレ。一般では、ちょっと聞き慣れない分野。でも、S&Gの「コンドルは飛んで行く」とか、俳優の田中健のケーナ演奏というと、皆さん聴かれたことがある。

 いわゆるラテン系の音楽。キューバに代表される中南米の多彩なリズムとダンス、地域大国でありながら、唯一のボルトガル圏のブラジル音楽、そしてアルゼンチンのタンゴなど、日本でもメジャーになっているものも多々あります。で、その南米の音楽を一口で形容すると、「熱い」!。文化的な、歴史的な紆余曲折を経て、融合、交わりと、新たな派生を繰り返しながら、発達してきています。

 で、古くからのアンデス地方(ペルー、ボリビア、アルゼンチン、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、チリ)などのアンデス山脈周辺の先住民と、スペインの音楽が融合してたもので、日本人にも、懐かしい音色がするものが多いようです。地域によってその特色があって、リズムもいろいろあるようでした。

 特色のある楽器もいろいろ見せてもらいました。

Img_0985  竹や葦、骨製で作れる、アンデスに古くから伝わる縦笛、ケーナケーナと並ぶ有力な管楽器、サンポーニャ。3管を束ねたシンプルな構造。 

Sub3_album_image_10  なかでも、コロンビアのギター(クラッシクギターより小振り)、「ティプレ」。普通のギターが、6コースの1弦なのに、4コースの3(トリプル)弦の12弦。ちょっと、多重録音された音のようで、奥行きのある音色でした。

Img_0986 にも、アルマジロの甲羅で作れるチャランゴ」(日本では気候の関係で木製)も、5コース2弦の10弦。

 ほかにも、山羊のヒヅメできたパーカッション(チャフチャス)を鳴らして、ぼくらも、ちょっと参加させてもらえて、楽しいライブでした。

  彼らのCDも購入しましたが、ほとんどがオリジナル曲。また、有名曲だけれど、「君の影になりたい」という、タイトルからして素敵なワルツ調の曲が気に入りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お盆参り

Ujif040 それにしても、今日も暑かった。京都は、38度近くまであがって、猛暑というより、酷暑。太陽がジリジリと照りつけた。

 今年も、お盆の担当は、宇治、伏見方面の3軒のお盆参り。伏見の御香宮から、桃山御陵と乃木神社の深い緑の道を抜け、宇治川の流れに沿いながら、宇治橋を横目に宇治市内へ。昨夜の、宇治川の花火大会の余韻が残っていた。有名な平等院も近く、観光客で混雑していた。

 お盆といっても、年忌法要なみに丁寧にお勤めする。家族の方と一緒に、ゆっくり勤行を30分。そのあと、15~20分くらいご法話をして、あと質問や雑談があるので、1軒が70、80分かかる。

 毎年、仏の子供大会直後なので、子供大会のテーマのご法話。今年は、「自分を知る」ということ。

 人間(動物も)の眼は外を見るためについていて、うち(自分)を見ることは難しい。外見ですら見えるのは一部。背中、顔、頭と、死角だらけだ。そのためには、録画や写真、鏡を使わないとわからない。しかも、そうして見た自分はどうか。自分の録画された声を嫌ったり、ビデオの自分に戸惑ったりするの場合も多い。理想的にある自画像、若いままで止まっている自画像とのギャップに、現実を否定することもある。しかし、そんな自分を受け入れることで(これすら、ありのまま受容するのは至難だ)、開けて来る世界がある。

 では、自分の性格はどうか。また、表面的なこころの動きはどうか。やはり、死角がある。他人の教えてもらう。でも、その他人の声を鏡にすることが難しい。特に、よく自分を観てくれている親や連れ合いの忠告ほど、嫌なものはない。しかし、時に、そのことをきっかけに、新しい自分に出会うことができる。

 でも、ここまでは、道徳的なこと。自分も知らない、他人にも見えない、自分を知らせてもらう。それが、仏様に照らされたほんとうの自分ということだ。これは、大悲、大智の仏様の鏡の前に立たないことには絶対にわからない。

 ますます、この自分を受け入れること。いや、聞き届けることは、難中之難だ。善人だと自惚れ、いつまでも自分があると、轉倒している。悪人とも、無常とも、無我とも思えないのだ。ましてや、仏智を疑っている、無明の塊であることすらである。

 仏様の「経(きょう)は、教(きょう)であり、鏡(きょう)である」というのは、善導さまのお言葉だ。まさに、仏様の教えを鏡として、自分を知らせてもらことが仏道だといっていい。

 ご法話の反応はさまざまだった。無反応のおうち、雑談に流れるところ、さらにいろいろと質問がでたところと、三者三様。でも、N家の、若夫婦の反応が、すごくよかった。もう一歩。なんとかご縁をつかないものかと願っている。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今年の夏休み

 仏の子供大会が終わって、簡単に後片付けすませて、2泊3日の家族旅行にでた。

Img_0957  例年は、6月下旬ごろの閑散期に南の方に旅行することが多いが、今年は、あまり無理できず、近場で泳いだ。

 京都の丹後半島、水のきれいな海水浴場で泳いだ。行きは、高速を使ったので、京都市内から、大阪、兵庫を通って、また京都府内に入ってうコースをとった。同じ京都府といっても、かなり遠い。交通事情もあって、4時間近くかかる。

Img_0959  晴天に恵まれて、絶交の海水浴日和。かなりの遠浅で、砂の目の細かい夕日ガ浦の浜詰海岸で泳ぎ、泣き砂で有名な琴引浜を通って、聖徳太子の御生母ゆかりの間人(たいざ)の海水浴場で、少しシュノーケリングをした。大きな魚もいて、かなり楽しかった。

 Img_0948それにしても、猛暑といっていいほどの暑さ。いまも日焼けした肩が熱いけれど、子供と旅行すると、その成長がかいまみられて、うれいしいものだ。4日間は、華光の子供たちとだったが、この3日間は、わが子と楽しく遊んできました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仏の子供大会⑵~ハブニング続き~

  仏の子供大会は、今年はハブニングが続出した

Img_0823_2  前日の台風の接近。天気にやきもき。前泊組が増えたこと。

 その夜、わが家でも、下の子が、ちょっとしたトラブルで、0時を回ってから、日赤へ緊急通院。まったく思い過ごしで、おわったけれど、ほとんど熟睡できないままの参加となった。

 しかも、天候不安定で、水泳と追ハイの変更に追われ、その追ハイも、途中で、雷鳴と土砂降りの雨で、急遽中止となった。12、3年まえの山科の子供大会以来。その夜は、、器具を忘れて、あやうく地獄のスライドができなくなりかけたりもした(応急で対応)。

Img_0820_2  そして、無事に終了して、みんなを送り出し、後片付けをしていたら、バスが遅れて、予定の電車に乗れず、30分以上の遅れ。あわてて、保護者や華光会館の対応に追われたりと、ハプニングが続出。

 てなことを詳しく報告したのに、アップを間違えて、テキストが消えるハプニング。ザッと書きました。ゴメンなさい。

Img_0817_2  どんなに用意周到でも、天候や交通状況まではおもうどおりにはなりません。しかし、病人も、けがにもなく、無事に終了してなにより。保護者の皆さんか、続々お礼のお言葉をいただき、これもまたやりがいがあるものです。

 田んぼと山に囲まれた、会場の雰囲気をお味わいください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

仏の子供大会(1)~毛穴からしみこむ法~

 今年の仏の子供大会も、無事に終わりました。

  いやー、やっぱり、子供大会はいい。最高です。楽しくて、有り難くて、久しぶりに超弾けて、爆笑を誘って…。第一、テレビも、ネットも、新聞もなく、携帯を持たない僕は、この4日間だけは、世間の常識を振りかざして、「ああせい、こうせい」という今生事から解放される(もちろん、皆無とはいいませんが)数少ない時間。みんな、如来様に統一されている世界です。

Img_0811   遊びを通じて、凡夫丸出しを姿を通じて、しかし、毛穴から、ご法がしみこんくる。そんな人達が、小学生、中学生で副班、班長、高校生のお手伝い、そして大学生の先生となり、法話をし、中心メンバーとなり、親となり、その子が参加し、その子供がまた班長となり、お手伝いをして…という連続無窮のご法の働きが、お手伝いする、この身を通して感じさせていただきます。

お手伝いの先生方、参加してくださった子供たち、そして保護者の皆さん、また、子供基金等で援助くださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

Img_0835 ぼくも、もう子供大会は、40年近い参加。一緒に帰って来た、最古参のS君と、裕子を交えて、しばし、子供大会談義。かのS君、まだ30少し過ぎですが、20年のお付き合いになる箱館山のよしの家さんの、最初の時(その前の神鍋も、和歌浦の思い出もあるそうですから、これはすごい)から参加しているそうです。彼も、また子供大会の申し子だなー。いまや、お笑い部門、一部、セクハラ部門ももちろん、若い先生方の信頼もバッチリですね。

予定変更に、トラブルに、前日の個人的なハブニングにと、いろいろあった子供大会でしたが、おかげで、元気をいただいて返ってきました。これで、しばらく、華光の大人の人たちと接するエネルギーをいただたました。

今年も、自分のための、仏の子供大会でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ベルイマン、アントニオーニの逝去と、アルトマンと。

 小田 実氏の訃報に驚いていたら、スウェーデン映画界の巨匠、イングマール・ベルイマン氏の逝去が報道された。『野イチゴ』とか『処女の泉』とかね。でも、ぼくがリアルタイムで、劇場で観たのは、今年封切られた『サラバンド』のみ。89歳ですか。最後まで現役。しかも、「やりつくした」と引退していた映画を、20年ぶりに最後作品は、公言どおり遺作となりました。

Sara  頑固な祖父と、何十年ぶりに再会する元妻、勘当同然に父に嫌われる前妻の息子と、皆から愛されている才能ある音楽家の娘、家族4名のお話。それぞれが人を替え、二人ずつ組み合わせで、幕間のある舞台のように進行します。とても強烈な家族の葛藤、確執が、相手を言葉や態度で、拒否し、罵倒し、または受容し、愛を語る、強烈なメッセージとなって伝わってきます。ここまで露骨に感情を吐露するのは、ちょっと不快感(結局、カタルシスでもなんてもく、そのネガティブな感情にドンドン巻き込まれて、不信感や不安感が募って、ますます混乱しかねない)もあるけれど、一方で、その剥き出しの憎しみが、深い愛情と違順して、サラバンド(バッハ無伴奏チェロ組曲第5番の第4曲)として、伝授されるくだりは見事。風景といい、なかなか重厚な遺作とでした。

 ぼくには作風が違うようにみえるけれど、彼の影響を公言して憚らなかったロバート・アルトマンといい、80歳を超えても、現役で、最後の最後まで、意欲的に、クリエーティブな仕事をしている現代進行形の巨匠の訃報が続きます。アルトマンも、今年、封切られた『今宵、フィッツジェラルド劇場で』が、遺作。こちらは、冒頭から、映画らしい雰囲気をもった、心温まる音楽映画。メリル・ストリープ、リリー・トムソン、ケヴィン・クライン、トミー・リー・ジョーンズなど、脇役にも豪華俳優陣ずらり。テレビ全盛期に、30年余り生き延びたラジオの音楽バラエティショーが、オーナーが変わって、今夜が最後の公開生中継。その舞台裏を描いている。ユーモラスに、時に残酷に、古きよきアメリカを彷彿させながら、悲喜こもごもと描きだされます。M・ストリープのカントリー風の歌声や、コミックソング風の方、そして大人の掛け合いも面白く、楽しく、すこし切なさも残る1本。

 さらに、イタリア映画界の重鎮、ミケランジャロ・アントニオーニ氏の逝去も報じられた。奇しくもイングマール・ベルイマン監督と同じ、7月30日。こちらは、94歳。しかし、90歳を過ぎてからも(最後は奥さんが仕上げたとか)、ウォン・カーウァイ、スティーブン・ソダーバーグという映画監督に呼びかけて、3人で愛とエロスについてのオムニバス映画が最後となった。『愛の神、エロス』

Tn_eros_01  世間の評価も同じでしたが、第1作の「The Hand」が秀逸。60年代の香港を舞台にした、若き仕立屋見習いの、高級娼婦への(仮縫いという手だけを通じての)プラトニックな恋。コン・リーの華麗さ、妖艶さと、悲哀が滲み出たなかなかゾックとする作品だった。おかげて、変化球で攻めた、モノクロの夢と無意識を扱った、第2話のスティーブン・ソダーバーグの「ペンローズの悩み」の印象が薄くなった。最後が、ミケランジェロ・アントニオーニ。真夏のトスカーナを舞台に、結婚生活に行き詰った夫婦。夫が、塔で暮らす不思議な女性、リンダと関係を持つ、「危険な道筋」。まぶしい太陽のもと、美しい肢体を惜しげもなく見せてくれました。それぞれが、「純愛」、「悪戯」、「誘惑」といった独自の視点から、愛とエロスを描き出したコラボレート作品。この3作品をつなぐのが、ロレンツォ・マットッティの絵画と、カエターノ・ヴェローゾの例によって、繊細な音楽(このサトルさがぼくは好きだなー)。

 80歳を過ぎても、創造的な作品を作り続け、最後まで燃焼しつづけた、3名の巨匠を偲び、それぞれの遺作作品の紹介となりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さて、いよいよです

 いよいよ、明日から3泊4日の仏の子供大会。

 実は、もう始まってます。今年は、なんと朝から、子供さんを預かることになって、夕方には、もう一人。夜には、先生も来ました。台風の影響を受けそうな、福岡、広島、米子の皆さんです。

 今日は、変更が相次いで、ドタバタ。会場からも、湖西線の強風を心配して、昼食のキャンセルの相談があったかと思うと、初日、遅れて来る変更とか、「熱出して、決定は明朝」とか、途中抜ける時の交通の相談に、「遅れて来るので迎えお願いします」という人。予定変更で、早退の可能性のある人と、前日に、これだけ変更も珍らしい。

 さあ、もう一息準備。明日から無事に始まるといいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子供大会2日前

 このところ、法座などもいろいろあって忙しくして、少し体調を崩した。日曜日の準備会のあと、みんなと遅い夕食をとった後、一晩中、ひどい下痢に悩まされて、眠れなかった。翌朝には収まったが、朝には、皆から「右目が腫れてますよ」と言われて、「寝不足だってね」と話していたが、今朝起きると、まるでお岩さんみたいに、右目が腫れ上がっているあわてて眼科に行くと、「バイ菌がはいったもの。2、3日薬を飲めば収まりますよ。他にはうつりません」とのことで一安心。どうも、疲れから免疫力が低下しているらしい。

 でも、子供大会の2日前。いよいよ準備も大詰め。もう一頑張り。

 今日も、朝から、助っ人4名を加えて、おかしやつまみの買い出し、紙芝居を借りたり、事務用品の買い出しをした。40人が4日間、事故なく、快適に過ごすための荷物の準備である。朝から夕方組の4名が一端帰ったあとで、別に1人、2人と顔出しがあって、夜まで作業が続いた。ぼくは、朝からズッーとなので疲れたけれど、おかげで9割方以上は終了。明日は、薬をチェックして、車に荷詰めをする作業が残っている。あとは、個人の荷物か。

 ところで、昨年の子供大会2日前(昨年は、8月2日)のブログを読んで大笑いした。

 眼科に行った以外は、昨年の仏の子供大会の2日前とまったく同じ様相だからだ。朝、荷物をに担がれているような長女を出身幼稚園の2泊3日のキャンプに送り出して、先生方と準備をして、いろいろな親がいるなーと感心してと、まったく同じような作業をこなしている。まあ、当然といえば、当然かも。ただし、他の事務の方は、東京講演会の案内などの準備。こちらも、おおむね順調で、申込みも好調だ。ちなみに、昨年の8月は以下から。「いろいろな親がいる」といエントリー。ウーン、今年も納得。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/index.html

 でも、昨年と一つ違うところは、台風の影響が少し心配されるところか。今年は、壮年の集いといい、台風づいている。9月の東京の天候を心配するのは、ちょっと気が早いかもしれんけど、ここまで準備をしたのである。とにかく、無事に始まってほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »