華光誌発送しました
今日は、京都支部3名の有志の女性方に助っ人をたのみ、7名で華光誌の発送しました。今回は、巻頭言と、聖教のこころを書いています。また、同封されている案内が多いので、ぜひお目を通してください。
8月3日 (金)~6日(月)のある「華光仏の子ども大会」の案内状。ご縁がない方でも、お孫さんなどにもぜひお勧めください。
9月15日(土)~17日(祝)の「東京公開講演法座」の案内状と、16日(日)の「公開公演会」のチラシ。
また、人によっては、7月15日(日)~16日(祝)の「壮年の集い」の案内状が同封されています。
いろいろと同封物が多くて、思いの外、時間かかりました。メール便の受取り時刻にかさなり、業者が「明日来ます」と、危うく明日の発送になりそうなところを引き止めて、セーフ。お手元には、早くて明日。普通は、2~3日かかると思います。
夕方から夜にかけては、いろいろな人に電話で話しました。もちろん、それぞれ用件があってのことですが、先日初めてあったばかりの華光以外のお寺様、、華光を離れてどうされているのかと思っている方、ここしばらくご無沙汰の方、または、ちょっと気がかりな方にと、その用件は、ご出産のお祝いだったり、法座のお知らせだったり、原稿のお願いだったり、時には相談だったり、またはブライベートな用件だったり、ほんとうにさまざまでしたが、いろいろな方の声が聞けただけでも、ちょっと気分変わりましたね。「袖触れ合うも多(他)生の縁」。自分が意識しないだけで、実に、さまざまな方と、いろいろな形で、ご縁を結んでいるですね。(縁をよろこんでるだけですが)、自分の自性からいうと、不思議なことです。しかも、ぼくの場合は、その大方がその中心に「法」があってのこと。ただ、その「法」の向き会い方、とらえ方、意識の仕方は、それぞれで、そこの違いだけとらえると、「東じゃ」「西じゃ」「今生事だ」「縁他力じゃ」と、自分の小さな物差しで峻別をやってるわけです。
もちろん、廃立の大事さは外さないけれど、下手すると「お山大将ぼく一人」と独善的になるおそれもある。その意味で、あくまで個のレベルではそこを押さえながらも、少し寛容になる必要性も、最近は実感しています。
今回の壮年の集いの分級でも、皆さんが愛想を尽かした長年の求道者と、かなり気長に関わったことに触れられる方があって、「若い時は、あんな場面ではもっとイライラされてましたね」と指摘されました。いや、ほんとうそうですね。多少は、ぼくも丸くなってきたのかもしれませんねー。まだまだ勉強中ですが。
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