シベリア抑留問題のほんの一旦
朝から、小雨。それでも自転車で、五条河原町の「ひと・まち交流館」へ、自力整体に。おかげさまで、次々と行事や法座が続くわりには、元気に過ごさせてもらている。何年かかけて、体質改善に勤めた成果が現れているのだろう。一方で、じわりじわり「老い」が迫っていることも、体で実感する年齢になったので、なおさらだ。今日は、10月が初産という妊婦さんの隣で、体を動かした。からだがほぐれると、気分もほぐれる。
帰路、ロビーを通ると、、「シベリア抑留展」の案内。その素朴な手作り感に誘われて、ちょっと覗くことにした。高齢の男性数人が、受け付けにいたが、だれも見学者はいない。壁新聞並の手作りの展示や写真を見ていると、ビラをもって、世話役の男性が話しかけてこられた。しばし立ち話。この問題も、急速に、高齢化と、風化が進んでいるようで、法廷闘争の最後の機会になるといわれていた。もちろん、左翼的文脈、右翼的文脈に絡み、戦後の国際的な政治問題もはらんで、国内的にも複雑に関わる問題なので、なかなか軽々には語れきれない点もある。(この展示の支援も、某政党がからんでいるのだろう)
しかし、『蟻の兵隊』の山西省残留兵の問題も、従軍慰安婦問題も、そして沖縄戦集団自決の「軍命令」をめぐる教科書検定の問題も、同じ根にあることは確かだ。法律的には「命令」はなかったという権力の論理と、その銃の権力の支配下で、他に選択の余地などなかった民衆の悲劇という構図だ。しかもそれらは、原爆投下までが「しょうがなかった」の一言で済まそうとする権力の気質で、抹殺されようとしている点も同じ。(それにしても、久間前大臣の発言はお粗末。その首相のコメントのズレ具合、「閣僚からも批判の声があがっています」という報道で聞いた閣僚のコメントの焦点がボケ具合-「選挙前なので、言動には厳重に注意する必要がある」。選挙前だから注意という政治家の認識が、もう庶民感覚からはほど遠い。)
スターリンとの密約があったにせよ、ないにせよ、戦争で泣くのは、いつも民衆側である。満州しかり、沖縄しかり、上層部は、無責任にも、棄民、棄兵してまでも身の保全のみを画策し、決して民衆を守るための軍隊などは存在しないのだ。その意味で、今日の「大切な、愛する人や、国土を守る」という美辞麗句で語られる再軍備のムードは要警戒だ。
当日の抑留生活の遺品やスケッ
チと合せて、いまなおシベリアの原野に残る遺骨の収集作業の様子を伝える写真が展示されていた。この無名の無数の舎利頭を踏みつけた上に、今日のぼくたちの繁栄があることだけは、まぎれない事実である。
外に出ると土砂降りになっていたが、自転車で次の目的地へ。
展示品の写真撮影や、ブログ掲載を了解してもらったので、少しここに紹介する。京都新聞にも記事が掲載されていた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070628-00000001-kyt-l26
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