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生きた宝石

 子供大会の法話検討会を兼ねた仏青の法座、広島での真宗カウンセリング学習会と、法座が続いたが、折悪く、ブログのメンテナンスと重なって、エントリーができなかった。ちょっと振り返りです。

 22日(日)。今日は、仏教青年会の法話検討会。8月の仏の子供大会に向けて、若手先生方が、交代で法話をしてもらう例年の行事。若手先生による、15分程度の法話だが、これが思いのほか感銘深い。あまりいい法話なので、法話会だけなら、仏青以外の方にも開いて参加してもらいたい。ぜひ来年は皆さんにも呼びかけよう。

 さて、今年のテーマは、「自分を知る」。「こころの勉強」と並んで、子供大会を貫くメーンテーマというべきものだ。しかも、子供大会の法話は、1回、1回が完結していると同時に、5回のものがそれぞれ連なり、1つの完成した法話といってもいいものだ。

 法話は、縦糸にテーマ(今年なら「自分を知る」)、横糸に個別のテーマ-つまり、開会式が、導入とテーマの提示。2日目朝が、罪悪観。3日目朝が、無常観。4日目朝が、後生の一大事(因果の道理)。閉会式が、仏さまの救いというふうに、5名が、個々の特徴を生かしながら、ひとつのテーマを織りなしていく。

 子供向けと侮るなかれ。これが、子供大会当日になると、内容や小手先以上に、いかんなく実力が発揮され、ご法の重みがひしひし伝わる、尊く輝く法話となる。

 いまは、その準備段階。まだ検討中のものもあったが、今回の法話会はベテランの先生が3名担当。さすがの内容だった。子供たちに流行っているプロフィールメモを使って自分を知るこを身近に、とても堂々した口調で伝えてくれた人。淡々とした話し方にも、日航機事故の「遺書」を手がかりに、予想も、予定も立たず突然襲う無常の本質を、重みもって伝えてくださったご法話。そして、最後は、端的にからだ使って、たったひとり真っ暗な、寂しい世界に出かけていく者が、阿弥陀様のお救いに会うことを、体験的に知らせてくださるご法話。

 一つ、一つもさることながら、三つをまとめて聞かせてもらえて、さらに厚みのある法話会となった。欲を言うと、例年、1、2名加わる新人、大学生のデビューはなかった。その点、新鮮さにはかけるが、先生方の驚くべき成長ぶりに目を見張られたのだ。

 子供大会、いや華光のこれまでの歩みの確かさ、そして、これから進むべき道の確かな指針が、法話をされた彼らの姿にある。吹けば跳ぶような小さな、しかもなんの財産もない華光の集いではあるが、実は、こんなすばらしい生きた宝石を確実に育ててきたのである。誇らしい彼らと、さらにその後に続く原石の輝きを、まぶしく感じた瞬間。

 同時に、ぼく自身の歩みに間違いがなかったことを教えられた瞬間でもあった。そう、たとえ困難があっても、顔をあげ、胸を張り、さらなる歩みを続けていこうという力が漲ってきた。

 法話会の後、子供大会の打ち合わせ会。その後、静かなカフェでの慰労会は、みなリラックスした、楽しい一時を過ごすことができた。これも、子供たちや、仏青の皆さんへのご法の相続を願う方からの篤いご喜捨の賜物である。あらためてお礼を申し上げます。「皆さん、ありがとう。子供大会頑張ってきます」。

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コメント

おはようございます。今年は念願の子供大会デビューをする予定です。そう娘の稜季がです。これを機に私のハンドルネームも「稜」に改名します。娘はこども大会を楽しみに心待ちしている様子が伺えます。ありがたいことです。かりもんさんの子供大会法話の話しをお伺いして、あらためて子供―大人、老若男女に関係なく、ひとりの「わたし」にかかる大きなはたらきをしっかり聴かせていただくことの大切さを痛感します。人間に「生まれてきた」ことの不思議、いわれをしっかりと。人にしか聞けないご法であるということを。今回は妻も行ってくれる様子です。(私は遠慮して)妻に会えたこと、娘に出会えたことの幸せに感謝します。分かりあえる世界はひとつ。今生ではわたしの煩い心ひとつで、どうにでもころぶ。今、生かされていきる身を、人間に生まれてきたいわれをしっかりとわかちあいたい。そんな思いの今朝のブログでした。いつも金言をありがとうございます。よろしくお願いします。

投稿: 稜 | 2007年7月26日 (木) 07:31

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