7月23日・24日と、広島真宗カウンセリング学習会にお招きいただいた。
毎月、広島の法座には出ているし、別院の近くで、ボイス・トレーニングを受けているのだが、広島別院はご縁がなかった。横川駅から5、6分も歩くと、それらしい大きな伽藍が見えてきた。でも、そこからが一苦労。隣も、隣も、さらにまた隣も、浄土真宗の大伽藍が続いていている。さすが広島、寺町である。「別院前」のバス停をから、隣のバス停まで出てしまったが、わからなかった。車で通りかかったお坊さんを止めて、「別院どこですか」と尋ねるしまつ。どうせ、例の選挙ポスターがたくさん張ってあるところが入り口だろうと思っていたが、その道路に面していなかったので、何度も通り過ぎていたのだ。いや、お坊さんだって、迷いまくるのである。
意味のない余談はこのくらいで、一気にマジなお話へ。
西光義敞先生がお亡くなりになる直前のことである。入院の朝、お電話がかかってきた。「出講依頼は、すべてキャンセルしたが、DPA広島真宗カウンセリング学習会は、真カ研から誰か出講してほしい。また先方とも相談してほしい」、という内容だった。そのあと、「お世話になりました。ありがとう」と、とても丁寧なお礼の言葉をいただいたのが、今生での先生とのお別れとなった。
それだけに、ぼくには、DPA(Dharma Based Person Centered Approach)の冠がついた広島真宗カウンセリング学習会は、先生の遺言のような気がするのである。
西光先生のあと、M先生が引き継がれ、皆さんをお育てくださっていた。お坊さん、坊守さんを中心に、華光の広島同人方も、かなり存在感を示されていた。特に、ここでもおなじみのTネコさんがお世話されている、ミニカウンセリング学習会「みみずくの会」を通して、実践的にカウンセリングの、特に傾聴する精神に触れられていることがよくわかった。
それで、今回は、寺院での座談会に生かせる、実践的な真宗カウンセリングの精神が宿る法座のあり方、生きた法座の例を、華光会で実践中の小生にお尋ねくださったという次第である。お寺さんでも、現状の布教活動や法座のあり方に危機感をもっておられる方も多いのである。
ほんとうにうれしいことではないか。
それで、特別講演のテーマは、 「私の考える実践的真宗法座論」とした。講演会だけれども、一方通行ではなく、参加の皆さんに添いながら、その皆さんの意向を場に出していただき、それを受け止め、温めて、場の雰囲気が醸しだすエネルギーが何か動いて、お話できることがあればと思った。
ぼく自身が、リラクッスして、自分を開いて臨めたこともあってか、発言が次々と続いて、このまま体験学習に入っていい雰囲気もしたが、43名と人数も多かったので、6名ずつの7グループに分かれて、BAZZ風のセッションにした。 カウンセリング云々ではなく、発想法の一つである、ブレーン・ストーミングを取り入れることにした。華光の講習会で何度か行っている。
これは、(1)全員が協力する(ひとりしゃべりは厳禁)、(2)発言を遮ったり、批判しない、(3)私メッーセッジを使う、(4)小さな声も大切にする、(5)活発討議する。(6)まとめる、集約する。とぼくなりに応用し使っている。
ほんの入り口なのだが、自分のところを否定されずに、安心して受け入れ、聞いてもらえる喜びを体験のほんの一端を、また、相手のところに、じっくり耳を傾ける、傾聴するという体験のほん一端をしてもらいたいのである。 同時に、特定の誰か(時に、僧侶、有力者、先生)だけでなはく、誰もが口を開くことで、その場の主人公になれるのであるから、場の雰囲気が停滞するわけがない。また、そのグループへの責任を皆が、負うことにもなるのである。
そんなこんなで、2時間ほど、最後にボソボソまとめをして終わった。当然、講演を聞きたかったという不満の声も届いてきたが、それも受け止めた上で、オープンで、建設的な雰囲気の集いとなった気がした。
あまりにも長くなったので、とりあえずはここまで。少しだけ感想は明日にでも。