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広島のDPA(3)

 いま、いろいろなことがぼくの心に去来している。今回の集いが、毎回、毎回雰囲気が違ったように、ぼくのなかでも、いろいろな人とお話するたびに、こころが揺れ、定まらない。寝る前と、朝起きただけで、考えていることが変わっているのである。そして一通のメールや電話、手紙、または直接の顔をみるだけで、気持ちや思いは、コロコロ変わるのである。すぐに傷つき、腹が立ち、防衛したり、攻撃的になり、ちょっとおかしくなったんじゃないかと思うほど、ブレまくるのである。そう、連れ合いの絵ブログじゃないけれど、confusionなのである。虚仮不実そのものの自分をいやというほど感じる。無常とは、わが身そのものである。

 そんな時に、今回のお話をいただいた。これは、どんな意味があるのかと、ぼくの腹に返して味わっているが、まだハッキリした答えは返ってきていない。

 しかし、必要な時に、必要な形で、何かが開き、動きだし、そしてつながり出した予感を、何名かの方と共有できたのかもしれない。それが同床異夢で終わるのかどうかはわからないけれど、ぼくの中には、まだボンヤリとしているが、これからの法座や真宗の集いの姿がおぼろげに浮かびつつある。伝統を踏まえながら、殻を破って新しい世紀に相応しい創造的な法座を目指すという可能性を実感しているのだ。もちろん、今回はそんなところまで踏み込めなかったけれど、そのために、浄土真宗のお寺さんにも、正しく華光の活動を理解していただき、共にご法を中心に、手を携えることができればと願っている。

 その動きは微妙で、小さいけれど、大切に育てていきたいものだ。

帰路の新幹線で、M先生といろいろと話し合ってきた。役得で、先生の真宗カウンセリングを受けてきたのである。京都駅に着く頃には、温かい、溢れ出る涙を押さえるのに苦労していた。先生の受容的な態度を通して、法蔵菩薩の涙に触れたのである。

しかし、自宅に戻り、寝て、起きて、いろいろあって、また寝て、起きて…。またまた気分や気持ちはコロコロと変わっていく。もちろん、そこをいくら追いかけても、虚仮不実とわかりつつも、やめられない。泥凡夫そのものだ。でも逆にいうと、そこがゴールではなく、常に何かのプロセスでもある。いま、ここでの、自分しかない。そこを大切にするしかないことも、聞かせてもらた気がしたのだ。

いまの気持ち以上です。

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コメント

ありがとうございました。
今回は、いろいろなことがつながってる、つながっていく感じを受けました。
そして、ブログにも書かれていましたが、「自分自身を
広く、深くみつめていく」ということを体験させていただいたように思います。
1日目は落ち込んで、布団にもぐりこんでしまいましたが、それで先入観や、思い込みや、自分勝手な想像をして
聞いている自分を知らされます。「痛み」をともなう体験でした。

投稿: Tねこ | 2007年7月29日 (日) 20:29

Tねこさん>いつもありがとう。そうですか。いろいろと体験されたんですね。
また仏の子供大会もまもなくです。楽しみですね。


泉子さん>ここでは、はじめまして。いろいろ検索して探してくださったんですね。うれしいです。
まあ、出来ることしかできないけれど、目の前にある出来るrことをを、誠実にやらせてもらうだけですね。それしかないです。

ますますのご活躍を期待しております。
(たぶん、あの方だと思っていますが、もしよけれど、以下にもメールくださいな。確実にぼくに届きます。もう少しお話できるかもしれませんね。)

keko-kai@mbm.nifty.com

投稿: ありがとうbyかりもん | 2007年7月29日 (日) 23:33

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