華光誌編集作業が大詰め~聖教のこころは~
華光誌の編集作業が大詰め。
できれば、7日の木曜日には、印刷所に渡したい。
今日は、誌上法話の校正と、その他の頁の編集で、40頁が出揃った。
1段のウメグサ(たとえば、テープとか、死亡通知などお知らせのアキ)が、あと3ケ所。一つは、テープ。もう一つは、死亡通知で、小さな1ケ所が未定だけど、「壮年の集い」の案内にしようかなと、考案中。
「目次」と、「聖教のこころ」は完成。聖教は、最初、歎異抄の第3章を書いていたけれど、広島の車中で、「往生要集」の大焦熱地獄の文に変更した。
自らの業風で誘われる世界は、自らの業の縄で縛られて、そして自らの業火によって、無量百千万億無数の間、常に焼かれ尽くされていく大焦熱地獄の入り口。その間、ただただ、苦しみ、悲しみ、愁い、畏れる罪人の啼き叫ぶ苦悩の声のみが、響き渡っているのを聞くのだという。
何一つとして、自らの三毒五悪の結果にほかならないものはない。貪り、惜しみ、盗み、怒り、恨み、殺し、犯し、そして、因果の道理を信ぜず、仏法を誹り、それを説く僧や尼僧を傷つけ、穢している。わが身の現実を聞けよとの大悲のお示しである。
恐ろしいなー! 後生を「感じる、感じない」「信じる、信じない」にかかわらず、自ら犯した罪業のよる、苦しみと、悲しみと、後悔の、啼哭の声のみが響き渡たる暗黒の世界が、まさに私の一歩先の足元に開いていることが、仏眼にはクッキリと写っているんだものー。
「南無阿弥陀仏」を、今、聴くしかないんだ。
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