かなり興奮しました。
土曜日の「ワールドワーク研修会」、久しぶりに興奮しましたね。
これまで学んだり、法座で実戦していたことの、自分自身の取り組んできた、方向性に間違いがないことがわかった気がします。言葉だけでなく、体や態度、空気のようないろいろなチャンネルを使ってアプローチしてきたことや、その場で起こっていることが、なんらかの意味をもつことなど、改めて位置づけてもらえました。これはもう少し本格的に学ぶ必要があるなと、なんとか8月に関東である3泊4日のワークに参加できないかと、いま、意欲を燃やしております。
それに、自分自身の内面の課題にも、かなり取り組めた気がします。
ぼく自身は、なにも変わっていない。やっぱり、「カチン」とくる。「ドキッ」とすぐに傷つくし、腹立つし、(傷つくことを)畏れているこころもいっぱいあるし、いいかっこしたいし…。でも、なにかが、はっきりとシフトした感覚だけはあります。抑圧されてきたもの、抑圧してきたもの、そのあたりが、とうとう動きだしたか!ということですね。なにかとてもうれしいです。
もう少し、言葉にしたいけれど、今日もいろいろあって疲れました。
終了してから、皆さんとお茶を飲みにいき、すぐに東海支部の蒲郡に向かいましたが、前夜祭の飲み会でも、けっこう興奮して饒舌だったしょうね。身振り手振り交えて、自分の動きを再演してたんじゃないかなー。
東海支部の法座も、初めての方がお出でくださって、よかった。三毒段の、「人生の苦」の実体について、かなり具体的に聞かせてもらいました。浅ましい姿に耳をふさぎたいのに、そこがありがたいのが不思議ですね。
終了後、懇親会があり、またまた飲んでいました。途中で、たまたまある華光同人から、電話がかかって、家人に代わってぼくが出ると、かなり動搖されていました。ちょうど、福井法座で起こっていることと合せて、その偶然が偶然と思えず、彼からの電話もなにか意味あるものと思えました。それで、日頃、彼に感じていること、かなり促すような、強いメッーセージを、遠慮せずに話しました。(もちろん、彼のところも聞かせてもらえました)
でもそれは、彼ではないんです。ほかでもない、ぼくが、ぼく自身のために、励まし、促し、目覚めさせるものでした。
「お前、誰の人生を生きとるねん! 人のためか。組織のためか。違うやろ。なにを畏れているんや。なんのために、命もらったと思ってるんや」と。
いやあー。燃えてきたぞ。
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コメント
はじめて書き込みをさせてもらいます。
土曜日はありがとうございました。
ワールドワークに参加し、いまだにその時の、動いた気持ちが残っています。これは、しばらく続きそうです。
そして、その中で、また、場にいた人とのつながりが、参加する前と後では違っていて、より近くなったと感じています。
ある種あまり表に出したくはない「自分」をワークの中では、出ていたのかもしれないのですが、それについて、ほとんどひっかかりのない自分がいることがなんだか不思議です。以前だと、人の目や気持ちの方が、ワークの後、気になる自分がいたと思うのですが。
これが僕であり、この僕でいいんだと・・・
しっかり自分で受け入れられている感じがするのですね。
以前の僕なら、ちょっと、受け入れがたい自分の気持ちだったけど、そうじゃない自分を味わえたところ、この時期にやったこと、とても意味深く感じています。
投稿: とのひろ | 2007年6月21日 (木) 09:21