「花祭り」と、歓迎会
今年の「母の日」は、スッキリと晴天に恵まれた。花屋さんの前をとおりかかりると、小さなお店に人が溢れていた。夜に通ったときも、まだ賑わっていた。
華光日曜礼拝は、今日が「花祭り」。案外、行事は有名でも、その意味まで深く知る人は稀だ。大人の座談でも、ある方が話されていたが、仏教の教えに出会うまでは、それほど意識したこともなく、おしゃか様のお誕生日以外は、それが何日だったのか、なぜ七歩も歩まれたか、「天上天下 唯我独尊」の意味や、甘茶のおいわれなども、案外知らていないのかもしれない。
ほんとうは四月八日、いまから、二千五百年前の、北インドにあったカピラ城の王子様として、ルンビニーの花園でお生まれになったことぐらいは、皆さんならご存じであろう。
今日は、かなり時間をいたいだて、法話をした。ほんとうは、お釈迦様のお誕生の意義みたいなテーマだけれども、1、2年生の子どもたちには、いきなりでは無理。それで、まず、わたしもこの世の中に、親の慈愛を恵まれて、願いをこめて生れさせてもらってきたことをお話した。その手がかりに、自分につけてもらった「名前」を、ひとりひとりに歌で尋ねっていて、漢字を黒板に書いたもらって、その親の願いや、由来について尋ねてみた。驚いたことに、高学年の子どもたちでも、案外、自分の名前の由来を知らなかった。むしろ、大人のほうが、そのことを通じて、親の愛情や、または、自分が親となって、子や孫の命名に、知恵をしぼり、あれこれ考え、願いを込めて名付けたことを思い出されたようである。不思議なもので、自分自身でありながら、これも親からいただいたものである。
花祭りでは、灌仏(2匹の龍の由来で、お釈迦様に甘茶をおかけします)をしてもらったり、散華をしたりした。あと、アトラクションで、昨年は、ケーキ作りだったが今年は、握り仏様を、各自が作製。粘土を、ギューと握って、合掌されている姿を原型にして、目鼻をつけていく。これがけっこう楽しい。大人も、子どもも熱中していた。そして、完成したものをみると、十人十色。まさに青色青光、赤色赤光。上手いとか、下手とかなくて、それぞれに味がある。ひとりひとりに違ったご縁があり、仏様がついてくださっているんですね。誰一人として、同じものはなかったから、焼き上がってくるのが楽しみだネ。
●●●●さて、花祭りが終わってから、仏青と日曜礼拝の先生方の新入生の歓迎会を持ちました。日曜礼拝の前にも、お昼一緒に食べましたが、そのときは、4年前からいるのは、1人だけで、顔ぶれの変化を実感しました。
行きつけのカフェ、ティコンセプション。とてもおいしかったので、みんな満足しました。しかも、前菜は、イクラと温泉タマゴのジェル、コンセメとじゅんさいのスープ、エビのフリッター、そしてメーンの肉か魚で(ぼくは魚にしまし
た)、おいしいポットでの紅茶と、デザートで、今日の会費は2000円也。とても良心的な、リーズナブルなお店です。
それにしても、歓迎会でも、ずいぶん、新鮮さ、若さを感じました。
これからの仏青や日曜礼拝をよろしくたのみますね!
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