憤り、歎き、ふり返り、ウダウダと
真宗カウンセリング研究会の月例会。新規のテキストが始まった。今年度は、人間関係論の「援助的関係の特徴」を輪読していく。
といっても、6月16日(土)に予定している、「ワールドワーク」の体験学習会の打ち合わせや、また輪読方法や担当者の相談もあったので、あまり内容には入らなかった。
それでも、ロージャスが示そうとしている、あらゆる人間関係、援助的な関係における、人間尊重の姿勢、態度のさわりに触れることができた。つまり、成長させ、発達させ、成熟させ、機能の働きをよりよく促進しようとする、ある種の意図ある関係を指しているが,それは、「当事者の一方が、その関係によって、相手方、あるいは自分と相手方の双方が、その人の中にうずもれている資質をより高く評価するように、よりよく表現するように、もっと有効に働くようになることを目指す関係である」と定義されている。それは、ひとり対ひとりの関係でもあるが、同時に、個人対グループ(集団)の相互作用も含まれる、成長を促進することを目指す、さまざま人間関係(親子関係、教師と生徒、医者と患者、カウンセラーとクライエントなどなど)に当てはまるのであると、述べられる。
それから、45年以上がたったが、いまの社会の現状はどうか。ほんとうに、親や先生は、子どもたちの、「その人の中にうずもれている資質をより高く評価するように、よりよく表現するように、もっと有効に働くように」なる、そんな成長を促進する関係を、社会や個人が目指しているのかと問われると、現状は、ますます憂慮する事態が進行している。
いま直面しているこの雰囲気の息苦しさ!
自由や自己責任という言葉の下で、格差は拡がり、利益のみ追求し、成果や効率が優先される。ますます個は分断され、巧みに操作され、支配されていく。
若者も高齢者も、明日への希望を見いだせず、諦めムードや、なげやりで刹那的になるか、常にギリギリですり切れるばかりに身を削るか。当然、未熟なもの、不完全なもの、些細な過ちにも不寛容で、気長にその成長を待つことなどは難しく、常に、声を荒らげ、感情的にイラツキ、生活に汲々している。
そんなぼくたちの生きる社会やその空気と、ここで示される理念の乖離を、具体的な例話を交えながら、憤ったり、嘆いたり、反省しながら、なんやかんや、ウダウダ、ブーブーと分かち合ったのでした。
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