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永代経法座雑記(1)

 今回のご法座を通して、いろいろと気づかせていただきました。

 諸先生方の法話を聴かせていただき、分級座談会でのやりとりを通して、または、懇親会での話し合いを通して。そうすべてご法の場で、わが身に聴かせていただきました。

 まずは、当たり前のことなのに、すぐに忘れてしまうことが、誰のためにご聴聞しているかということですね。知らず、知らずに、人の為-特に初めての方や、求道者をが来ると、まずはそこに焦点があたってしまう-に、時間を過ごしてしまうような気がします。もちろん、それも心がけないといけない大切なことです。でも、やっぱり自分が聴かせてもらうことを抜いては、人に伝わることはないんですね。この、みんなわかりきっていることに、今回、あらたに光りを当ててもらえた気がします。「後生の一大事」と踏み出すのは、初心の方でも、未信の方でもない、ぼく自身。そうなると、ほんとうは、もっともっと緊迫した、座談会になるはずでよね。

 でも、自称獲信者は当然のこと(なんで、あんなにノンビリ座ってられるのかね。見事に人ごとだわー)、司会役や先生役のぼく自身も、とてもノンビリと聞いているです。それでいて、求道者には、「後生の一大事と取り詰めよ」と迫っている。ああ、これは逆やね。さらに、その求道者も、とても真剣なようで、最後はどこか人ごとなんですね。先生や先輩同行に「聴かせてもらう」ことを期待している。先生がなんとかしてくれる。(他力の履き違い)でもね。残念ながら、華光にも、先生方も、もちろんぼく自身も、なーんにも持ってませんよ。みごとにNothing。

[これは次に書きますが、一種の「獲信双六」(いま風なら、新・人生ゲームならぬ、獲信ゲーム)だなーと痛感させらました。どんなに真剣なようでも、完全にずれている。]

 十昿以来、いのちがけで呼び続けてくださる阿弥陀様のおこころに触れないかぎり、これはえらいことになりますぞー。

 でも、そんな惚けた人が大集合なのに、法座ってすごいです。

 このパワーはなんなんだ! 

 惚けている、麻痺しているわが身に、南無阿弥陀仏の鉄槌が加わる。オオ~~! 

 結局、ぼく自身が大きな得(徳)をいただきました。

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