『モーツァルトとクジラ』
ぼくが、アスペルガー症候群、高機能自閉症、高機能広汎性発達障がい(ほとんど同じ意味で使われることが多い)という言葉を、初めて耳にしたのは、かなり以前の真カ研の月例会だった。自閉症はともかく、「高機能?」「アスベルガー?」ってな感じで、さらに、注意欠陥多動性障がい(ADHD) とか、学習障がい(LD) などなど、従来の精神遅滞(MR)・知的障がい以外の、発達障がいの研究や事例が、堰を切ったように多くだされるようになっていった。今では、心理職や教職関係者だけでなく、一般人たちにも、かなり浸透する言葉となっている。しかし、まだ言葉が先攻していて、その実態や正しい理解がに進んでいるのかというと、偏見や誤解が多いのも事実だろう。
映画、『モーツァルトとクジラ』は、アスペルガー症候群の男女の恋愛と、その仲間たちのハートフルなラブストーリー。ちょっぴり痛いけれど、温かい気持ちになれる一本。このタイトルにも意味がある。
自閉症の映画といえば、ダスティ・ホフマンが好演した『レインマン』を思い出したけれど、それもそのはず。同じ脚本家が書いたものだった。なーるほど。しかも、モデル本人が、監修しているが、彼は、精神科医がすすめた『レインマン』を見て、自らがアスペルガー症候群であることに気づき、同じ悩みを持つ大人たちを支援するグループを立ち上げて、そこで、将来の妻となる女性と出会ったという、実話をベースにしている。
主人公(ジョシュ・ハートネット)は、優秀な成績で大学を卒業し、こと数学(数字)に関しては、天才的な能力を発揮するが、社会的な人間関係や、コミニケーションが困難で、感覚機能がうまくコントロールできずに苦しんでいる。
アスペルガー症候群の、表面にあらわれる特徴には、独特の対人関係(社会性の問題)がある。たとえば、曖昧な表現(「後で電話して」と言われると、「後とは、何時何分後か」と苦悩し、面接で、「将来のプランは?」と尋ねられると、「これからマクドで食事します」と答えてしまう。)が理解できなかったり、初対面の人を正視できず、自分にとって関心事は、相手にとっても関心事だと信じきて、延々と個人的な関心をまくしたてる。ジェスチャーや表情、距離のとり方などのノンバーバルのコミュニケーションや、比喩的な表現も苦手。パターン的(反復)行動は得意だが、生真面目すぎて融通が利かず、ちょっと部屋が整理されただけでも、極度の不安から、常同運動を繰り返したり、パニックになったりする。
彼の前にあらわれた、一見、積極的な彼女もまた、同じ苦しみをもっていた。音楽と、絵画には天才肌の彼女も、相手の立場や状況を察することができず、正直に見たままを口にしてしまい、時には、ところ構わず、平気で性的な言葉を発をする。また金属音に、過剰なほど反応しパニックになっていく。
たとえ、饒舌でも、話すほどに混乱し、さらに、人の話を理解することも苦手な場合もある。社会生活の暗黙のルールが理解できず、もしくは、回りの無理解から、人間関係や社会生活に傷つき、孤独に苛まれているのだった。
そんな二人が、何度も傷つき合い、混乱しながら、お互いを察し合う努力を重ねて、また仲間たちに支えられて、家庭を築いていくのだけども、現実はもっと厳しいものだろう。
それにしても、見れば見るほど、人ごととは思えない面もあるよ。
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