『ツォツイ』
アフリカを舞台にした映画で、特にぼくの心を打ったれたのが、『ツォツイ』と『ルワンダの涙』だ。
ハリウッドか、元宗主国の欧州資本で造れたものが中心で、監督も、欧米人である。ところが、『ツォツィ』は、イギリスと、南アフリカの合作で、アフリカ製作、アフリカの監督の作品としては、初のアカデミー賞外国語映画賞受賞を受賞している。
冒頭のザラザラした映像、打ち込み系の激しいビートとラップの音楽(クワイト)、そしてツォツイ(Tsotsi=不良、ワルの意味のスラング)の4人組が登場する。グーンと引き込まれる。明らかに、ぼくの居る世界、ぼくの感じているものとは、(表面的には)異なる世界の出来事なのに、なせか、この手の荒れたシーンにもこころが揺さぶれる。
舞台は違うけれど、ブラジル映画『シティ・オブ・ゴッド』(これは名作の誉れ高し)。ただし、それに比べると本作は、かなり甘い気もしたけれど、それも欠点ではない。
アパルトヘントが終焉した南アフリカのヨハネスブルク。人種間の格差以上に、黒人の間でも格差社会を生み出している。貧困、治安の悪化、エイズの蔓延、ストリートチルドレンの増加…。ただ生れによって、過酷な生活を強いられる子どもや若者たち。
そんなストリートチルドレンの土管の生活から、仲間からも本名を知られず、過去を封印し、未来への希望もなく、ただツォツイ(不良、ワル)として、暴力と犯罪を糧に生きる青年。平然と、窃盗や強盗、時には、殺人も犯していく。ところが、黒人の裕福層を狙ったカージャックがもとで、生後間もない赤ん坊と暮らすことで、徐々に彼のなかで封印されていた「何か」か目覚めていくのである。
愛情を示すことも、そして愛情を受けることも知らず、その適切な表現を知らないのである。ドキマギするような赤ん坊を扱うシーンは、目を不向けたくなった。でも、決して乱暴でも虐待でもない。ただ無知なのである。
お乳をもらう若い娘の、ひたむきな強さがいい。その愛情に、彼自身が癒され、育ち直しはじめる。赤ん坊を尋ねられて、その名前も…。
ラスト。情感的にするなら、彼のアップ(これがいい!)だけでもよかった。もっとスッキリした終焉も選択できる(ある種、それをどこかで望んでいた)。しかし、実際は、三者三様の曖昧さに少し戸惑いもある。それが、逆に観る側に、かすかながらも彼方への希望を懐かせる余地が残った。
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