研究会や輪読法座
この3日間は、研究会や法座が続いた。
17日の火曜日には、伝道研究会。先月に引き続き、HPの検討。たたき台をもとに検討しあった。やさしい言葉で、深い内容をお伝えすることはなかなか難しい。入りやすい、親しみのある表現を重視すると、どうも軽量級のイメージが脱ぎ得ない。このあたりはジレンマがある。発案者の思いも大切にしたいので、一朝一夕に進まず、5月に持ち越し。なるべく早く進めたいので、永代経が済んだ連休明けに開くことになった。
18日の水曜日は、昼に相談を1件。仏法のこと、自分自身のところを聞かせてもらう。しかし、相談といっても、ぼくも自分のところを率直に話させてもらった。それにしても聞かせてもらうという営みは、不思議なものだ。聞かせもらうぼくの方に、温かい気持ちが宿ってくる。
終了して、すぐ龍谷大学深草キャンパスでの、真宗カウンセリング研究会へ。4月は総会である。最初、代表のM先生と二人だけだった。桜は終わったのに、かなり寒い。若葉寒である。しかも雨が降っている。時間には、世話人を中心に9名の参加があり、今年からの新会員も参加くださった。ほそぼそながらも、背丈にあった活動をさせてもらている。例年の研修会、研究会以外にも、外部から講師を招いた研修会(ワークショップ)も開くことができる。昨年は秋に、「表現アートセラピー」。今年は、6月に、「ワールドーワーク」の開催が決まった。詳しくはここでも紹介したい。
今日(19日)木曜日は、第3回の輪読法座の集いだった。かなり楽しみな法座になっている。いつもの京都同人を中心に、12、3名の参加があったが、顔ぶれは少しずつ変わって、今回も三名の初参加者があった。華光誌66-2号に入る。悟朗先生の「身で聴く体験」。観念的な聴聞から、身をかけて、実践的に、行動化して聞く、立体的に聞くことの大切を、蓮如様の「ご一代記聞書」の一条を通して味わっていく。蓮如さまも、聞法に関しては、とてもとてもきめ細かいご指摘をくださる。生活を通して、身をかけて聞く大切さを、極めて具体的に教えてくださるのだ。それを、さらに悟朗先生の口を借りて、かみ砕いて教えていただく。さらに、ひとりで読み流して、分かってつもりで終わるのではなく、もう一度、皆さんと読む直してみる。立体的に聞くことは、自覚をもつ、つまり、自分に引き寄せた聞くことにほかならない。無常も、罪悪も、阿弥陀様のお慈悲も、遠くに眺めていてはダメ。今、ここの、私に引き寄せ、取り詰めてて聞かせていただくのである。また、本文にある「どういう状態を救われた、お救いにあったといえるのか」という問い掛けにしても、ただ読むのでなく、皆さんがそれぞれの言葉を使って表現して考えた上で、読む進めていったが、これもまた引き寄せて聞くことにひとつである。けっこう、質問や疑問も含めて、活発な発言が続いた。特に、ご夫婦の漫才(ご本人はそのつもりはないのですが)のような会話がユニークだった。お二人の生活を通して、等身大でご法にかなった話は、しっかり筋は通っているところが、有り難い。厳しい話も出たけれど、笑いも絶えない時間を過ごした。次回もこの続きで。この人数が手頃でいいのかれもしれない。
今夜は、仏青役員の皆さんと、会計の引き継ぎがあったので、書道はお休み。修繕募金の記念品の相談などもあったが、こちらも永代経に向けて準備は進んでいる。
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