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2007年4月の24件の記事

惚けている

 永代経法要の昼休み。

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いよいよ、華光永代経法座

 西光寺法座、ブレイジャー氏法座が済んだばかりだが、明日からの3日間は、華光の永代経法座である。今年は、広島支部の皆さんがお当番。皆様からの修繕募金の記念品などもあって、あわただしく準備が進んでいる。法話は、若手先生1名にもお願いして、7座ある。6名が1座(父のみ2座)ずつ担当することになっている。

 ある種、こんな話しやすい集いはない。なぜなら、皆さんの聞法の焦点が定まっているからである。もちろん、未信の方や求道中の方もおられるが、かなり聞き込んでおられるお同行も多い。その分、要点を絞れば、喜んで聞法してくださるわけである。しかも、法話の後、分級(ぶんきゅう・華光用語で、自由なグループ別座談会、別にクラス分けがあるのではなく、先生を選んで好きなところにいく)があって、法話の復習をしてくださる。感想ではなく、内容をもう一度、再生し口述で確認しあうのである。よく「右から左の耳に抜ける」という人もあるけれど、実は、この再生方式をおこなうことで、より法話が定着してくるのである。その後で、感想や味わいを語り合えばいいのである。

 ぼくの担当は、初日のトップバッター。歎異抄の二章を、一時間で味わえるだけ味わうと思っている。いちばん、よく法話をするところだが、その都度、僕自身の読みが変わっているし、多少、違ったエピソードも入れるつもりだ。今回は、唐末の禅僧、玄沙師備(道元さんなんかはよく引用されている)の、発心された伝説的なエピソードを交える予定だ。歎異抄は、前半のみか、どこか一点のみ焦点を当てることになるだろう。

 ネット経由のまったく初めての方も参加される。久しぶりにお会いする方もある。楽しみである。

 さっきほどリカマンで、懇親会用のワインや麦焼酎、モルトウィスキーなどを追加購入してきた。なぜかその直後から、急に下痢になって、何度もトイレに駆け込んでいる。ヤレヤレ、どうした!  きっと、ご法のことは荒目なのに、飲酒(おんじゅ)の罪悪には、細やかに気配りするという、本末轉倒の凡夫への警鐘に違いないぞー

 まあ、皆さんも、お気をつけてお出かけください。楽しみにしております( ̄人 ̄)合掌...

 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/top_menu/menu.htm

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西光寺の法座(出て聞く)

Img_0361 3日間の西光寺の法座。朝や昼は、いずれも60~70名のお参りがあった。夜は、ワーク(からだを使った体験学習)や分かち合いもあるので、お年寄りには敬遠されて、20名ほど。でも、体験的学習した後に、分かち合うことの大切さやおもしろさに気づいてくださった方もあり、懇親会は盛り上がった。

 最初は、『歎異抄』第2章を味わう。座談会がないので、ご法話 も一方通行で終わらないように、短く区切って、一人一人に声を出して読んでもらったり、質問をしたりと、聴衆と関わりながら進めた。どうしても反応は受け身。こちらの意図どおりには、すぐには動いてはもらえないけれど、根気よくかかわると、ボチボチだが、反応がある。ただこの章を2時間足らずで味わうのは難しい。ポイントになるテーマも多く、深いお言葉が散りばめられている。関東からはるばる足をかけて(つまり身をかけて)聞きにこられた同行たち。道を求めるとはほんらいそういうものである。いまは、交通が便利になった。飛行機、新幹線、車。それでも、家を出て、ひとすじに道を求めることには、深い意義がある。道を求めて家を出るから、出会いがある。

 真宗とは無縁だが、四国のお遍路さんがブームである。巡礼のバスツアーもあるが、昔ながらに歩いて88カ所を巡る人たちが急増しているという。日本だけのことかと思えば、インドの仏跡も、イスラムのメッカへの旅も、そして西洋のキリスト教圏でも同じ。『サン・ジャックへの道』という映画を公開されるが、自分の足で歩き、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教の聖地、スペインのサンティアゴをを目指すお話。そのプロセスは、人生の縮図と言っても過言ではない。まさに人生そのもなのだ。Img_0403

 

[おわん会の婦人会の、お斎(もちろん、お精進)をいただきました。伝統の重み。おいしかったです。→]

 

 もちろん、真宗には、巡礼のような行はない。それどころか、坐ることも、写経も、称名も、勤行も、私が行う浄土往生のための行は、キッパリと否定されている。大行としての本願の名号は、會無一善のわれわれ衆生を往生成仏させる弥陀の行法であって、その行法を聞く(領受)した他力回向の信心こそが、往生成仏の正因なのである。その意味では「聞」こと一つが肝要なのであるが、それだけだと、どうしても観念的になったり、学解的になったりしがちである。知っただけで、分かったつもりなってしまう。特に、今日の情報過多で知識偏重社会では尚更である。ちょっと批評や批判が出来たら、それで自分は卒業顔。ところで、自分でやってみたら、大したことはできない。そこを破るためにも、我が身に引き寄せ、取り詰めて聞くことである。いわば、頭でも、心でもなく、もちろん、単なる耳でもなく、身で聞くのである。

 それには、たとえ車だろうが、新幹線だろうが、(ほんとうは「足」というところにも大きな意義もあろうが)、家から出て、聞くことに意義がある。懈怠に流れる。法座からは逃げたいのが正体。時間も、お金も、勇気もいるもの。確かに、自分たらのところに、先生を招いて聞くのもいいけれど、自分から出るからこそ、出会いもあるのだ。

 歎異抄では、関東から、はるばる「往生極楽の道」を聞くために、命懸けでの旅をされたという。でも、ほんとうに私の大切にしているもの、なにか? 夜のワークでは、そのことを実感として体験的に味わった。ぼくも自分自身の結果に愕然とした。自分を楽しますこと、自分を喜ばすことに必死であって、仏法の「ぶ」の字も、ぼくの中からは出て来ないのだ。確かにね。分かっていたが、ほんとうに、「虚仮不実」の姿にびっくりもした。

 いや、一席目の法話の前半だけで、これだけの量をとってしまった。後は、(2)いちばImg_0414_1ん大切なもののワーク、(3)極重悪人唯称仏、(4)自分を知る(「あなたは誰ですか?」のワーク、(5)ご恩(知恩・感恩・報恩)と続いた。

[←最終日は、仏教讃歌のコーラスもありました]

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播州は、春爛漫(2)

Img_0386_4 タンポポや菜の花のほかにも、 あやめに、桔梗に、仏の座(?)と、野の花が咲いていました。

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                            [揖保川の川面に写る大木Img_0393_1

きょうこさん>元気にしてますか?   いつも写真を楽しみにしてくれてありがとう。また沖縄の写真も送るね。

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播州は、春爛漫(1)

Img_0374  西光寺さまのご法縁(別修永代経)でした。

 帰路はまだ、元気だったのですが、家に帰ってホッとすると、疲れてきました。ひとりで法話するだけならいいのですが、法座の後の懇親会に、深夜まで付き合ってしまうのが、原因かも…。これは、Img_0362_3 華光の宿泊法座でも同じ…。ただ、最大の違いは、法話の後で座談会がないこと。この点は、物足りない。同世代の僧侶や有志方とは話し合いますが、門徒の方にはハードルが高いようです。おかげで、次の法座まで2、3時間は休憩。お寺の周りを散策して、春の気配を堪能してきました。おすそ分けします。           ずーっとお寺と、そこにお参りされる方を見守ってきたイチョウの巨木。樹齢600年だそうです。

Img_0351

←周りを山に囲まれた、山間の大寺です。

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 お寺の裏手の土手は、タンポポや菜の花で、黄色に輝いていました。まさに春爛漫。 きれいでした。

Img_0398

 ミツバチや、モンシロチョウも、飛び交っていました。Img_0389_2                                            

(クリックして大きい画面だとわかります→)

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明日から西光寺様での布教

 若葉寒で、薄手のセーターを着たかと思ったら、昨日は、急に初夏の陽気。戻り、進みをしながら、季節は確実に進んでいる。

 今日の雨も、温かい。

 永代経を前に、この週末は予定がなかったが、明日からの3日間、お寺での布教が入った。今日は、聖典講座だったが、欠席して、教案を造っていた。お寺の布教は、ご法話が中心だ。3日間を、ひとりで話すから、ちょっと準備がたいへんてある。いつものことながら心配性なので、いろいろと準備をしすぎるきらいがある。結局、その場の状況や、皆さんの反応、もしくは自分のところでも、始まったから修正することも多い。いまや、かなり、そのときの自分を信頼できているのだけれど、始まるまではそうはいかないようだ。カッカと頑張るより、いい匙加減のところで、とどめておいていいかもしれない。

 華光の法座と違って、同じ人が5座も、6座も担当する。それぞれ、前席・後席あるからかなりの時間だ。聴衆は、それでおもしろいのかね? それとも、話を聞くのがそんなに好きな人が集まるんでしょうか? いつも不思議である。ともかく、一般の門徒さんが対象なので、難しい教義的な話は無理。といって、分かりやすかったらそれでいいのか。おもしろかったり、ためになったらそれでいいのか、という話にもなる。

 心がけることは、これまで、自分の聴き方で良しと思っているところを、破っていただくことになる。分かっている「自分」、分かっている「死」、分かっている「仏様」や「念仏」。実は、分かっていると思い込んでいるだけで、ほんとうは、なにひとつ分かっていないことに気づかせてもらうと、少し聴聞に心が向いて来るはずである。

 先日の輪読法座でもでてきたが、「ただ聞くだけ」の「だけ」はだめ。自分に引き寄せる、自分に取り詰める覚悟がないと、ご聴聞にならない。そのあたりの意識だけでも、少しは伝わったらいいのですが。夜には、座談会とはいかないまでも、努めて交流もしたい。簡単なからだを使ったワークなども考えている。

 3日間あるので、水曜日(25日)に華光会館である、ディビッド・ブレイジャー氏の法座には出られないけれど、終了後の食事会には出席する予定でいる。ブレイジャー氏の法座は、2年ぶりだ。

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『起きて寝て』『Best Of Tokyo Ska 1998-2007』+2

 先日、久々に、CDショップに出かけた。今年初めての買い物である。50年代、60年代のJAZZが好きなんだけど、新しいものもボチボチ聞くようになった。今回は、新譜を中心に、少し間口を広げて購入。たまーに、音楽の話題。こんな音を聞いています。

 まずは、PE'Z(ペズ)『起きて寝て』-FUNNY DAY & HARD NIGHT-。

4527583006695  5人組の若手日本人のインストバンドだ。タイトルが面白い、『起きて寝て』。2枚組のスタジオ録音。唄ものではなく、しかもライブでない。オリジナルばかりのスタジオ録音で、しかも2枚組は、そうめったにない。2枚にボーナスの1枚も加わえると、150分以上とギッシリ、36曲。ちょっと一気に聞くというわけにはかないけれど、曇りのない、勢いのある音で、鼓舞されるような元気がでる。侍ジャズか。もう厳密なジャンル分けなど無用だものなー。ジャズもロックも音には違いわないけで、ノリのいいリズムと、カッコいいメロディーで、この手の音が若い人たちには売れているようである。

 もう1枚、映画も、実物の谷中もステキだった、東京スカパラの唄ものベスト盤。

 東京スカパラダイスオーケストラ・Best Of Tokyo Ska 1998-2007』653

 こちらも2枚組。上記と共通した土壌をもつ音楽だけど、この分野の日本でのパイオニア。海外のファンも多い。そのキャリアの後半のベストもので、ゲストのボーカル入ったものが集められている。ホットで、カッコいいという分野の音楽だね。

 3枚目は、ジャズ・トランペッター、ウイントン・マルサリスの新譜。

『From the Plantation to the Penitentiary』(プランテーションから刑務所へだけど、邦題は、「自由への誓い」

 この人、ぼくと同世代で、デピュー当時からジャズ界の救世主として登場し、いまやジャズに止まらず、アメリカを代表する文化人として高く評価されています。でも、昔からなぜか苦手。最初は、新譜出る度に買ってたけれど、ここ10年はご無沙汰でした。黒人としてのアイディティナィに基づく政治的な主張をもった作品にも熱心で、ピュリツァー賞を受賞したりもしています。で、プロテスト性の高い音楽なのだけれども、若い女性ボーカルがフューチャーされていたり、ウイントンのラップ入れだったりと、かなり意外な1枚でした。表題曲は、ちょんと南部の雰囲気が出た1曲だけど、全体的にも、もっとネバッとした感じかほしいですが、そう感じるのは、黒人プロテスタントのステレオタイプの影響でしょうか。

 最後は、ジャズ界、1、2争うギタリスト、パット・メセニーと、若手ナンバーワンの呼び声高いピアニスト、ブラッド・メルドーのディエット。『メセニー メルドー』

一世代も違う、2人のアーティストの共演。そこで展開されるのは、お互いが丁々発止しあったプレイするというより、静かで、尊重しあい出会いという音がします。どことなく、「邂逅」という響きが似合う音楽でした。もっと聞けば、かなり好きになるかね。 

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『東京タワー』~オカンとボクと、時々、オトン~

 『東京タワー』~オカンとボクと、時々、オトン~

Tokyotowerokanbt3  先日の九州法座のあと小倉駅まで送ってもらった。途中、「リリー・フランキーの生れたところです」と教えてもった。子供たちの大好きな、「おでんくん」の生みの親だ。

 実は、ヒットしたドラマ(テレビあまり見ないので)も、ベストセラーの(泣ける!という)原作も読んでいない。あまり予備知識をもたないで見たいためである。
 映画の製作にかかわった人は、ぼくとまったく同じ世代だ。原作のリリー・フランキーが、63年。監督の松岡錠司が61年。脚本の松尾スズキが62年の生まれである。
九州の小倉から、筑豊(鞍手)、そして東京が舞台。

 悪人がひとりも出て来ない、やさしさ、温かさが画面に広がる映画だった。もっと泣かそうと思えば泣かせられるのだろうけれど、ギリギリのところで引き気味に撮られている。もっと引いて委ねてもらってもいいと思えたけど…。でも、男って、マザ・コンだが、ここまで、母と子の絆が強く、率直に表現できると美しいなー。子の成長だけを願う母の姿。でもそれも一面。妻や女としての一面、強くたくましく生きる姿。ぼくには、苦労し、生きがいに育てた放蕩息子が、一人前の仕事(初出版)をしてきた時に、母が、電話で「ありがとうございました」と、息子にお礼を述べるシーンに、ジーンと来てしまいました。ほんとうは逆なのにね。

 超自由人、自己中のオトンに、手作りの木製の船を造ってもらうシーンがある。まったく対称的な父をもったボクだが、実は同じ経験がある。もっと精巧な軍艦を造ってくれた。竹馬や、水鉄砲や輪ゴム銃などを、遊ぶものは手作りだったなー。思い出が蘇る。

 人の話なんだけれど、それぞれが、自分の母や親子関係を投影することができる。このあたりが、ヒットの要因かなー。やっぱり、母ってステキなんだね。でも、そのことを率直に表現するって難しいなー。

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前(さき)に生まれん者は…

 さきほど、東本願寺の前を通ったら、掲示伝道の言葉が目に留まった。自転車を止めて思わず一枚。

 連続無窮のお働き。

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研究会や輪読法座

この3日間は、研究会や法座が続いた。

 17日の火曜日には、伝道研究会。先月に引き続き、HPの検討。たたき台をもとに検討しあった。やさしい言葉で、深い内容をお伝えすることはなかなか難しい。入りやすい、親しみのある表現を重視すると、どうも軽量級のイメージが脱ぎ得ない。このあたりはジレンマがある。発案者の思いも大切にしたいので、一朝一夕に進まず、5月に持ち越し。なるべく早く進めたいので、永代経が済んだ連休明けに開くことになった。

 18日の水曜日は、昼に相談を1件。仏法のこと、自分自身のところを聞かせてもらう。しかし、相談といっても、ぼくも自分のところを率直に話させてもらった。それにしても聞かせてもらうという営みは、不思議なものだ。聞かせもらうぼくの方に、温かい気持ちが宿ってくる。

 終了して、すぐ龍谷大学深草キャンパスでの、真宗カウンセリング研究会へ。4月は総会である。最初、代表のM先生と二人だけだった。桜は終わったのに、かなり寒い。若葉寒である。しかも雨が降っている。時間には、世話人を中心に9名の参加があり、今年からの新会員も参加くださった。ほそぼそながらも、背丈にあった活動をさせてもらている。例年の研修会、研究会以外にも、外部から講師を招いた研修会(ワークショップ)も開くことができる。昨年は秋に、「表現アートセラピー」。今年は、6月に、「ワールドーワーク」の開催が決まった。詳しくはここでも紹介したい。

 今日(19日)木曜日は、第3回の輪読法座の集いだった。かなり楽しみな法座になっている。いつもの京都同人を中心に、12、3名の参加があったが、顔ぶれは少しずつ変わって、今回も三名の初参加者があった。華光誌66-2号に入る。悟朗先生の「身で聴く体験」。観念的な聴聞から、身をかけて、実践的に、行動化して聞く、立体的に聞くことの大切を、蓮如様の「ご一代記聞書」の一条を通して味わっていく。蓮如さまも、聞法に関しては、とてもとてもきめ細かいご指摘をくださる。生活を通して、身をかけて聞く大切さを、極めて具体的に教えてくださるのだ。それを、さらに悟朗先生の口を借りて、かみ砕いて教えていただく。さらに、ひとりで読み流して、分かってつもりで終わるのではなく、もう一度、皆さんと読む直してみる。立体的に聞くことは、自覚をもつ、つまり、自分に引き寄せた聞くことにほかならない。無常も、罪悪も、阿弥陀様のお慈悲も、遠くに眺めていてはダメ。今、ここの、私に引き寄せ、取り詰めてて聞かせていただくのである。また、本文にある「どういう状態を救われた、お救いにあったといえるのか」という問い掛けにしても、ただ読むのでなく、皆さんがそれぞれの言葉を使って表現して考えた上で、読む進めていったが、これもまた引き寄せて聞くことにひとつである。けっこう、質問や疑問も含めて、活発な発言が続いた。特に、ご夫婦の漫才(ご本人はそのつもりはないのですが)のような会話がユニークだった。お二人の生活を通して、等身大でご法にかなった話は、しっかり筋は通っているところが、有り難い。厳しい話も出たけれど、笑いも絶えない時間を過ごした。次回もこの続きで。この人数が手頃でいいのかれもしれない。

 今夜は、仏青役員の皆さんと、会計の引き継ぎがあったので、書道はお休み。修繕募金の記念品の相談などもあったが、こちらも永代経に向けて準備は進んでいる。

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『めぐみ』と『不都合な真実』と『エンロン』と。

今年に入って観た社会派ドキュメンタリー映画が、面白い。

 北朝鮮の拉致問題を捉えた『めぐみ』~引き裂かれた家族の30年~は、アメリカ人の眼からとられた家族の肖像。日本人とは、また一味視点が違っている。まだ拉致とはわかならい、失踪事件の時点での、小川宏ショーでの母親の呼びかけが胸に迫ってくる。

 元アメリカ副大統領のゴア氏が訴える地球温暖化の問題を捉えた『不都合な真実』歴史に「もしも」はないけれど、投票集計のやり方次第では、ブッシュ大統領でなく、ゴア大統領の誕生だったわけで、当然、アメリカの内政、外交、そして環境問題と、世界の状況は、違った展開になっていたことは間違いない。次のエンロンとブッシュの関係も、グレーな関係なのだが、ここにも歴史の綾がある。反対派の反論や、政治キャンペーンという批判も受けているが、今年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞 受賞の実力に偽りはない。邦題も冴えているが、目を逸らしてはいけない問題だ。

 『エンロン』~巨大企業はいかにして崩壊したのか?~は、アメリカを揺るがす、一大経済スキャンダルを描く。1985年の設立以来わずか15年で、北米7位、世界でもトップ15位にEnron_01_1入り、アメリカのエネルギー政策に絶大な影響を持っていた巨大企業が、不正発覚のスキャンダル以来、わずか2ケ月で、2兆円もの負債を抱えて破綻するのである。世界への影響も絶大であった。その後、日本のライブドア事件などの経済事件も同根なのだろうが、実にかわいく見える。それほど強烈な規模だ。しかし、複雑な経済問題のようで、実はひとりひとりの人間のドロドロした欲望が丸出しにされている。ここまで規模が大きくなる背景は、単なる一企業の問題に止まらず、甘い汁を吸う政治家、銀行、証券会社、新聞・雑誌などのマスコミ、そして会計事務所に、弁護士、すべて、誰もが信頼を寄せるグローバルな一流大企業が絡んでいる。しかし、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と、儲かるのなら、理念も、人間性も、理性のカケらもなく、ただただ金の亡者と化した恐ろしい人間の実態がある。結局、北米7位の13兆円という巨大企業のエンロンが、何を売り、なぜ拡大し、利益を得ているのかを、誰も説明できなかったのである。あくまで経済事件なので、親密で、深い関係にあるブッシュ大統領や、エネルギー自由化政策でカリフォルニアー州を食い物にした挙げく、誕生させたシュワルツネッガー加州知事への影響力など、政治家絡みのものはグレーのまま葬りさられた。経済用語に疎いぼくでも、グイグイと引き込まれた1本。

 もう1本、『ダーウィンの悪魔』もよかったが、これは後で。

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「あなたは誰ですか?」

 日曜日、広島支部法座。久しぶりにH家の家庭法座。人数は少なめ。でも、気持ちいい天気でした。ご聴聞経験の少ない方のお参りを予定(残念ながら、キャンセルになってしまいましたが)していたので、なるべく専門用語は使わず、「なんのために聞くのか」というところから起こしていきました。

 華光に集う人達にとって、聴聞をすることは、現世利益でも、先祖供養でも、また単なるココロの修養でも、知識や学問のためでないことは分かっておられるでも、あらためて問われると、なかなかね。「仏に成る」という答え、「後生の一大事の解決」という答え、そして、「自力他力の水際を聴く」という答え。そこから、「信心獲得」という答えと、さすがにきっちりと答えてこられます。でも、これも単なる「正解」で終わっては意味がない。「仏道をならふといふは、自己をならふなり」の道元さんの言葉ではありませんが、そこに、「自分」を学ぶ、自己を知る、自分が問題になってことない聴聞は、聴聞ではないわけです。

 でも、これが難しい。自分を問題にしているようで、名利(名声や名誉・有り難い同行と認められたい)のための聴聞や、利養(利潤、利益・為になるもの、喜び、安心を得たい)ための聴聞や、勝他(他の人に勝ちたい!・こんなことも知ってるぞと自慢したい)のための聴聞になっていても、すべて「自分のため」ですから、ここが難しい。自分(今、造っているタネを聴き、その行き先(後生)を教えてもらうことがないと、なかなか、自分ではわかりません。そのためには、三世・十方を見通す智慧を持たれた仏様をものさしに、その鏡の前に立たねばわからない。では、鏡の前に立つとはどういうことか?「教とは、経であり、鏡だ」と善導さまはおっしゃっているが、仏様の教えを聴くことが、自分を映し出す鏡の前に立つことになるわけです。その智慧の鏡に映し出された「私」の姿を聴く、その私に願われた仏様の願いを聴くことが、ご聴聞ですよ、というようなお話でした。

 そのあと「自分を知る」、とても簡単なワークをしました。ただ、二人組になって、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は○○○です」と答えていくだけのものです。ところが、最初の4、5個はすぐ出る。でも、それは名前や性別などの外見的なもの。それからが、なかなか分かっているようで分かっていない。だんだんと内面的なものになってくると、自分を隠したり、いい恰好したり、誤魔化したりする自分も見えてくる。つまり、自分を知るワークは、実は、いかに自分が自分で分かっていないか、表面的な面でしか自分を取られていないか、邪見・驕慢であることに気づいてもらう結果となりました。法話よりも、こちらの印象のほうが皆さんには強力で、面白かったと見えて、分かち合いも弾んだようです。

 2度目のお参りの老婆の、実感を伴う言葉が印象的。老苦、病苦、家族に囲まれていても孤独な人生。ただ寂しい、悲しい人生。それは何のめなのか。単に「詰まらん」だけのいのちで終わった、それこそ空しい。どうか、その身のままで、お念仏を喜ぶ身にならせてもらう幸せを聞いていただきたいと、皆さん願っておられました。南無阿弥陀仏。

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Tねこさん>こちらこそ。己ひとりの為に聴く。有り難いね。

稜季の父ちゃんさん> ハハハ。ドラエもんでも、ホリエもんでも、あまいもんでも、なんでも結構ですよ。所詮、「借り」もんですからね。

 そうですね。ぜひ、ご一諸に出かけましょう。一緒に飲みに出かけたのは、京都での学生時代。下宿にも遊びにいって、音楽を聴かせてもらいました。もう25年以上も前の話になりますね。懐かしい。

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己れ一人のために

Img_0253_2 今回、日高の同人の皆さんの写真を撮ってきました。年月を経た、お顔がとてもいい。残念ながら、紹介できませんので、以前、ブログで紹介した、日高のある同人宅の伊藤康善先生の色紙を掲載しましょう。書もいいし、言葉もいいですね。

  明日の、広島支部は、自分を知るというところで、なるべく仏教用語を使わずに、ワーク(気づきを伴う体験学習ですね)なども交えておこないたいです。楽しみしています。

広島の皆さん、よろしくお願いします。

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いつもありがとう

Img_0338_2 今夜は、Tさんと二人で、外で食事をしてきました。日頃から事務や仕事など、献身的に支えてもらっている慰労も兼ね、1ケ月遅れのホワイト・デーになりました。

 北白川、一乗寺にある、ちょっと異空間という感じのお店。A Wamb(ウーム)という、(子宮と意味だそうですが)という、天井がとても高くて、しかも コンクリートの打ちっぱなし。空間も広くのに、客を4組しか取らないImg_0339_1ようにしています。それが、(よっぽど暇のなのか)今夜は、2人だけの貸し切りでした。ちょっと手間がかかった和食の創作で、ちょこっと、ちょこっと、懐石風に料理が出てきました。おいしかったです。ご近所のバール「「Gades」に入ったら、急に雨になってきました。でも、桜も、散り初めという感じで、京都の風情を堪能できました。

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『読む力・聴く力』

4000254545_2   『読む力・聴く力』というタイトル、河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎というメンツ、そして発行が岩波書店というのだから、即お買い上げ。でも、インド女性から、「期待は喜びを半減させる」ということわざを教わったけれど、期待しすぎた。短めの講演会と、その後の鼎談の口述筆記したものなので、読みやすいけれど、やや散漫なのが残念。もっと深めてほしかった。しかし、そこは各界の第一人者のお三人。聴く、読むということの背後には、「生きること」があると、河合は結んでいる。

 臨床心理家として聴く河合。単にクライエントの言葉を聞くのではなく、その背景にあるすべてに耳を傾ける。一瞬、一瞬の出来事との共時性に深い意味を見いだし、かつ、その場にいる自己と、その直感力にも信頼を寄せる態度で、クライエントをも包み込む。

 詩人の、意識下の一番深いところの言葉にならない、いわば言葉の世界の外にある体験(親鸞様の「噫」ですかね)を、あえて言葉にしようという、言葉を超えながら、言葉で伝える姿勢。

 そして、検索エンジンを使うと、ほんの0、0何秒という瞬時に、世界中のありとあらゆるバーチャルな頭脳とつながり、リアルタイムで情報を共有しあえるという素晴らしさ力説する立花も、結局、情報の洪水の中で、どれを選び取るのかは、「出会い」の問題となるという。そして、立花が、ネットの無限の可能性を強調するのに対して、河合、谷川の懐疑的な態度が、結構、面白かった。

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『話し上手、聞き上手』

 法座の車中で、斎藤 孝著の「話し上手、聞き上手」を読む。オープン・マインドなら4480687556 ぬ、オープン・ボディー。そうですよね。からだで聴き、からだで伝えていくのですから。内面を深めるためのワークではなく、実践的な人間関係を構築するために役立つ、数々のコミュニケーションのワザ(技)を体得するための、ユニークで、実践的なワークが紹介されています。単なるHow toものではなくて、よりよい人間関係を築くための身体感覚を身につける方法(メソッド)ですから、実際にドンドン使って身につけていけばいい。

 聞き方は、自分の感想や触発された思いはひとまず後にして、その正確な要約に重点がおかれる点にも賛同。イン・プットされた内容を、要約しアウト・プットする、つまり再生方式によって、記憶が定着されるわけです。それに、ただ受け身で聴くだけでなく、緊張感のある聞き方ができるわけですね。そして、愛あるコミュニケーションのための「偏愛マップ」。これは面白い! ただし、マニアックな人同士の交流で終わっては意味ないです。

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甘露山での布教

   今週は、布教が続きます。

Img_0331  今日は、泉佐野の西法寺さまへ。

 昨年、阪神高速の渋滞で遅れそうになったので、今年は、電車で。近鉄、JR、大阪地下鉄、そして南海電車の特急と、4回も乗り継いで、正味2時間。JRの大阪駅までは、行き帰りともに座れなかったけれど、車中、斎藤 孝著の「話し上手、聞き上手」を読んで過ごしました。Img_0330_1

 さて、お寺の婦人会の総会なので、年配の女性が中心。華光同人も、和歌山、堺、そして京都から、4名もお参りくださいました。ここのお寺、山号(甘露山)がいいネ。小生とは、ご縁がありそうです。

 ご法話は、座談会がなくて、ただ一方的になるので、なるべく、皆さんとかかわりながら、挙手してもらったり、質問を交えながら進めました。ご聴聞に熱心な方が前列に座られて、反応はすこぶるよいのですが、ほんとうのところ、どう聞いてくださったのかがわからないと、やはり物足りなさは残ります。蓮如上人のお示しどおり、得手勝手に聴き間違いをするから、しっかりと談合(座談会)をする必要があるのだけれど、なかなか余所のお寺では難しいのが現状ですね。

 正信偈の「極重悪人唯称仏~大悲無倦常我照」を中心に。例の善人、悪人の自己評価、要は、仏様の絶対善に照らされて、それを物差しにして、「極重悪人よ、唯(他力)、南無阿弥陀仏と称えてくれよ」との呼びかけと、そのもとにある大悲のおこころについてお話いしました。高僧和讃の、

「極悪深重の衆生は   他の方便さらになし

ひとへに弥陀を称してぞ 浄土にうまるとのべたもう」

のおこころです。「他の方便」のところに、「余の善、余の仏・菩薩の方便にては生死で出でがたしとなり」と左訓されているとおり、極悪深重、極重悪人のわが身には、そのものこそお目当てに成就された弥陀の本願念仏以外には、迷いを離れる手だてはないわけです。そのことを、繰り返し、巻き返しお伝えしてくださいますが、いつもキョロキョロと、どこかに極重悪人がいるぞと、よそ事に聞いているわけです。

 終わってから、同人のTさん、Oさんとお茶をのみ、帰路をご一緒しました。帰宅ラッシュ時で、車内は混雑していましたが、Oさんといろいろとお話していると、アッという間に京都という感じでした。Oさん、コーヒーご馳走さまでした。

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九州一泊支部法座

 福岡から帰ってきました。

Img_0321_1 今回は、総勢で13名と、人数的には寂しいかったですが、ネットをご縁にされた大学生や、「感謝の日暮らし」を大切にされておられる方など、初参加の方が、積極的にかかわってくださって、いい ご法座だったと思います。宿舎の前が海岸で、玄界灘に沈む夕日が美しかった! 写真では伝えきれませんが…。

 小人数(開始時点は7名で、ちょっと困りましたが、そのうちボチボチと)だったので、そのメリットを生かして、法話も、一方的ではなく、初日は、法話の途中でも、自由に質疑や感想を交える形で、「究極の依り所」のテーマで。2日目、「知恩・感恩・報恩」の輪読。午前だけの予定が、各自の味わいが交わって、なかなか座談が盛り上がり、さらに触発されて、自己の内面の深い味わいを語ってくださる方もあって、午後も引き続いて輪読をすることになりました。

 最後に、2つの初めての試みをしてみました。ひとつは、輪読のあとで、ただ読み放しではなく、まずは自分の感想を交えずに、テーマ・要点を1分~2分以内でまとめてみる。別に、メモをしてもいいという条件でしたが、皆さん、これほど真剣に華光誌を読んだことはないであろうといほどの真剣さで取り組まれ、2人組になって分かち合いました。

 もうひとつは、映画、『合唱ができるまで』のユニークの指導法に触発されて、声を次々と受け取り、伝え、つなげるというワークを少しやって、そのあと、オリジナルのお念仏のワークをしました。お念仏を聴き、受け取り、称え、大切にお隣の方に伝えるいうワークです。これは! 想像以上に新鮮な発見がありました。皆さんで、1時間も称名念仏し合うことはこれまで何度か経験がありますが、また違った体験で、その温かさに、皆さん涙されていました。ほんとにうそれぞれのバラバラの声が、バラバラなのに、じゃまにならず、ぶつかり合わずに、響きあい、百重千重囲繞して護ってくださる諸仏方のお念仏の中に、温かくわが身が包まれていることを、自然と体験させられる、そんな感じを懐きました。最後に、皆さんがグーンとひとつなった感じでしたね。15分ほどが、ほんの一瞬の出来事のようでもありました。また、これは機会があれば、いろいろなところで挑戦してみたいです。

 車中、たっぶり時間があったので、『読む力・聞く力』(河合・立花・谷川)、『ブッダは、なぜ子を捨てたのか』(山折哲雄)、2冊を読みました。物足りなさもあったけれど-、刺激的なところもありました。

 今夜は、これから呼吸法。明日は、泉佐野の西法寺様へ、婦人会の布教で、毎年この時期におじゃましています。

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明日は、九州支部法座

  明日は、九州支部法座。父は、今日・明日と東京支部法座。ちょうど、市議会と、府議会の議員選挙なので、今日の内に期日前投票してきました。

 九州の法座は、半年ぶり。なかなか京都ではお目にかかれない、久しぶりの方も多いですね。ここは、1年に1度だけ、宿泊の法座があります。土曜・日曜ではなく、日曜日・月曜日と、いつも少し変速日程。新幹線で、博多駅まで行き、在来線で小倉の方へ20分ほど戻った、福間駅まで。会館からは、4時間はかかります。会場のすぐ近くに、玄界灘が広がって、夏は海水浴で賑わいますが、いまシーズンオフ。研修などで使われるので、なかなか使い勝手のいい宿舎です。

 九州には、福岡を中心に、大分、熊本、長崎、佐賀、鹿児島と、(沖縄にも数名おられるけれど、宮崎は誌友もなし)と、幅広く同人の分布がありますが、同人数のわりに、出席者が固定しているのを、打ち破れませんね。あとは、新人の方も多いけれど、もうひとつ、いまの位置で満足されているところがあって、信仰の上からも、法座への姿勢にしても、もう一歩の転換をどう進めてくのか。そして、全体的に、法座の進行にも、積極性がほしいところです。お世話の皆さんも、そのあたりは認識されているようですが、なかなか簡単にはいきません。でも、今回も、ネットから、学生の問い合わせもありました。参加が実現するとうれしいですが…。ほかにも若手僧侶の参加があるようで、このあたりの動きでも楽しみです。

 法話は、3席(またはもう1席)。初日は、一方的に法話をするのではなく、華光誌の輪読をしながら、皆さんにも参加してもらう形の法座にしたいです。二日目は、聞法の要、拠り所をテーマに。もう一席は、歎異抄の三章か、正信偈の「出世本懐」のあたりを考えています。いずれにせよ、小人数なので、できれば皆さんの声が繋がるような法座になればと願っています。

 九州の皆さん、どうぞよろしく! 

 

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『スマイル』~人が人を愛する旅~

 京都みなみ会館のレイトショーで、音楽映画を1本。

 『スマイル』~人が人を愛する旅~

Smile  世界を旅し、音楽を奏で続ける、「東京スカパラダイスオーケストラ」。その1ケ月に渡る寝台バスでの過酷なヨーロッパ・ツアーや、ベトナムや、日本では、広島(原爆ドーム)や東大寺大仏殿前(この大仏さまの仏眼のシーンよかった)でのコンサートなど、世界各地での、150日間で、70回を超えるツアーの様子を、単なる音楽映画ではなく、世界中の風景(監督いわく、これは上等な「世界の車窓から」ですから)もさることながら、七人ならぬ十人の侍たちの、「かっこいい」素顔、人間性に迫る映画でした。スカ、いいですね。理屈の前に、からだが自然とスウィングしだすのは、アジアも、ヨーロッパも全人類共通。エネルギーに溢れた映像でした。

 今夜は、上映前に、監督と、メンバーの谷中敦、川上つよしの3名の舞台挨拶があったので、入場整理券が配られるほどの盛況。番号遅かったので、しばらく外で並んでいました。いつも空いている映画館も、今日は久々に満席でした。

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桜を見てきました

Img_0295_1   夕方、子供を保育園に迎えた足で、少し桜を観に行きました。町内会の仕事の関係で、平安神宮の入苑無料パスをいただいたので、岡崎の平安神宮まで。今日は、花冷えも一段落。快晴の下、花も映えていました。ライトアップやコンサートには一足早かったこともあったので、このシーズンにしてはわりと人手Img_0298_4も少なくて、ゆっくり堪能できしまた。一言、きれいでした。

車窓からも、銀閣寺続く、哲学の道あたりも桜満開に近い様子がわかりました。  

 

Img_0312  帰りに、北白川にあるスペインのバル(イタリアならバールですね)風のカフェ「Gades」によってきました。ジンジャエールのカクテルが美味でした。子供たちも、ここがお気に入りで、子供好きの男前のマスタ ーに遊んでもらっていました。ほんの少しのことで、気分よくなるものですね。

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華光誌の発送

 午後から、華光誌66-2号の発送作業があった。地元、京都支部の同人の方、3名もお手伝いしてくださる。月末の3月31日の昼すぎにに完成してきたので、発送が今日になったのだ。

 同人や誌友の方には、2~3日で届くだろう。今号は、記事が少なくて、すこし薄目だが、巻頭言、体験記と20代の青年層の記事がある。小生も、9月の東京公開講演法座の記事を、少し丁寧に綴った。誌友通信は、米国同人を含めて、なかなか多種多彩。誌上法話よりも、まずここから読む人が多いそうだ。お楽しみに!

 夕方、広島から帰省してくる子どもたちを京都駅に迎えにいった。桜のシーズン本番。平日なのに、駅構内はごった返していた。ぼくも、どこかに花見に行こうかなー。

稜季の父ちゃん> こちらこそお世話になりました。いろいろとお手間をおかけしますね。ほんとうに、私が法席に座れていただくためには、あの手、この手、種々のお手回しがあるんですね。でも、全部「当たり前」にして、大きな顔して生きているんですから、南無阿弥陀仏に出会わないかぎり、これはどうしようもないですね。

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花御堂

 翌日は、花祭り17、8名のお子さんが参加してくれた。華光会館の古い花御堂に、子供の一人が飾りをつけをしてくれた。ぼくが子供のころ、会館の日曜学校でやっていたやり方をそのまま踏襲て、お飾りをしてくださっている。子供の「お祝いの言葉」も、立派だった。Img_0255 

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S家の三姉妹と

Img_0243  春の日差し一杯の日高の法座だった。京都の桜は本番だが、さすがに北部はこれからというところ。円山川にかかわる桜の一枝。ずいぶん霞んでいると思ったら、黄砂だった。すっかり春だ。温かい空気と、冷たい空気が混じり合ったのか、かなりの強風に加えて、夜には雷雨となった。ちょうど法座の始まる前で、出足は悪かった。冷えなかったが、高齢の方には、あいにくの天気だった。

 予想していた、壮年(ママさん)の人たちは、子供さんやご本人が体調を悪くされて、残念ながら参加されなかった。それでも、あっちこそで、ぼくと同世代前後の同人の子弟と言葉を交わせたのは、大きな収穫だった。それに、若い時からお宿してくださった、S家の三姉妹が、顔を揃えて、一緒に食事をして歓談した。みんな嫁いでおられるので、こんなことは何十年ぶりになるのか。翌日の日曜学校に合せて、子供さんを連れて帰省してくださったのである。

 ぼくが、初めて外に「布教」に寄せてもらったのが、このS家である。といっても、日曜学校が主だったが、大人の法座ももった。25、6年前のころ。まだ大学生の、ほんとうに未熟だったと、いまさらながら冷や汗がでる。日高(当時は、江原)が、一番、輝いていたころで、人数も、実力も、華光の中心だった。皆さん、40代から50代前半で、法の上でも油の乗っておられた時期だ。そんな方からみると、ほんとうに幼稚な話だったと思うが、皆さんほくの成長を喜び、我慢強く育ててくださったものである。それが、もう三分の一程度になられ、弱り、亡くなっていかれるのだから、やはり寂しい。

 日高の同人の子弟は、ご法の上では、3代目、4代目になる。祖父母の時代が、鎌田先生、父母の時代が、増井悟朗先生とのご縁。華光会館ができる前で、50年以上も昔のことだ。だから、みんな子供大会に参加し(といより、ここで子供大会が開かれていた)、その胸に強い印象が残っている。ところが、祖父母も、父母も、その信仰が激しかったことが、足かせにもなってきた。一人、二人そんな人がいるのならまだしも、地域の仲間全体が、時に檀家寺と対立し、時に他の村人と対立しながら、法が相続されてきた。そんな同人が元気なうちは、若い者の出る幕などない。同時に、父母のそんな生き方や、信仰のありように反発も強かったようだ。

 それが、年齢と共に、還る場所に還りつつあるのかもしれない。ご本人は反発されているのに、子供さんを花祭りに喜んで連れてきたくださる。華光やぼくたちへは、信頼を寄せてくださっているのも事実だ。新しく加わった子供さんや嫁さんとのご縁を通じて、新しい形で、華光とのご縁が生れて来るかもしれない。当初は細々として希望的観測だったが、徐々にそのパイプが太くなってきていることが、少し実感となっている。

 夜の法座は、すぐに懇親会に変わった。同人の皆さんがお帰りになったあとも、支部長さんを交えて、三姉妹のお一人と、深夜まで話が続いた。雑談もあったが、時にご法の話になった。華光の書物も読んでおられる。実際に、自分の死も見つめる目にあっておられる。でも、「私には一生信じられない。絶対に」と、少し悲しそうに笑われた。そう、ぼくにも、仏様など一生信じられない。しかし、そのことを教えていただいたのだ。そして、仏様の方が、なんら信じるに足らんぼくを、信じきってくださっていたことをお聞かせにあずかったのだと。旦那寺をもたない彼女が、年上のぼくに葬儀をたのまれた。快くよく引き受ける。「そうだね。必ず、この場所で、こころのお葬式をしよう」。彼女はその真意がとれなかったようだが、ここは、日高の同人だけでなく、多くの華光同人が、この仏壇の前で、後生の夜明けをされた法徳の家なのだ。

 楽しかっただけでなく、わくわくした気持ちで、床についた。

 

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