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子鹿のように繊細

 昼前に、華光誌を印刷所に渡した。これで今月中に出来上がり、4月上旬にはお手許に届くだろう。入力し、手直しをし、校正をして、何度も本文を読むのだけれども、ゲラ刷りを読むのと、完成してきた本の重みを感じながら読むのとは、まったく別物だ。さらに、輪読法座を始めてたら、また違う角度で華光誌と接するようになった。華光誌を使って、法座をされている方からも同じような感想をいただくが、せいぜい一人で読むだけでなく、分かち合いをしていただくと、さらに別の光りが差し込んで来る。

 そのあと、久しぶりに、一般の方のカウンセリングを引き受けた。ご示談や、または同人の相談が大半だけれど、ボチボチとそれ以外の方からもお声をかけていただく。ぼくよりも家内の方が多いかもしれない。誰にも相談できずに、子育てや、家庭生活で悩み、孤立しておられる方が増えてきておられるのだろう。もろちん、あくまでもそれはきっかけであって、「子育てを通して」自分自身に焦点があたっていくケースが大方だ。

 入れ代わって、MAUN.さんたちと、修繕募金の記念品の相談にかかる。限られた予算で、なかなかか難しいものだが、できるかぎり最善のものをと、いろいろと知恵を絞ってもらっている。なんとか、永代経には間に合わせてくださるようだ。

 保育園に子供をお迎えに入った後は、月一度の呼吸法。縁あって、華光会館を貸し会場にされているので、サリーの艶やかなインド人女性に指導していただく。呼吸法の前に、からだをほぐす。今日のヨガが少しハードだった。ヨガは、手足の長いアーリア人向けだと、自力整体の創始者の矢上先生が言っていたが、ぼくも一時、佐保田鶴治氏の流れのヨガを少しだけかじっていて、いろいろあって自力整体にであった次第である。

 呼吸法である。家の中の持ち物もそうだけれども、からだも、こころも(感情も)不要なものを溜める名人である。「いまの、一息、一息」に集中することが、いま一瞬、一瞬を大切にすること以外にない。不要なのを吐き出して、やさしい気持ちで接すると、自分自身が姿を現して来た。雨にぬれて震える子鹿のようで、臆病で、非常にデリケートで、か弱いので、やさしく、ゆっくりと接しないと、すぐに姿を見失ってしまうが、その点は、今回は、わりと接することが出来て、気づいたことも多かったかな。

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