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静かな、偉大な念仏者

 3日昼、高山の法座に出発する直前でした。

 また一人、こ法のためにご尽力くださった華光の大先輩の訃報が届きました。しかも、華光誌創刊号からの、華光同人だった、新潟のミヨシさまが、静かに、お浄土に還っていかれました。華光会館の創立や、再建には、たいへんなご尽力くださった御方です。すべて、後に続く者たちの念仏相続を願ってくださった、尊いお働きの賜物です。

 静かな、静かな常念仏の御方でした。一昨年、新潟の娘さんのお宅で、コタツにはいれながら、二人きりでとお話を窺うことができました。ぼくにはそれが最後でした。伊藤康善先生との出会い、厳しい求道、そして一念の喜び、ボツボツと70年近く前のことを語って下さいました。この世のことは、かなり厳しくなっておられましたが、ご法の味わいは何一つブレておられませんでした。そのお話の内容は、訥々とした口調で、途切れ途切れだったのですが、その合間、合間は、常に、お念仏さまでした。しかも、静かな、静かな、それでも温かい響きのお念仏さまでした。日頃、懈怠なぼくも、その威徳のおかげで、共に、お念仏させてもらっていました。

 大声もいらない、力みもいらない、有り難い気持ちも、無理強いもない。ただただ、静かな「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の響き。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 お浄土で懐かしい伊藤康善先生と再会を果たされる間もないほど、すぐに還相回向のお働きで、さぞやお忙しいことでしょう。

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