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無仏世の衆生は重罪

 明日は、高山法座。3席法話があるので、華光誌の作業を睨みながら、教案造り。途中、気分転換に東本願寺の前のカフェで、紅茶を飲みながら、教案を考えてきました。

 今回は、1)報恩講で話した「四依」を取り上げます。聞法をする上での大切なポイントの一つだと感じています。何をその拠り所、たよりにして聞いていくのか。ここを取り違えると、いくら聞法しても、いくら熱心であっても、ご法が届くことがないわけです。報恩講ときは、40分ほどのご法話だったので、今回は、新たな例話も加えて、でも、ポイントは繰り返してお伝えしたいです。その箇所のお聖教を読んでいて、出会った言葉。(現代語訳)

「無仏(仏のおられない世)の世の衆生を、仏(釈尊)は罪が重いとされた。仏を見たてつまる功徳を積まなかった人たちであるから」

 三毒の煩悩だけが罪悪じゃないですね。無仏の世に生れた、つまり末法に生れたということ自体が、無宿善の機だといわれている。これは、厳しいお言葉です。だから、末代の道俗は、この四依によって、こころして念仏を教えを聞きなさい、と結ばれています。

 翌朝は、2)誌上法話の輪読し、3)もう1座は、歎異抄を取り上げます。これまでも、よく歎異抄を取り上げていますが、だいたい1章、2章、4章、9章と、13章というところ。何度も繰り返し読んだり、みんなで話し合ったり、工夫をしています。でもなぜか、3章の悪人正機の章は、ご法話したことがありませんでした。世俗・相対的な善・悪を超える教え、自力と他力の廃立にかかわってくるところですね。一章、二章と並んで、歎異抄の法語編でも大切な章です。

 夜も、聖教や資料を読んだりしていましたが、明日の華光誌の段取りをしておこうと、少し前まで校正に手をいれていると、ちょうど1頁分不足してることに気がつきました。でも、いまならまだ間に合います。さいわい、アメリカの方から誌友通信になる手紙が来ていたのを次号回しにしていたので、うまく補えそうです。

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