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『エドワード・サイード』~パレスチア問題

 今日は、続けて映画2本観ました。自転車で、四条烏丸の京都シネマまで。17、8分ですが、天気も良くて、快適そのもの。早くも京都は桜の咲き始めが宣言されましたが、例年より1週間程度は早いですね。見頃はまだまだですが、もう春ですね。

 パレスチナの現状を伝える、『エドワード・サイード(←ストーリーやサイードについて、こちらから)。日本人の監督が、2003年9月に亡くなった、コロンビア大学の比較文学学者で、パレスチナ出身の、エドワード・サイードの足跡をたどって、イスラエル、レバノン、シリア、エジプト、アメリカなどを旅する、ロード・ムーピィー型のドキュメタリー。

Outofplace_01  実は、この映画で初めて、エドワード・サイードという人を知った。恥ずかしながら、パレスチア問題に関しても、まずマスコミで流れされるステレオタイプのイメージしかもたない。自爆テロの報道などで、「暴力の連鎖」と一方的に伝えられ、「何千年も続く、聖地をめぐるユダヤとアラブの対立」といった程度で片づけられている。単純に、どれだけの人が、イスラエルや、レバノンやシリア、ヨルダンといった周辺国の位置を把握しているだろう。それほど、ぼくたち日本人の意識では、あまりにも遠い遠い国の出来事であり、無関心で過ごせるのである。

 映画は、パレスチナでのサイード一家の痕跡を描いた彼の自伝「OUT OF PLACE」をテキストに、中東諸国の旅が綴られる。テーマのひとつが、故郷を奪われた民の、アイディティティの喪失と、きれいごとではない二民族の二国家での共生という未来への道。それは遥かに遠いように思われる。しかし、監督の言葉を借りると、「故郷を奪われたパレスチナ難民も、様々なディアスポラ体験の末にイスラエルに辿りついたユダヤ人も、境界線上に生きていることには変わりがない。その不安定で揺れ続けるアイデンティティを大らかに受けとめようとする人々を通して、そこにサイードが終生希望を託そうとした未来が見えると思った。「OUT OF PLACE」であることは、あらゆる呪縛と制度を乗り越える未来への指針なのかもしれない」のだという。

 周辺アラブ諸国でのパレスチナ難民への差別と抑圧の現状。それでも、一族が肩を寄せ合い、信仰を基に生きていこうとす人達。実は、多種多様な人種が混じっている、イスラエル人の現実。そこにも、ごく日常の生活があり、過酷な過去があり、明日を信じて、人々が生きている。イスラエルのある町で、昨日まで、隣人であったパレスチナ人が強制排除されたあと、彼らが「いなかったこと」(痕跡もなかったこと)にして振るわれていく恐ろしさ。捜し当てたサイードが過ごし強制移住させられた別荘は、次の住人が、ユダヤ人のマルティン・ブーバー(我と汝ですね)だったのも、単なる偶然とは思えない。

 人知れず、静かに眠るサイードの墓標と、かたわらのオリープの木の背景に、映画は静かに終わる。パレスチナ問題であると同時に、民族とは、国家とは、また宗教とは、そして自分自身のアイディティナィや、帰属の問題という普遍的で、根源的な問いを含んだ映画だったかもしれない。

  「私の人生を表現するなら、出発と帰還の連続です。

  出発は常に不安で、帰りはいつも不確かなのです。」

                    (エドワード・サイード)

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