華光誌、グーンと進みました
遅れていた華光誌の編集作業も、週末に法座がなかったので、この4日間でかなりはかどり、例年並みのペースに。ちょっとホッとしています。原稿も、催促やら、急なお願いやらで、なんとか体裁が整いました。最近はページ増になることも多かったけれど、今号は薄目です。その分、編集作業がはやく出来そう。3頁弱空いたので、9月の東京の公開講演法座の意義について書くことにしました。このあたりはもう一息。
例によって、仕事の前には、ゴチャゴチャしてきた部屋を片づける作業から始めました。いろいろなものがため込まれいます。新聞の切り抜きに、法話の教案に、映画のパンフレットやチラシに、CDに、新書や専門書、雑誌も、ジャズ、映画、カルチャー誌から、真宗や心理療法の学会誌、それに書類や手紙、資料と、重要度はさまざまあれど、加齢と共に、ドンドン執着するものが、深く、広くなって、ますます溜めていく一方。ほんと、目にものみせられますね。机の上や仕事部屋の整理がつくと、一時だけは、少し心にも、クリヤースペースができるような気がするのですがね。まあ、今夜は、もっとゴチャゴチャしていた居間の子供のおもちゃなどを片づけて、珍しく掃除機をかけたら、気分までスッキリ。原稿も、いいアィディアが浮かぶかもね。
結局、みんな捨てていくんだけどね。どんな嫌でも持ってはいけないもの。でも、一旦「おれが」と溜めたものは、なかなか捨て難い。モノだけではないです。家族や人でも、こころでも、「我」がつくと、ほんとう厄介です。この「我」こそが、いちばん厄介ものですね。捨てるに捨てきれず、お互い、ここまで迷いに迷いを重ねてきたわけですね。アア。
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コメント
>この「我」こそが、いちばん厄介ものですね。
そうですよね。なんとか「捨てんならン」と気づいてきたのですが、対立の構図があると「こっちも捨てるけど、まずそっちが捨ててくれ」などとねぇ…
結局捨てるのが惜しい…だから執着なんですね。
投稿: MANU. | 2007年2月27日 (火) 23:19