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進んで、退き、また進む。

 昨晩は、伝道研究会。最近は、『念仏の雄叫び』の輪読ですが、今回は、華光会のホームページの検討がテーマとなりました。このところ、ぼくの中でも、またごく身近な周辺の人達においても、HPと、またはそこから派生している諸問題で、かなりいろいろな動きがおこっています。日々、変化しているといってもいいでしょう。

 特に、教義的な問題に関しては、伝道研究会でも、チェックを入れるようにお願いしました。でも簡単に進みませんでした。その方針や有り様をめぐって、さまざまな角度から、活発な討論となって、細かな点の指摘も出ましたが、同時に大きな問題点を改めて、再確認することにもなりました。違った立場からの冷静な発言も聴けて、やはり相談する意義はあったと思いました。

 ただ、文面だけを切り離して知的に討議するには、まだ生々しい未解決の問題もあり、どうしても責任を痛感された人や、責めたり-責められたりという気分になるような場面もありました。これまで主体的に関わられた皆さんの気持ちや立場を考えると、その点への配慮が十分ではなかったのかもしれないなーと反省する点もあります。

 それぞれの思いがあって、結局、結論には至りませんでした。形式的な点検ではなくて、解体するような気持ちになって、改めて見直すことは、一見すると、当初、共有し合っていた方針からの後退、もしくは転向するような感じにみえます。しかし、長い目でみると、さらによりよいものが誕生する、建設的な方向に舵が切られていく予感もしています。産みの苦しみも大変だけれども、それをしっかり育んでいくのも大変な作業ですね。まずは、問題に誠実に向き合うことしかできませんが、それがひとつの持ち味のような気がして、その意味では、ぼくのなかでは、すこし光りが見えてきた気がしています。

 でも、これも所詮、いまのぼくの気持ちにすぎません。これから、このあたりどうメンバーと共有していくのか。これからが本番です。

 今夜は、この件でお会いして話し合う約束がありましたが、キャンセルになって、結局、家内とかなり話し合いました。夫婦でしっかり会話があるのはいいのだけれど、どうしても身内なればこそ、難しい点も多々ありますね。ぼくのほうが、雰囲気としてつらくあたるというか、責める感じで接しているようで、そこが相手に伝わっていく。HP問題以外に少し時間をかけて考えていく大切な問題も含まれているのですから、丁寧に関わられないといけないのにね。少し鷹揚に構える必要もあるとはわかりながらも、どうも器が小さいのか、ここは難しいとこですわー。なかなか、なかなかですね。

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コメント

こんばんは。かりもん先生を中心として、多くの方々が、ご法を伝えるのに真摯に議論され、苦悩されている姿が、心に突き刺さります。ご法のこととはいえ、「ことば」です。それに感情(思い)が加わる。そして顔・目が変わる。こちらでは気づかぬ形相にもなる。その熱い思いが、ひとつひとつご法話として、砕いて、伝えていただいている。「有り難い」正に「有る事が、難しいこと」と聞かしていただく。もったいないことです。(これしか言葉しらない)先日、支部法座をお勤めさせていただきました。あらためて、ご法に関わる座での責任の重さを痛感します。私がはかることではありませんが、私の一言に、私自身が怖さを感じます。それでも、真実はひとつ。そこに迷いも、戸惑いも、恐れはない。南無阿弥陀仏。その意味でも、先日の支部法座で読ませて戴いた伊藤康善師「自力の迷情」は、今ここにいる私への、ご説法でした。3月を楽しみにしています。南無阿弥陀仏。

投稿: 稜季の父ちゃん | 2007年2月 9日 (金) 18:46

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