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ボイス・トレーニング

 広島の法座が終わったあと義姉を訪ねた。繁華街を抜け、球場前、原爆ドームの前を通って、車で15分足らずだった。

 マン・ツー・マンで、「ボイス・トレーニング」を受けるためである。正月の帰省時に、一足早く試してきた家内の勧めで、すぐに飛びついた。昔のぼくなら考えられないほど積極的になったものである。これまでは初の体験をする前は、楽しみよりも不安を覚えるタイプ。ましてや、一対一で、しかも苦手な分野の体験。でも、最近は、未知なものにも、少しは楽しもうという余裕ができてきた。自分の変わりように、自分でも驚く。

 自分の声、嫌いだなー。世間の人よりも、テープから聞こえて来る自分の声を聞く機会が多少は多いが、どうも苦手だ。ましてや、正確な発音をしているかなど、これまで強く意識したことはない。ゆっくり話すとか、大きな声で話す程度の注意は払ってきたが、それより、話の内容のことばかりにウェイトを置いてきたと思う。しかし、これだけでは、不十分かもしれない。

 レイビアンによると、言葉によるコミニケーションにおいて、伝達されるものは、言語(バーバル)的なコミニケーションは、たったの7%! 残りの93%は、非言語(ノン・バーバル)的なコミニケーションである。そのうち、「音声の特徴」が、38%も占め、「表情や、手振り、動作」などの外観が、55%というから、いかに、声や、姿勢、態度が大切かというのである。たしかに、話を聞くときも、内容だけを聞いているのではない。表情や、声質や、言葉の端にあるためいきや、ときには沈黙のほうが、強く伝ってくることがある。

 それに、自分の話の内容にしても、メモや文章にすれば、多少、客観的にみることができる。しかし、話している声、姿勢、態度になると、ビデオに撮って細かくチャックしないかぎり、なかなか自分のものを知ることは難しい。逆に、他人の姿や話し方は、実によく分かる。よい例はもちろん、悪い例も、自分自身の鏡、先生になるのだ。「人のふりみて、我がふり直せ」といわけであるが、ここを意識すれば、教材はそこかしこにある。

  それなことを考えながら、緊張気味に事務所を訪ねた。これがびっくりするほど、いまの自分にビッタリした内容だった。単なる「声」のトレーニングではない。まずは、正しい姿勢から始まる。力みのない、自然体で、歪みのない姿勢こそが、楽で、きれいなからだを生み、それは外側だけでなく、内蔵もあるほんらいある場所にきっちりおさまっていくという。正しい立ち方、座り方、歩き方、天と地の気を受け取ることができる自然体からしか、ほんとうの「声」はなでいということだった。「声」-いま自分そのものである。その意識の改革から始める必要がある。常に、自分の正しい、自然体の姿勢を意識していく。これは単なる発声法ではないなー。相手に届く声、オーラのある、聞き手を包み込むような声こそが、本来の自分自身の声を取り戻すという、かなり魅力的なものだった。毎日、10分程度、100日間、まずは簡単なレッスンを始めてみよう。それは同時に、自分の耳を鍛えることにもなるという。自分の声を聞き分ける。相手の声の響きを聞くだけで、そのこころや気持ちもが、そこに込められている、現れて来ることまで、聞き分けることができるそうだ。「声」意識することで、「耳」までよくなるわけだ。

 さて、1年後、どんな変化があるのか、ないのか。それとも途中で終わってしまうか。来月も広島法座の後のレッスンの約束もしてきた。さてさて、乞、ご期待である。

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コメント

かりもん先生はドンドン変化(進化)していきますね~♪
スゴイっっすご過ぎる。
それにしても自分の声が「嫌い」って人結構多いですよね。
しかもテープに録った自分の声を聞いて愕然としたって事も。
これって「4つの窓」みたいと思いました。
自分の声って、自分に聞こえてるのと他人が聞いてるのとでは、かなり違うみたい。
自分ではもう少しいい声と自惚れてるよなぁ。
小田和正や平井堅は自分の声好きなのかな、やっぱり。

投稿: 蓮華 | 2007年1月24日 (水) 22:59

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