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真宗カウンセリング研究会・世話人会

 真宗カウンセリング研究会の世話人会があった。4月からの活動計画の相談である。昭和35年以来、47年目を迎える。西光先生亡きあと、研究会の存亡の危機もあったが、多少なりとも余剰金があるうちは、身の丈にあった活動を進めていくことで、現代表のM先生を中心に、ぼくが事務局長として補佐しながら、数名の世話人の協力のもとで、手弁当で続いている。もちろん、西光先生の熱情、功績が目立つのだが、組織としては、ズッーと事務方として支えてきてくださった、M先生の功績によるところが大きい。

 いまは派手な活動ではないが、これまでと変わらず、細々でも、月例会や、各種の研修会、聞法の集いなどを継続し、誠実に、開催し続けているという自負はある。そこで育っていた人達もかなりの数にのぼり、いまもまた新しい出会いがあるのだがら、ある種、胸を張ってもいいだろう。ちょっと余裕がでたのか、年一度は、なにか新しいワークなどの体験学習の機会も設けられるようになった。今年度は、アートセラピー、来年度は、プロセスワークなどの体験機会も考えている。

 創立以来、(とくに晩年は)繰り返し西光先生かおっしゃった研究会の趣旨がある。

1)ひもつきではない。(どの団体や会からも援助を受けぬ代わりに、自主的に運営されている、独立した集いであること)、自主独立した集まり。

2)決して強制はしない。(お世話もあくまで、自主的に、やりたい人がやっていく。たとえここに恩義があろうとも、義理立ては不要。)

3)西光ひとりではない。(研究会は、西光ひとりがやっているのではない。みんなに活躍の機会ある。)-西光先生だけにスボットライトがあたりすぎることを、極力さけておられた。

 3)は、先生亡きあと、真価が問われている。1)は、おかげで貧乏だし、事務所も仮住まい。また、創立以来の参加者であるM先生以外は、ぼくも(といっても、もう20年以上になるなー)含めて、わりとご縁の浅い人達が世話人が、二足、三足のわらじの一つとして、頑張っている。ほんとうは、もっともっと力のある諸先輩方も多いのだが、それぞれが各自の信じる道を歩んで活躍されているのも、、西光先生の2)の趣旨と、器量によるところが大きいのだろう。

 「真宗カウンセリング」の言葉の本家で、真宗の世界では全国区だが、活動は極めてローカル。これもまた本会のジレンマであるが、またこれも「らしさ」だろうか。

 身の丈にあったところで、来期も活動していくので、もし皆様とも、どこかで出会いの機会があれば楽しみです。

 

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