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意馬心猿~わが心にあきれていたが…~

  先月に引き続き、今月もご縁があって、スダルシャン・クリヤー呼吸法に出かけた。

 ヨガでからだをほぐしたあと、ロングの呼吸法に入る。不思議なもので、からだは静かにしているのに、こころはキョロキョロしっぱなしだ。その場でない、過去の思いや、そこにいない人に対しても、さまざまな思いや感情が絶え間なく出て来る。過去をクヨクヨ思い、未来を不安がる。おい、いまの自分は、どこにいるんだ! ほんとうにあきれるな。少しも静まることのないわが心は、まさに「意馬心猿」のたとえどおり。それでも、過度にとらわれることなく、また無理に抑え込むのでも、その感情や思いを否定するのでもなく、畏れずにその思いにまかせながら、こころを見つめて、呼吸を続けていた。過去のそれぞれの場面や言葉と共に、怒りのこころ、腹立ちのこころ、不安のこころ、嫉妬のこころが、ほんとうに絶え間ない。すると、その彼方に、傷つき、おびえ、震えている「子鹿」のような自分が、スーゥと明らかになってきた。と同時に、静かに一筋の涙が流れ出て、温かいものに包まれた。静かに短くお念仏させてもらった。

 毎回、違う体験がある。一回限り。今回は、疲れていたのか、ノリがいま一つ。激しいものはなにもなく、わりと静かな体験だった。

 さて、煩悩-「煩は、身をわずらはす」。「脳は、心をなやます」と、聖人は仰るが、まさに、この煩悩(感情)のために、わが身も、心も悩まされ、また周りの人達も巻き込んみ、迷いを繰り返してきたのだ。真実の南無阿弥陀仏に出会い、この迷い根切れをしないかぎり、苦しみからは逃れられないのが、浄土真宗の立場である。ただ、この煩悩のかなたにも、さらなる真の自分の姿があることは、大事に聴かせてもらっていいことである。

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