« 意馬心猿~わが心にあきれていたが…~ | トップページ | 半年経ちました »

問題はぼく自身のところ

Img_0031  昨日は、同人会ニュースの作製を始めたが、夕方、子供のお迎えもかねて、気分、転換にカットに出かけた。長女の幼稚園の関係から、急に家族ぐるみのお付き合いになったので気楽である。あれこれ、お互い愚痴をこぼしながら、ついでに華光誌の新年号を渡してきた。短く髪を切ってもらうと、すっきりした気分である。ついでに、飾ってもらっている家内の絵も撮影させてもらった。なかなかいいでしょう。

 その足で、華光の新年会にでかけた。日頃お世話になっている伝道研究会の先生方や事務の皆さんと会食した。その後、二次会は、テーブルの都合で、3名、4名になった。MAUN.さんとM先生とご一緒した。おかげで、ぼく自身のところを聴いていただけた。このところ、すごく前向きな自分がいる。いろいろと積極的に新しいことにもチャレンジしている。人間関係もおおむね良好で、気分的にも張り切っている。でも、一方で、左の腹あたりにひっかかりというか、モヤモヤした感じが付きまとっている。ほぼ解決はしているが、まだ引き付いてる2、3の問題があるのだ。報恩講から、ちょっとそこがグーと意識されるようになってきた。3人でそれぞれ意見交換をしあったり、先生のお話を聴かせてもらったりしていた。自分のことに触れているうちに、さすがに号泣することはなかったけれど、グーと響くものがあった。自分自身の中なかのなにかに触れる気づきが起こる。これは、長年もっていた、そして取り組んでいるぼく自身の課題(テーマ)であり、特に11月から、個人的に12月ごろ、そして1月と、ごく狭い範囲でおこってきた問題に触発されて、出てきたぼく自身の課題である。

 具体的には、ちょっと触れ難いけれど、とにかくいままで生きてきた歩みは、華光という看板と、飾りのない自己自身との分け難い葛藤のようなものがある。ここ数年、長期的には、このテーマを課題として、悩みながらも、かなり克服してきたり、歩むべき方向性が見えてきたけれど、短期的には、やはりまだここに触れられると、しんどいものがある。外に問題があるのではない。その問題を縁とした、自分自身の課題があるから、そこに巻き込まれて悩むのであろう。(でも、自分自身のことがいちばん分からないものなー)

 一旦、起こってしまったコミニケーションを、元には戻せない。時計のハリは戻らないのだ 。なかったことにしたくても、出来ない。これがコミニケーションの鉄則だ。でも、新たなコミニケーションを結ぶことは出来る。それが、新たなよりよい方向に進むのであれば、こんな素晴らしいことはない。そのためには、時間もかかるかもしれないし、難しい点もたくさんある。関係が、一見、修復が不可能に見えることもあろう。一時的には、距離が必要なケース、後退にうつることもある。

 それでも、もし相手が信頼にとる人だと思うのなら、自分の成長の糧に、なにかを気づかせていただける、ご法を味わえる方になればいいと思っている。今回のことで、多岐ににわたって、ぼく自身もずいぶん教えられたが、何よりも、自分の自身の課題に触れられたことがいちばんよかった。(確かにこれ以上の厄介はゴメンだけどね)

 M先生から真宗カウンセリングを受けながら、その場の支払いは割り勘という、まったくもって有り難いことだった。

|

« 意馬心猿~わが心にあきれていたが…~ | トップページ | 半年経ちました »

法味・随想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 問題はぼく自身のところ:

« 意馬心猿~わが心にあきれていたが…~ | トップページ | 半年経ちました »