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東海支部法座~指月の月~

 東海支部の法座で「連続無窮のお働き」を読みました。広島、東京、九州、京都・大阪、高山の順番で読んできましたので、これがラストの締めになります。

 同じ内容でも、随分、雰囲気が違うという印象を強く持ちました。かなり参加者に左右されますが、東海支部には、支部の独自の空気がありまして、ちょっとバラバラしています。それぞれの自分の独特の世界を、勝手に語り合うという雰囲気ですね。求道者は、自分の気持ちばかりを、社会に関心をもっておられる人は、「教育基本法」改正問題に強く言及されたりしてね。このあたりは、異なる雰囲気なので、妙な緊張感生れまして、これはこれで変化球で面白かったですがね。ぼくには、ぼくとして、いいたい事はありましたし、気分的には同じ気分を共有できるのですが、この問題は別の機会でというところてすね。

 ほんとうはじっくりとそれぞれの味わいを語り会いたかったですが、そんな雰囲気にはなりませんでして、発言者が偏ったのが、ちょっと反省です。

 今回の法座で、感じた事の一つは、「指月の指」(月をさす指)という言葉。どこに月があるのかわからないものに、「あそこにだよと」と、指を指してもらう。その指の先に、月があるのだけれど、愚者は月を見ずに指を見るという、ことわざですね。真理を知るには、先達の導き、特に浄土真宗では、言葉によってお導きをいただく。しかし、これが厄介なのですね。この言葉がないと、前には進めないに、その言葉に捕らわれて、道を迷っていくのも事実です。要は、月を見ないで、指ばかりを論じ合っている。指が、きれいに見えたとか、長いとか、太いとか、または指の先を観た人が、根元を見ている人を嘲笑したりする。まったくもって、月を見ないで、ますます指ばかりを眺めている。そんな話題が多かったんじゃないんですか。

 「指ばかり見ている」自分に気づけば、方向が変わるんですが、これが難しい。でも、先達、友同行がおるというのは、何者にも替え難い幸せだと思いましたよ。間違いを正してもらえるわけですから。それには、ちょっと頭を下げる、ちょっと心を開く勇気もいるかもしれませんがね。

 高山から、高山法座、成道会、そして東海支部と、3週続けて、Kさんお参りくださいましたので、急遽、人を募って、「浅野屋洋食店」で、会食してきました。●●●●●●●●

 で、結局、5名でしたが、美味しく、楽しかったです。増井先生の書、「無碍道」の扁額など見られます。華光の皆さんも、名古屋のお寄りの折には、贔屓にしてください。(ちょっとCMです)。

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コメント

ここにコメント書くの初めてです。ちょっと緊張~。
「連続無窮のお働き」は去年の華光大会で聞かせてもらい、華光誌で読ませてもらい、巡回テープで聞き、高山で輪読し、今回の東海で耳にするのは5回目でした。でも同じものを5回聞かせてもらっても自分の気持ちのあり様や座談のメンバーなどで、全く違った感想や味わいが出て来るんですね。
高山ではひたすら「泣きまくり」でしたが、今回は相田みつをさんの「自分-この厄介なもの」と言う言葉がとても印象深かったです。

相田さんの書は今多くの人に受け入れられていますが、仏教(本当の事)やから(念仏者以外の)一般の多くの人の心にも響くのかな~とも思いました。

石つぶてに「聞けよきけよ」の御説法。「連続無窮のお働き」で聞くはずのない私に今「お念仏」が届いている。不思議なこと。有り難いこと。

かりもん先生、ありがとうございました。「浅野屋洋食店」美味しかったし楽しかったですね。

お手頃なお値段でなかなかのモノが味わえるので、おすすめですよ。名古屋に来られたらぜひ。でも電話で予約したほうが無難かな。人気があって混んでます。


投稿: 蓮華 | 2006年12月19日 (火) 00:12

うらやましい。
私はその晩、おいしくないカレーを食べました・・・。

投稿: 泥凡夫 | 2006年12月19日 (火) 08:19

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