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法器としての「からだ」

 明日は、広島支部法座。

 このブログからご縁のついた、三戸独笑師の娘さんと、お孫さんが、お参りくださることになった。今日は、居間の掃除(きれいになってスッキリしたぞ)や書類整理、そして聞法旅行の会計などの事務仕事が中心で、法話は、ぼんやりとしか考えていない。どうも華光大会の印象が、まだ強く残っている。今回の広島も、数名の初参加の方を連れてきてくださるので、なるべくそのあたりに沿うような話にしたい。法器としての、このからだ、このいのちをいただたことをテーマにしたいと考えている。

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