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家族での小旅行にて~老苦、病苦の現実~

 昨日、長女の授業が終わるのを待って、家族全員が揃っての初めての旅行に出かけた。華光会館を留守にするわけにはいかないので、これまではこんな機会はなかった。今回は、M君に留守番を頼み、6名が揃う初めての機会だった。もっとも、旅行といっても、高齢者と幼児を抱えているので、お隣の滋賀県信楽町の温泉まで、1時間少しの小旅行。ホテルの温泉でゆっくりして(子供がいると、ゆっくりというイメージでもなかったが)、近くの美術館に寄って、昼過ぎには帰ったきた。

 今回の旅の一つの目的は、高齢になった両親と、プライベートでは一緒に旅をする機会がなかったこと。中でも、華光会においても、また家族にとっても、裏方に徹して、皆を支え続けている母の誕生日を祝うために、ほんとうにささやかだが、慰労の意味を込めて出かけた。

 父も81歳になった。まだまだ現役で、伝道布教に邁進する毎日だ。そのバイタリティーには頭がさがる。もちろん、年齢を感じさせずといいたけれど、やはり年齢相応の老いの現実は迫ってきている。今回のように一緒に旅をすると、随所に、昔のスピードではいかない現実が、よくわかる。ちょうど、帰宅したら、念仏と共に、ガンと闘病されながら、明るく振る舞われ、逆に回りの人達を勇気付けているある同人から、メールが届いた。このブログも楽しみしてくださっているという。こちらが励まされる。

 ここにも、病の苦しみから逃れられぬ、人間界の悲しい現実がある。法蔵菩薩さまのご修行を味わうための苦痛の日々に、本来は、第3者が軽々にかける言葉などはみつかない。しかしである。この世で、既に迷いの根切れをさせてもらった、一旦、迷いの葬式のすんだ身ならば、残りの人生は付録、おまけのようもの。あとは、仏法を喜ぶための生活があるのみだ。だからきれいごとの慰めを並べるしかない世間のお付き合いにはない、その老や病の現実を、お互いがごまかすのではなくて、現実を現実と受け止めた上で、喜びを分かち合えるご法のすばらしさを、讃嘆させてもらえる。「氷多しに水多し、障り多しに徳多し」。そこを喜び合える、仏法で結ばれた深い縁(えにし)が、尊くも不思議でならない。仏法を聞くために、せいぜいご自愛いただきたいと願わずにはおれない。もっとも、たとえ、老苦や病苦を克服できたとしても、必ず、死んでいかねばならない。この世の中で積んできたものすべてが崩れさっていく、死を逃れることは誰もできないのだ。そのことを、よくぞ、いのちのあるうちに聞かせていただいたものだと、喜ばずにはおれない。

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