腹底から力が漲る
今日は、広島支部法座。法座のあと、家庭法座を開いてくださったHさんたちと、近くの中華料理屋で、すごい量のチャンポン麺をよばれて、午後10時すぎに帰宅した。広島支部の皆さんと、外で会食するのは始めてだったが、短い時間でも楽しかった。
もちろんご法座でも、うれしいことがあった。このブログをきっかけに、三戸独笑師のお子さま(二女の方、86歳にしてなお、凛とした姿勢のとてもすばらしい御方だった)と、そのお嬢さま(お孫さま)が、ご一緒にお参りしてくださった。ほんとうに、不思議なご縁、仏縁の深さを感じずにはおれなかった。短い時間だったが、貴重なお写真や、お話を窺うことができた。三戸先生のご臨終のご様子と、それを歌われたお歌、大正年間に発行された、信仰求道雑誌「赤裸々」誌(体裁なども、昔の華光誌にそっくり)、そしてそこから誕生した「赤裸々会館」、毎月の例会に、春と秋の大会のこと、そして、雑誌には、三戸先生が、連日、全国各地を布教巡回されている様子が綴られていた。華光の増井先生や、高山で活躍された早川先生のように、三戸先生も在家出身でありながら、弘法のために身命を省みず邁進された。会の生れや形式もさることながら、そこで語られている内容が、いま、華光の信仰座談会で語り聞きあっている内容に、寸分変わらないことに、深く感銘を受けた。
「赤裸々」誌は、戦時の物資欠乏に伴って、昭和15年に休刊。三戸先生も、昭和18年にご往生される。逆に、そのバトンを受けるように、「華光」誌は、戦時中の昭和16年11月に創刊されている。何か因縁めいたものを感じた。たまたまいたいだた「赤裸々」誌に、広島市の森岡老人作として、「悪人の最後」という歌が掲載されていた。これまたびっくり。作者不明で、華光の「仏教詩歌集」に、同じものが掲載されているからだ。
三戸先生のご縁を受けた人達は、いま、どうされているのだろうか。大沼法龍師しかり、羽栗行道師しかり、信仰活動に燃え、信仰雑誌や多数の著作を残され、多くの方を勧化された法脈は、偉大な先師の往生と共に、残念ながら途絶えてしまっていくようである。
いや、形や場所は移っても、確かに、その法脈が華光の中に、受け継がれているではないか。有名無名の無数の念仏者の喜びが、「無尽燈」のお働きとして、次々と受け継がれて、わが胸に届いたことが尊くも、勿体ない。
しかも華光のすばらしさは、いまなお、10代、20代の若い念仏者が、生きたご法の相続をしてくださっていることである。
そんなことを思うと、わが力を超えた不思議としかいいようのない力が、腹底から漲ってくるようである。南無阿弥陀仏。
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コメント
Hさまへ
ちょうど来客中の方から、このコメントのことを聞き、あわてて、ブ゙ログをチェックしました。ほんとうに有り難いことです。またしてもびっくりしました。三戸先生を通じてご縁が拡がってきました。
ここに触れているように、広島では、二女の方にもお会いすることができました。ぜひ機会があれば、いまのうちにお話を窺っておきたいものです。
今週末は東京に出講します。年に数回は、東京にも窺いますので、きっとお会いできるチャンスがあるかもしれません。
よろしくお願いします。合掌
投稿: H様へ | 2008年2月20日 (水) 15:14