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第1回事務連絡会議(後段)

 10年ぐらい前までは、この立場であった。ところが、地道な活動と、啓発のおかげで、ずいぶん、風向きが変わってきた。同人の中から、「先生に、布教に専念していただこう」。「自分たちの聞法の場は、自分たちで運営していこう」という声が上げるとともに、自ら実践してくださった方があった。同人会組織が生まれたり、運営委員会が誕生した。そして、事務員を雇ったり、法座の運営も、実務委員で担当できるようになった。ずいぶん、ぼくの仕事も変化してきた。それまでは、いま、事務員さんにお願いしている仕事に加えて、毎月の案内、テープ、華光誌の版下作製、そこに仏青と、日曜学校、さらに布教活動もおこなっていたのだから、雲泥の差である。そのせいで、たとえば、華光大会の前など、法話の検討をする時間など到底なかったし、華光大会が終わったその夜中に、同人会費と書籍、賽銭などの記帳をしておかないと、あとの仕事に差し障るほど雑務に追われていた。封筒の糊張りに忙しく、急な来館者を歓迎できなかった。体調の面からも、精神的な面からも、しんどかったが、伝道活動の使命感だけで、強迫観念的に仕事をこなしていたのだ。

 その点では、いまは状況が変わった。事務員も、大車輪で働いてくださる。運営委員長も献身的に努めてくださる。仏青も、日曜礼拝も、若手を中心にその役目を担ってくださっている。それどころか、HPの広報や、DVDなど、これまで手が回らなかったことまでこなせるようになった。いわば、個人商店から、零細、小規模ながらも会社組織になりつつある。同時に、同人がお客さんの立場から、「私の華光会」へと、徐々に移行しているのである。

 当然、ぼくの役目も、実際の実務型から、監督や指示になってきつつある。布教や華光誌もかなり専念できるようになった。では楽になったのかというと、違うところで悩みが起こってきている。もちろん、これは有り難いことであるが、各自が個々に行っている状況を、十分に把握する必要が生れるともに、何も自分の思いどおりに事が進行するとは限らなくなった。それに問題点も出てきている。たとえ華光にとってブラスになるであろう新企画でも、十分な説明がないと、傍目には個人のスタンドプレーに写ることもあろうし、同人の総意とかけ離れたものになるかもしれない。また、特定の個人に過度に負担がかかることがないように、(精神的な面からも)そこを支えている仕組みも必要になってきた。そのためには、責任者としてぼく自身が、状況、全般を把握している必要がある。それで、以前からぼんやりと考えてことを、新年度を契機に、実現させることにした。何らかの形で、華光会の事務に関わってくださっている(京都周辺に限られるが)方々が対象にした、定期的な集いである。

 第一回目は、ぼくの趣旨説明を中心に、各自が何を担当しているのか、各担当部での問題点はなにかを、みんなで分かち合った。ただ、分かち合っただけなのに、ずいぶん意味があった。みんなの働きや役割に、ぼく自身もかなり勇気付けられたし、今後への明るい展望を感じた。ひとつは、明確な役割分担が見えてきていると同時に、それが、有機的につながっている、いま華光の全体像も見えてきた。悩みや問題点を(解決は本人としても)、共有し合える場ができたことは大きい。個人ではなくて、組織で動いているのだから、新しいアイディアに対しても、よく検討しあい、事務方が一枚岩で対応できるような意志の疎通を計っていく場にもなるだろう。本来は、運営委員会がその役割を担うべきだが、まずは身近なところから進んでいきたい。

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