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2006年11月の30件の記事

華光誌(本文)どうにか渡せそうです

 おかげさまで、華光誌の本文、明日には、印刷所に渡せそうです。昨日、今日と予定どおり進行しました。ただ、とても短いのに、「修繕工事」の報告と御礼などは、ちょっと気をつかう文章なので、わりと時間がかかります。別に囲みのご報告なので、皆さんサッとしか読まれないてしょうが、きちっとしたものですからね。

 さあ、もう一息です。あと級数などの指示を書かねばいけませんが、小一時間もあれば完成するでしょう。

 これで、一安心。でも、華光誌は、これからも一仕事、二仕事あります。巻頭言などの表紙の作製と、年賀交換、そして年間行事の作製です。これらは完成品を渡します。さらに、明日渡す本文の校正が2度あります。今年は、最終12月14日がリミット。高山帰りの4日からは、11日間あるので、若干(ほんの1、2日ですが)、時間に余裕ありそうです。でもね、完成するまでは油断禁物です。いつも綱渡り。まあ、華光誌専属の職員はいなので、仕方ないですがね。

 その前に、明日は、気持ちを切り換えて、高山法座の教案ですね。三席ありますから。だいたい構想はありますが、明日一日は準備です。

 「ご苦労さんですな」と、自分に言い聞かせております。

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華光誌の明日の段取り

 華光誌、本文は一応出揃いました。本文の初校を手直ししまして、目次と、「聖教のこころ」も書きました。いまひとつですが、まあ、いいでしょう。「恒」と「常」ということで、『一念多念証文』の冒頭です。今年の永代経でしたか、「大慈無倦常照我」のご法話で、「常」といことをお話しました。ここの「つね」に、衆生の立場の「恒」と、仏様の立場の「常」がでているわけです。その点に触れています。

 明日の仕事の段取りは、(1)二校の手直しをする。(2)ウメ2ケ所を作る。テープ(1段)と、修繕工事の報告とお礼(14行×2段)。(3)三校があがり次第手直して、ルビを入れる。ここまでできたら、なんとか木曜日と、金曜日の午前で、1日の午後には、印刷所に回せるんじゃないでしょうか。逆に、それができないと、高山法座の準備がありますから、困ってしまいますが、、。まあ、明日の頑張りですね。

 校正の都合もあるので、午前中は、自力整体にいって、ちょっと凝りをほぐしてきます。パソコンとにらめっこで、かなり肩凝ってきましたから。

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Wちゃん、遊びに来てくれました

  昨日、部屋をきれいにしたら、さっそくいいことがあった。なんと、うまい具合に来客があったのだ。華光同人で、裕子の学生時代からの友人のWちゃんが、ご主人の休暇とあわせて、京都に遊び来て、家族中で寄ってくれたのだ。6月に蒲郡の仏青法座であって以来、久しぶり。お子さんも、すっかり大きくなっていて、最初は、子供同士でも、ちょっと人見知りがあるようだけれど、見慣れないオモチャが次々でてくると、すぐにほぐれて、しばらくすると慣れて、一緒に遊んでくれていた。子育てに、家庭に、そして仕事にと、みんな頑張ってるよなー。そんなことに触れただけでも、うれしくかった。きっとおめでたいこともあるかもね。

 華光誌なんで、今日は簡単でごめんなさい。

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華光誌も、家も片づいてきた

 雨がシトシト降っています。おかげで、今日はわりと温めでした。皆さんの地方はどうでしたか? さて、風邪の方は、ボチボチというところ。鼻声は、あいかわらずですがね。これ以上、悪くなることはなさそうです。

 週末、仕事部屋に籠もって頑張った甲斐がありまして、華光誌にやっと光りが見えてきました。今日は、荷物などの対応と、仏青の役員と少し話した以外は、4畳足らずの仕事部屋(兼書斎、兼寝室)で作業。外出は、12月の法座案内を投函するので、コンビニ横の郵便局まで歩いた程度ですね。

 年賀交換は、「ACE DRAW」というソフト使いまして、自家製版。これは来週以降の作業。まずは本文。32頁分、だいたいメドが立ちました。ただ、年賀交換次第で、1~3頁増の必要もありますが、こちらの原稿もキープできました。寝る前に、誌上法話の目を通そうと思います。あとは、(これが頭を悩ます)「聖教のこころ」。パーと浮かぶ時もあるんですがね。すると、サアーと書ける。でも、このパーやサアーがなかなかやってこないわ。

 そうそう、午前中は、家の掃除しました。家内が、子供を保育園に預けて、表現アートセラピーの第一人者の小野京子さんのWSに参加しましたので、これ幸い。寝室に掃除機をかけ、台所やリビングの片づけを徹底的におこないました。あと、水回りも大切ですよね、皆さん。不幸を呼んではいけませんよ(アハハハ)。溜まっていた洗い物もすませて、優秀な主夫ぶりをハッキしました。「ホテルのようだね」と、家内にも褒められました。でもね、帰ってくると、瞬く間に散らかるので、束の間の夢でしたが、、。

 仕事が忙しくなるときほど、不思議と身辺を片づけないと気がすまなくなります。最低、自分の部屋だけはと思っていますが、散らかっているのをみると、イライラ度が増してきます。もっと毎日手伝えばいいのでしょうが。このまま進化すると、まもなく、ぼくの日常の生活に組み込まれることは、必至でしょう。まあ、普通のところに住めればいいです。普通のところに。

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アニタ・オデイ

 新聞の訃報欄に、アニタ・オデイ(Anita O'Day)の逝去の記事があった。87歳。女性ジャズボーカルの歴史的巨星といえば、ビリー・ホリディに、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、そして、カーメン・マクレエというのが、定番中の定番。これに、白人女性ジャズ・ポーカリストを加えるとすると、ミルドレット・ベイリと、このアニタ・オデイなどが、女性ボーカルの巨星と称される歌姫である。もっとも、みんな鬼籍に入ってしまった。

 といわけで、今日は朝から、華光誌の作業でパソコンに向かいながら、BGMはアニタ三昧である。52~60年代の録音だから、もう50年以上も前のものが中心。ぼくのもっているアニタは、歴史的名プロデューサーのノーマン・グランツによる、Verve(ヴアーブ)時代のものばかり。それでも10枚ほどはある。最高傑作の呼び声も高い「ジス・イズ・アニタ」、「ピック・ユアセルフ・アップ・ウィズ・アニタ・オデイ」、そして「アニタ・オデイ・シングス・ザ・ウィナーズ」などは、アナログなので、今回はパス。仕事部屋にあるのは、BOSEのウェーブCDなので、LP(アナログレコード)は聞けないからだ。

 ほかにも、「AN EVENIHG WITH ANITA O'DDY」(イブニング・ウィズ・アニタ・オデイ)、「AT MISTER KELLY’S」(ミスター・ケリーズのアニタ・オデイ)、そして、「ANITA SINGS THE MOST」(アニタ・シングス・ザ・モスト )などが好きだ。

Anita 中でも、56年に録音された「アニタ・シングス・ザ・モスト は、大好きな1枚。バックも名人揃い。オスカー・ピータソンのピアノ、ハープ・エリスのギターのソロも小気味よい。有名なスタンダードばかり集められているけれど、それだけに実力が問われる。ビリー・ホリディの歌う「ゼム・ゼア・アイズ」がすごいけれど、ここではどうかとなと比較されますからね。で、1曲目は、急テンポから、途中でテンボを落して歌うメドレーで、「ス・ワンダフル~誰も奪えぬこの思い」から始まり、ラストは「魅惑されて」(Bewitched)まで。昔から、ぼくはこのラストの曲が好きです。ハスキーな味わいに、粋なフェイク。難点はジャケットがね、ヴアーヴの彼女のジャケットは、いまひとつだなー。

 JAZZ映画の傑作のひとつ、「真夏の夜のジャズ」では、タイトな衣装に、粋に帽子を被り、ほんとうにソフィスケイトされて、クール!な彼女が拝めます。彼女のほかにも、観客のお洒落ぶりが、いまでも新鮮。’58年のニュポートでの一コマ。「ティー・フォー・トゥー」(二人でお茶を)では、バックとの即興での掛け合いが面白い(「ミスター・ケリーズのアニタ・オデイ」、同曲が収録されていますが)ですよ。

 原稿の合間に、これも気分転換。好きなことは、スラスラと書けるけど、皆さんは退屈されたかもね。華光誌は、まあ順調。どうにか原稿揃ってメドは立ちました。むしろ、減らさないといけないかもね。

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風邪もらいましたが…

 華光会館の事務所と、1階は風邪の人ばかり。とうとう、ぼくも、もらってしまいました。一昨日から、せきと、鼻水がとまらず、ひどい鼻声になっています。(もともと鼻声なんですが:かなりヤバイ)。いまのところ、寝込むほどのことはなく、普通に:生活も仕事もできます。華光誌ですからね。気合を入れていかないといけませんね。

 昨日で、誌上法話は、一応の完成しました。「一応」というのは、小見出しがついて、11頁に収まって、形になったということで、これからも、まだまだ推敲を重ねていきますが、これは、体験記や一般の記事と平行しながら作業ができるようになりました。

 聞法旅行での故西光先生の万行寺様での、ご法話をテープ起こしてて、手を加えています。ご因縁のということ、「当たり前」が「有難い」ということ、そして「知恩・感恩・報恩」ということがテーマです。万行寺様のご門徒の皆さんに聞いてもらいたかったので、華光の人にはとてもやさしくて、分かりやすい話でだと思います。

 今週末は、法座の予定を入れませんでした。華光誌一筋。はやく、メドを立てていかないと、中身(表紙と、年賀広告をのぞく)を、高山法座までには、印刷屋に渡したいですから。あと1週間。体験記、随想はまったく手つかずで、しかも原稿が不足気味。原稿ではなく、私信としていただいたお手紙も集めまして、連絡して掲載のご了解をいただいてます。

 正直、焦ってますね。それでもイライラしないようにしないとね。免疫力もさがって体調も悪くなるというものです。自力整体や映画も交えながら、リラックスする工夫もして、まあなるようになるという気持ちもあります。

 しかし、今日は、風邪のほかに、おいしいワインもいただきした。今年初の、ボジュレーヌーブォー。しかも、オリーブやアンチョビまで添えられておりまして、さっそく、おいしくいただくことにしました。ご馳走さまでした。

 でも、調子いま一つなので、今夜は半身浴して、早めに休ます。「おやみなさい」

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パーソンセンタード 表現アートセラピー

 今日は、5月に引き続き、今年2回目の「パーソンセンタード・表現アートセラピー」のWSを開いた。講師、内容などに変わりないが、前回は、有志の集いだったが、今回は「真宗カウンセリング研究会」主催にした。ぼく自身は、2度目なので、前回よりも、より一層、楽しかった。とても充実していて、7時間がアッーという間に過ぎ去った。

 ぼくの中で(というより、大方の皆さんが、学校教育の美術の時間がそうであるように)、アート(美術にしても、工芸や書道にしても)-「上手い」とか「下手」といった評価や、分析、または、手直しを受けて、「こうしろ、ああしろ」の指示どおり真似る作業であって、常に、他人(先生や大人)の目を気にしながら行う工程に他ならなかった。たとえ、そうでなくても、「上手くできたかどうか」の、結果だけを気にしていた。

 しかし、これは、このネーミングが示す通り「パーソンセンタード」= 「人間中心のアプローチ」を根底に置いている。いうまでもなく、ぼくが日頃馴染んでいる、カール・ロジャーズさんのカウンセリングを、その基幹においているのだ。それもそのはずで、ロジャーズさんの愛娘、ナタリー・ロジャーズさんが、その創始者なのである。

 したがって、上手い下手とか、評価や分析ではなくて、「いま、ここで」の自分の気持ちに焦点を当てて、ただ言葉だけでなくて、それをも含めて、もっと多彩な表現~絵や文字だけでなく、ダンスや歌、からだでの表現も含めて~いまの自分を知り、そして表現していくのであるから、作品内容以上に、そのプロセスの気持ちも尊重されて、また逆にその作品から感じる気持ちも大事にしていこうとするものである

 で、今回も、十分、さまざまなゲームをして、強張ったからだをほぐしをした。けっこう、挨拶のワークひとつでも楽しかった。こうして、いまの気持ちが安心して出せる雰囲気、また出せる状態になってから、まずは、「ブラインド・ドローイング」といって、目をつぶり、手にとったクレヨンを、利き手ではない(ぼくの場合は左手)で、紙におもむくままに書いていく。ある程度書き終わると、目を開けて、そこに何かを見いだして仕上げていくというものである。これが、けっこう面白い。ぼくの場合は、けっこうゴチャゴヂャしながらも、まとまりのある線だったので、ジッと見ていると、「ジャット・コースータの線路」に見えたので、緑を添え、太陽を加えた。グルグルと上に行き、下に行き、右や左にくねりながらも、最後は太陽に向かって進むイメージがした。「明日へ」と題した。

 そして、メーンの創造は、「ゆ・だ・ね・る」をテーマに。ダンスや、ゆだねるワークのあと、061123_1938 こころに浮かんだものを、さまざまな素材を味わいながら表現していく。ぼくの「まかせられるもの」を味わっていると……「誓願不思議」という言葉が浮かんだ。前回できなかった墨を使い、「書」をメーンに表現することにした。

 美しい紙が見つかり、まわりをすこしデェコレーションするとして、メーンの書をどうするか。普通に「誓願不思議」と書くのもどうかと、いろいろと手のおもむくまま試行錯誤していた。この時間は、夢中に作業して、アッというまにすぎた。結局、漢字ではなくて、「ちかい、ねがい」を無数に重ねことにした。「ちかい、ねがい、ちかい、ねがい、ちかい、ねがい……」手の動くまま紙をはみ出しても、「ちかい、ねがい」を連ね、最後に「不思議」と書いて、掛け軸風に仕上げた。そのプロセスが楽しかったなー。

 ぼくが、数十年か閉ざしていた新たな表現の可能性を見いだせる気がしている。こんな形で、もっと自分を表現することができれば、なんとも楽しいではないかなー。

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『感情』

0268840  岩波書店の1冊でわかるシリーズ(いまのニーズですね。じっくり時間をかけて学ぶのではなく、サァーと読んで分かった気になれるものがうける時代。でも、実際は、一冊でわかるような定番の総花的なテキトスではないですが…。イギリスのシリーズ。) で、ディラン・エヴァンズ著「感情」を読んだ。 これが、なかなかおもしろかった。

  最新の進化心理学を中心に、脳神経生理学、ロボットや人口知能工学の知見を通して、人間の感情(情動)に迫っていく。

 いや、厄介でしょう、感情って。サイモン&ガーファンクルに、「アイ アム ア ロック」という名曲がある。「僕は岩(ロック)。僕は島。」で歌詞は始まり、「岩は痛みを感じない。島は決して泣きはしないから。」と、傷つくことを恐れ、疎外感から心を閉ざして、身を守ろうとする歌詞。若い頃は、この歌詞にずいぶん共感したもの。岩なら、悲しいことも、怒りも、傷つくこともないものなー。

 でも、そんな感情って、厄介なもので、人間の判断を誤らせるものなんでしょうか。一般の知性を過度に優位に考える風潮に対して、疑問を投げかけている。もちろん、過剰に、感情の優位性を説くのではなくて、その機能を多面的に捉えつつ、いつ、頭(知性)よりも心(感情)の発する声に耳を傾け、逆にいつ知性に従うべきかを知ることが、実は重要であるかと解説されている。「情動的理性」という考え方に近いそうな。

 中でも、「スタートレック」のミスター「スポック」(宇宙人と人間の混血で、情動が存在せず、判断するときに情に流されることもなく、恐怖に苛まれることもなく、また罪悪感に苦しむことなもいわけ)、常に知性で判断する人種を、人間より聡明で、進化した生物としている点について、しかし残念ならが、情動を欠いたままの高等生物は、進化することが難しく、さらに、感情をもつコンピューターや人工知能は可能なのかという点にも、発展する。

 また、第3章の「幸福への近道」では、喜び(一過性の情動)と、幸福感(気分の一種、継続する)を分けるところから始まり、サイコセラピーから、芸術、ドラッグ、そして瞑想に至るまで、幸福感を私たちにもたらす近道、「気分操作の技法」についての論考も興味深かった。特に、「大金を得れば、幸せになれる」というのは、普遍的な真実のように信じられているが、宝くじ(大金)を当たることは、決して幸福になれるものてはなく、その幻想にすぎないというくだりなどは、冷静に考えればまったくその通りなのだが、現実は盲点になっている。

 また情動がいかに私たちの認知能力に影響を与えているかを、「注意」と「記憶」と、そして「論理的推論」の三つの認知能力との関わりを論じられている。記憶ひとつとっても、そのときの情動・感情に強い影響を受けているかがよく分かるわけで、同じ経験でも、情動を伴った出来事は、やはり鮮明に記憶されるが、しかし、それは中核的なところであって、逆にそんなときは、周辺部の特徴は忘れされるというのである。フーンそうなのねと納得させられた。

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『太陽』と、『フアザー、サン』~アレクセンドル・ソクーロフ

 昭和天皇の映像化ということで、日本での上映が一時は躊躇われた、アレクセンドル・ソクーロフ監督の『太陽』。仏青の飲み会などで話題をすると、けっこう華光の若い人達が見ていました。話題作でした。

Thesun_01  昭和天皇の、終戦直前の日常(ボツダム宣言を受諾する御前会議の時ですか、歴史的な日です)と、GHQ統治下の日常(こちらもマッカサーとの初対面の時ですがら、歴史的な1日のはず)を、「現人神」と、現実の「人間」天皇との奇妙で、ときにユーモラスな乖離を、好意的な(恣意的な意地悪さを感じなかった)視点で捉えられている。音楽や映像も、ある種、幻想的でした。これはまぼろしなのかもね。

 別に、サスペンス仕立てでもないのに、ちょっと緊張しながら、ドキドキしました。ぼくも日本人だなー。昭和天皇がこんな形で描かれると、次どうなるのかと心配になってきたました。とにかく、日常生活の中にこそ、実は、天皇の本質が表れていると感じました。近習からも、畏れおおい「現人神」としてまつり上げられ一方で、自身は「人間」であることを感じている、そのギャップの滑稽さ、天皇の人となりのユーモラスな一面を、イッセー尾形から物真似以上の何かを感じまして、意表をつかれた思いでした。桃井かおりの皇后役も、世間の人を超えた雰囲気がよかったです。

 『太陽』に合せて、京都みなみ会館で、ソクーロフのミニ特集やっておりました。2年ほど前にみた、エルミタージュ美術館内での絢爛豪華な作品にして、ロシア近現代史300年を眺望する『エルミタージュ幻想』。ぼく自身のキリトス教やロシア史の素養のなさ、文化的背景の違いが浮き彫りにされまして、あまりにも絢爛なのに、正直、退屈してしまいました。

 それでも懲りずに、彼の最高傑作の誉れ高いフアザー、サン』を観に行きました。はっきりいて、やさしいものではなかった。たぶん、彼の作品の中でも、音楽やセリフも多くて、見易い部類の映画なんでしょうが。退屈というわけではなく、どことなくあやうい緊張感が画面から伝わってきます。音楽、映像ともに、近頃のPOPな映画とは一線を画して、はかなくて、それでいてある種幻想的。シナリオやストーリーを追うのではなく、画面や音楽、映像などから釀しだされるその雰囲気、タッチから、何かを感じさせられる作品でした。ガラス越しに繰り広げられる若い将校と恋人の対話の、もどかしいほどの耽美さ。坂の町を走る路面電車の構図も、不安定なのに美しく、ラストの危ういような、屋根に積もり雪景色の場面も、遠くに暗い海がどこか幻影的でした。

 息子の父親の前と、元彼女の前で、同じセリフが印象に残りました。

 「父の愛は苦しめること。息子の愛は苦しむこと」。

 ほんとうの直訳は、「父の愛は十字架にかける。息子の愛は十字架にかけられる」だそうです。「放蕩息子の寓話」のたとえもそうですが、神と神の子イエスの関係を示しているのでしょうかね。どこまて理解できたのかと問われたら、かなり疑問符ですが、たまにはこんな映画もお勧めです。

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回りは体調不調な人ばかり

 先週は、事務員のTさんが体調不調で、お休み。ムラも週末は、風邪。金曜日には、家内まで、1日だけでしたが、高熱で寝込みました。すると、今度は、子供の調子が悪くなりまして、今日は、二人とも学校や保育園を欠席。元気な下の子が、よく咳き込んで、ぐったりしていたのでちょっと心配でした。お子さんがおられるところは似たりよったりでしょうが、家族で循環していきますね。でも、今回は、吐きどもしの風邪、高熱の風邪、咳の風邪と、みんな病状が違っています。その他にも体調が崩した人のニュースが多くはいりました。季節の変わり目ですね。皆さんも、ご自愛下さい。

 そんななかで、おかげさまで、ぼくの方は元気です。ただ、こうも回り皆さんの具合が悪くなると、本番を迎えた華光誌への影響がでないかと、心配しております。

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己一人のために、学ぶ 

 日高支部法座から帰って来ました。

 ご法話だけでなく、運転に、月忌参りに、子供会にと、いろいろと忙しくて、けっこう疲れる法座ですが、今回は、とても元気。ひとつは、懇親会が、その日のうち(つまり0時前にに)終わたこと、二つは、大声をだすゲームをまかせて、若い手の分級を担当したからじゃないかな。前回までは遅くまでご法談されていた古老が、亡くなったり、高齢になられたこともあったし、壮年の方が、お車なのでお酒を飲まれない関係もあって、懇親会もそうそうに切り上げとなった。早く休ませてもらって、元気に過ごせた。

 家に帰ってくると、日曜礼拝の先生方がおられたので、家内の手料理を一緒に食べてもらうことになった。2日続けてのすき焼きのご馳走だったけど、楽しかった。

 月忌参りにいって、(最古参に近い)方のお家に、増井先生の色紙に混ざって、伊藤康善先生の色紙が、飾ってあった。伊藤先生が、そのお宅にお見えになり、残されていた言葉である。

「 學 

  世間道は人のために学び

  仏法は己一人のために、学ぶものなり                              康善

 

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懐かしさと、現実の厳しさと~日高支部法座~

  これから日高支部法座。今や、華光での一番の古老たちのふるさと。なんとも懐かしく、温かさを感じる同時に、老苦、病苦、死苦の厳しい現実も感じずにはおれない。

 小さな地域に固まっておられるから、6、7軒の月忌参りをさせてせらうことから始まる。高齢などで、なかなか法座にはお参りになれない人が多い。そのうち、ご主人や奥さんが亡くなられる家が、毎回ある。今回も一軒。月忌参りから、その家のご主人とご縁が出来て、大腸ガンの病苦を抱えられながら、半日だけでも華光会館にまでお参りされるようになってくださった。まったく信仰のことは関心がなかった方だったが、お参りからご縁がつながった。昨日もお悔やみの電話をいれると、奥様が、「最後は、喜んで、感謝で亡くなっていきました」との話だった。生前、信仰の最後の一線をほんとうに抜けられたかどうかは、わからないけれど、仏縁がつづくなかで、なにかひとつ確かなものが伝わったようである。夜のご法座の前に、6軒のお参りするのは、けっこうしんどい。しかし、皆さん、ほんとうに喜んでくださり、短い時間でも、近況とご法義話になっていく。高齢化は目に見えて進行し、そして病苦や認知症になられたり、連れ合いの介護にたいへんな人達が大半。向こうからお参りできないのなら、こちから窺っていこうと、皆さんのお待ちくださる熱意に撃たれて続いている。華光を支えてくださった大先輩に少しでも敬意を表したい。

 そして、翌日、朝から1軒お参りしたあと、今度は日曜学校がある。これも何十年続いていることだろう。ぼくが学生の、ほんとうに未熟なころからのお付き合いなので、たぶん25年以上になる。もう3代、4代目の子供たちもおられる。今回は、日曜礼拝のSちゃんがお手伝いをかねて同行される。

 70代以上の高齢者と、10歳未満の子供たち。間がないのが悩みのタネだったが、今度は違う。ここでもおなじみの「稜季の父ちゃん」さんたちが、若いお母さん世代、30代から40代の人達に声かけをしてもらって、ミニ集会をもつことになっている。これまでも何度かそんな機会があってが、なかなか定着しずらかった。でも、一座一座でも、必ず、次のご縁につながると信じている。その意味では何名参加されようと楽しみですね。

 では、3時間強のドライブにでてきます。

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e.s.t.「チューズデイ・ ワンダーランド」

 買い物に出たついでに、久しぶりにCDショップを覗いた。大ベテラン、アメリカショービジネス界の大御所、トニー・ベネットの生誕80周年記念の「デュエッツ」。ビリー・ホリディの再来と、各国の評論家から絶賛される、マデリン・ペルーの3rdアルバム「ハーフ・ザ・パーフェクト。そして、フランスから新人女性ボーカリストのフレドリカ・スタール「ア・フラクション・オブーユー」。これはまあまあ。でも、ジャケットどおりの声がするのでジャケ買いも損はなし。サラーブライトマンのベストアルバム(けっこうミーハーでもある)、そして、エスビヨルン スヴェンソン トリオ(e.s.t.)の「チューズデイ・ ワンダーランド」の5枚をゲットした。

 保育園へのお迎えの前に、「コーダル・オン」に寄って、上等なシステムで聞かせてもらうことした。ぼくのjazzは、50年代、60年代のメーンストリーム系が中心。どんどんと、マニアックなものにディグしていたが、最近はかなり方向転換。新しいものにも、触手を延ばしだした。5枚のうち、北欧のピアノトリオ、エスビヨルン スヴェンソン トリオ(e.s.t.)の「チューズデイ・ ワンダーランド」を選んだ。

Uccm1101 初めて耳にしたけれど、意外性はあったようでない、ないようであるといった作品だった。おもしろい。ジャズだったのが、ロックやポップになり、それでいて、一昔前に、ジャズロックなるリー・モーガンやバービー・マンといってスターがでた分野があった。いまや、そのチープさが面白いと感じられるような類の音楽だが、あきからにその点の音楽とは違って、しっかりそのジャズの精神性は引き継ながらの、現代の創造性あふれる音を提示しているという予感がした。もう少し、じっくりと聞き込んでみたくなりました。

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明日は、日高支部法座

 明日は、日高支部法座。他の華光の支部法座にない特色が2つある。

 ひとつは、高齢や体調面で、法座にお参りできない方を中心に、こちらか出向いて月忌参りをすること。

 そして、もうひとつは、地域のお寺に代わって、長年、宗教教育(日曜学校)をやっていること。春の花祭りと、秋の報恩講の年2回。多いときには、30名近い子供たちが集まることもある。

 今日は、子供のお迎えのついでに、準備のために、図書館で「紙芝居」を借りてきて、ちょっとしたプレゼントも購入。ついでに、CDショップによったあと、近所のカフェで、チャイを飲んだ。おいしかった。CDは、日高までの車中で聞くのが楽しみ。

 法話も、大人用と、子供用を用意して、ゲームの用意、オルガン譜面、名札などの用意も忘れずに。そして、今回は、若いママさんや壮年層を中心にした集まりも持てそうで、いまからワクワクしています。

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『三池』~終わられない炭鉱(やま)の物語

 今日は、朝から、司法書士事務所と、京都府庁の文教課宗教係に、登記簿謄本を提出に出かけた。自転車で、府庁まで35分程度。自転車で走ると、ハリストス正教会、聖アグネス教会、丸太町教会と、いくつか大きな教会が目に留まった。京都といえば、社寺仏閣と相場は決まっているけれど、案外、教会にもステキな建物が多いようだ。禁門の変で有名な御所の蛤御門を経由して、府庁へ。文教課宗教係での手続きは、ほんの2、3分で、あっけなく終了。四条烏丸の京都シネマに寄って、ドキュメンタリー映画「三池~終わられない炭鉱の物語~」を観ることにした。

Miike_01  冒頭、教育映画のように、炭鉱の歴史をレクチャーするところから始まった。監督自らが登場し、この映画にかける思いを語りかけていく。この始まり方。いくらドキュメンタリーとはいえ、教育時で、しかも作り手の思いがストレートにすぎて、ちょっと不安な感じになったけれど、まあ、それは最初だけ。炭鉱に活きた人達のナマの声を聞くうちに、その知られざる歴史に、グングンと引きこまれた。

 福岡県大牟田市を中心に、有明海と熊本県荒尾市にまたがる、日本最大の規模を誇った三池炭鉱。150年以上の歴史も、1997年3月30日、時代の波によって閉山。江戸時代に始まり、明治の日本近代化の象徴として、また戦中は国策のエネルギー源として、さらには戦後と、日本の復興にと、現代の経済大国日本の原点としての誇るべき遺産であるべきものだが、しかし、現実は、その歴史が「負の遺産」だと言われる。人権を無視した囚人労働、朝鮮半島、さらに中国、そして捕虜などの強制連行の歴史。そして戦後は、国のエネルギー政策の変更(石炭から石油)による合理化から、三池争議という、まさに「総労働 対 総資本」が激突した。結局、現実の生活のために組合が分裂し、山に活きる人々のこころに大きな傷跡を残こすことになった。さらには、500名近くが亡くなり、800名以上が、生涯の後遺症に悩まされることになる大規模な炭じん爆発事故…。過酷な労働を引き受け、誇り高くやまに生きた男と女たちの証言をつづりながら、負の遺産と正面から向き合いあうことで、それを過去に閉じ込めるのではなく、未来へとつなげていこうという前向きなメッセージを感じさせる映画だった。それにしても、40数年前におこった三池争議と、爆発事故による、CO中毒患者の(見た目は障害がないのに、人格が変容したり、暴力的になったり、記憶が途切れている姿は、痛々しい)被害などは、当事者が生存しているだけに、生々しく訴えてくる。いま、日本の繁栄の影になにがあったのか、近代化を邁進した日本の一断面を切り取って示す作品だった。

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さすがに冷えてきました

 また華光誌始まりました。1月号は年賀交換がありますから、持ち越しは許されません。12月25日発行厳守。3日ほど遅いスタート。まずは、誌上法話。今回は、聞法旅行での自分の万行寺様でのご法話を選びました。自分の分は、気が楽です。あれもこれも入れたいので、バッサリ切れない悩みはありますがね。ただし、今号は、原稿が足りません。かなりピンチ!  ぜひ、ご投稿くださいな。

 華光誌の編集がのってきたけれど、例の代表役員変更の登記が終了したという連絡があったので、府庁に登記簿謄本を提出に必要な、「代表役員変更届」の作製しました。それに、事務員さん病欠で、けっこう電話の対応などの事務作業ありましたので、原稿をザーァーと眺めただけ。そうそう、会館の向かえの近鉄電車の敷地に、保守作業の事務所が建つようで、工事関係の挨拶ありました。この前までのぼくの姿ですね。

 今夜は、かなり冷えてきました。真宗カウンセリング研究会の月例会に自転車で出かましたが、帰路は、耳が冷たいぐらい。今年の秋は、なかなか冷え込まずに、京都の紅葉に影響でそうですが、徐々に寒くなってきました。昨日の信楽の山間部は、半々でしたが、紅葉きれいでした。さて、月例会では、昨今の巷覆う、数字で表れた効率や能率を追いかけた成果主義の横行、失敗や過ちを許さない完璧主義的な雰囲気に、社会全体が、強迫観念的に追い詰められたムードの影響を受けた、家庭や教育現場の話題がでました。ここ数日の話題は、連鎖的な子供の自殺に、幼児虐待、先生の自殺と、暗いニュースばかり。結局、虐げられくるのは、子供や高齢者、ハンディーを持った人社会的弱者なんですね。ますます格差社会が広がる雰囲気に、不安を感じています。また機会があれば、これには触れたいですね。

 明日は、自転車で、司法書士の事務所に寄って、その足で、府庁に書類を提出する予定です。御所の紅葉はどうなっているでしょうかね。

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家族での小旅行にて~老苦、病苦の現実~

 昨日、長女の授業が終わるのを待って、家族全員が揃っての初めての旅行に出かけた。華光会館を留守にするわけにはいかないので、これまではこんな機会はなかった。今回は、M君に留守番を頼み、6名が揃う初めての機会だった。もっとも、旅行といっても、高齢者と幼児を抱えているので、お隣の滋賀県信楽町の温泉まで、1時間少しの小旅行。ホテルの温泉でゆっくりして(子供がいると、ゆっくりというイメージでもなかったが)、近くの美術館に寄って、昼過ぎには帰ったきた。

 今回の旅の一つの目的は、高齢になった両親と、プライベートでは一緒に旅をする機会がなかったこと。中でも、華光会においても、また家族にとっても、裏方に徹して、皆を支え続けている母の誕生日を祝うために、ほんとうにささやかだが、慰労の意味を込めて出かけた。

 父も81歳になった。まだまだ現役で、伝道布教に邁進する毎日だ。そのバイタリティーには頭がさがる。もちろん、年齢を感じさせずといいたけれど、やはり年齢相応の老いの現実は迫ってきている。今回のように一緒に旅をすると、随所に、昔のスピードではいかない現実が、よくわかる。ちょうど、帰宅したら、念仏と共に、ガンと闘病されながら、明るく振る舞われ、逆に回りの人達を勇気付けているある同人から、メールが届いた。このブログも楽しみしてくださっているという。こちらが励まされる。

 ここにも、病の苦しみから逃れられぬ、人間界の悲しい現実がある。法蔵菩薩さまのご修行を味わうための苦痛の日々に、本来は、第3者が軽々にかける言葉などはみつかない。しかしである。この世で、既に迷いの根切れをさせてもらった、一旦、迷いの葬式のすんだ身ならば、残りの人生は付録、おまけのようもの。あとは、仏法を喜ぶための生活があるのみだ。だからきれいごとの慰めを並べるしかない世間のお付き合いにはない、その老や病の現実を、お互いがごまかすのではなくて、現実を現実と受け止めた上で、喜びを分かち合えるご法のすばらしさを、讃嘆させてもらえる。「氷多しに水多し、障り多しに徳多し」。そこを喜び合える、仏法で結ばれた深い縁(えにし)が、尊くも不思議でならない。仏法を聞くために、せいぜいご自愛いただきたいと願わずにはおれない。もっとも、たとえ、老苦や病苦を克服できたとしても、必ず、死んでいかねばならない。この世の中で積んできたものすべてが崩れさっていく、死を逃れることは誰もできないのだ。そのことを、よくぞ、いのちのあるうちに聞かせていただいたものだと、喜ばずにはおれない。

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腹底から力が漲る

 今日は、広島支部法座。法座のあと、家庭法座を開いてくださったHさんたちと、近くの中華料理屋で、すごい量のチャンポン麺をよばれて、午後10時すぎに帰宅した。広島支部の皆さんと、外で会食するのは始めてだったが、短い時間でも楽しかった。

 もちろんご法座でも、うれしいことがあった。このブログをきっかけに、三戸独笑師のお子さま(二女の方、86歳にしてなお、凛とした姿勢のとてもすばらしい御方だった)と、そのお嬢さま(お孫さま)が、ご一緒にお参りしてくださった。ほんとうに、不思議なご縁、仏縁の深さを感じずにはおれなかった。短い時間だったが、貴重なお写真や、お話を窺うことができた。三戸先生のご臨終のご様子と、それを歌われたお歌、大正年間に発行された、信仰求道雑誌「赤裸々」誌(体裁なども、昔の華光誌にそっくり)、そしてそこから誕生した「赤裸々会館」、毎月の例会に、春と秋の大会のこと、そして、雑誌には、三戸先生が、連日、全国各地を布教巡回されている様子が綴られていた。華光の増井先生や、高山で活躍された早川先生のように、三戸先生も在家出身でありながら、弘法のために身命を省みず邁進された。会の生れや形式もさることながら、そこで語られている内容が、いま、華光の信仰座談会で語り聞きあっている内容に、寸分変わらないことに、深く感銘を受けた。

 「赤裸々」誌は、戦時の物資欠乏に伴って、昭和15年に休刊。三戸先生も、昭和18年にご往生される。逆に、そのバトンを受けるように、「華光」誌は、戦時中の昭和16年11月に創刊されている。何か因縁めいたものを感じた。たまたまいたいだた「赤裸々」誌に、広島市の森岡老人作として、「悪人の最後」という歌が掲載されていた。これまたびっくり。作者不明で、華光の「仏教詩歌集」に、同じものが掲載されているからだ。

 三戸先生のご縁を受けた人達は、いま、どうされているのだろうか。大沼法龍師しかり、羽栗行道師しかり、信仰活動に燃え、信仰雑誌や多数の著作を残され、多くの方を勧化された法脈は、偉大な先師の往生と共に、残念ながら途絶えてしまっていくようである。

 いや、形や場所は移っても、確かに、その法脈が華光の中に、受け継がれているではないか。有名無名の無数の念仏者の喜びが、「無尽燈」のお働きとして、次々と受け継がれて、わが胸に届いたことが尊くも、勿体ない。

 しかも華光のすばらしさは、いまなお、10代、20代の若い念仏者が、生きたご法の相続をしてくださっていることである。

 そんなことを思うと、わが力を超えた不思議としかいいようのない力が、腹底から漲ってくるようである。南無阿弥陀仏。

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法器としての「からだ」

 明日は、広島支部法座。

 このブログからご縁のついた、三戸独笑師の娘さんと、お孫さんが、お参りくださることになった。今日は、居間の掃除(きれいになってスッキリしたぞ)や書類整理、そして聞法旅行の会計などの事務仕事が中心で、法話は、ぼんやりとしか考えていない。どうも華光大会の印象が、まだ強く残っている。今回の広島も、数名の初参加の方を連れてきてくださるので、なるべくそのあたりに沿うような話にしたい。法器としての、このからだ、このいのちをいただたことをテーマにしたいと考えている。

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第1回事務連絡会議(後段)

 10年ぐらい前までは、この立場であった。ところが、地道な活動と、啓発のおかげで、ずいぶん、風向きが変わってきた。同人の中から、「先生に、布教に専念していただこう」。「自分たちの聞法の場は、自分たちで運営していこう」という声が上げるとともに、自ら実践してくださった方があった。同人会組織が生まれたり、運営委員会が誕生した。そして、事務員を雇ったり、法座の運営も、実務委員で担当できるようになった。ずいぶん、ぼくの仕事も変化してきた。それまでは、いま、事務員さんにお願いしている仕事に加えて、毎月の案内、テープ、華光誌の版下作製、そこに仏青と、日曜学校、さらに布教活動もおこなっていたのだから、雲泥の差である。そのせいで、たとえば、華光大会の前など、法話の検討をする時間など到底なかったし、華光大会が終わったその夜中に、同人会費と書籍、賽銭などの記帳をしておかないと、あとの仕事に差し障るほど雑務に追われていた。封筒の糊張りに忙しく、急な来館者を歓迎できなかった。体調の面からも、精神的な面からも、しんどかったが、伝道活動の使命感だけで、強迫観念的に仕事をこなしていたのだ。

 その点では、いまは状況が変わった。事務員も、大車輪で働いてくださる。運営委員長も献身的に努めてくださる。仏青も、日曜礼拝も、若手を中心にその役目を担ってくださっている。それどころか、HPの広報や、DVDなど、これまで手が回らなかったことまでこなせるようになった。いわば、個人商店から、零細、小規模ながらも会社組織になりつつある。同時に、同人がお客さんの立場から、「私の華光会」へと、徐々に移行しているのである。

 当然、ぼくの役目も、実際の実務型から、監督や指示になってきつつある。布教や華光誌もかなり専念できるようになった。では楽になったのかというと、違うところで悩みが起こってきている。もちろん、これは有り難いことであるが、各自が個々に行っている状況を、十分に把握する必要が生れるともに、何も自分の思いどおりに事が進行するとは限らなくなった。それに問題点も出てきている。たとえ華光にとってブラスになるであろう新企画でも、十分な説明がないと、傍目には個人のスタンドプレーに写ることもあろうし、同人の総意とかけ離れたものになるかもしれない。また、特定の個人に過度に負担がかかることがないように、(精神的な面からも)そこを支えている仕組みも必要になってきた。そのためには、責任者としてぼく自身が、状況、全般を把握している必要がある。それで、以前からぼんやりと考えてことを、新年度を契機に、実現させることにした。何らかの形で、華光会の事務に関わってくださっている(京都周辺に限られるが)方々が対象にした、定期的な集いである。

 第一回目は、ぼくの趣旨説明を中心に、各自が何を担当しているのか、各担当部での問題点はなにかを、みんなで分かち合った。ただ、分かち合っただけなのに、ずいぶん意味があった。みんなの働きや役割に、ぼく自身もかなり勇気付けられたし、今後への明るい展望を感じた。ひとつは、明確な役割分担が見えてきていると同時に、それが、有機的につながっている、いま華光の全体像も見えてきた。悩みや問題点を(解決は本人としても)、共有し合える場ができたことは大きい。個人ではなくて、組織で動いているのだから、新しいアイディアに対しても、よく検討しあい、事務方が一枚岩で対応できるような意志の疎通を計っていく場にもなるだろう。本来は、運営委員会がその役割を担うべきだが、まずは身近なところから進んでいきたい。

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第1回事務連絡会議(前段)

 夜は、華光会の事務に関わる人達に、仏青と、日曜礼拝の担当者、3名の責任役員も出席して、第1回の事務連絡会議を開いた。

 専属の事務職員を頼むまでは、華光会は、家族だけで運営していた。一般のお寺なら、それは当たり前だろうが、華光の場合は、一般寺院とまったく内容が異なり、会社に近い部分もある。布教活動も、毎月の定例の他に、毎月何十人も宿泊する行事があり、そこに地方への布教が重なる。これだけでも、たいへんなのに、振替などの会計に、会員管理、華光誌の編集に、発行、文化教室の教授、テープの編集に販売、管理、そして日ごろの華光会館の維持などがあった。さまざまな仕事の割りには、あくまで伝道活動という制約があり、収益性を押さえてきた。いわゆる利益だけを追求したり、会の規模発展は二の次という側面が強かったのだ。第一、資産がまったくなかった。ゼロからのスタート。境内地も借地。建物も、中古の急ぎ仕事で、資産価値はなし。そのための借金返済は、下宿や文化教室などで収益を求めていったが、伝道活動に関しては、純粋な立場を貫いてきた。勢い人件費も押さえることが、皆さんの奉仕を中心にしていた。

ちょっと前段が長くなった。(つづく)

  

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大規模修繕工事の完了報告

 午後一番に、 華光会館の大規模修繕工事の完了報告書や保証書を、担当の業者が持参された。これまでの打ち合わせの際の最終的な議事録や、工事の過程も添えてある。修繕工事とはいえ、2部に分冊され、かなりの量がある。逐一、説明を受けながら、キッチリと仕事をしてくださったことが、これからも窺えた。これも、同人の皆さんからのご厚情のおかげてある。代金の振込を残して、今回の説明で、すべての工事関係の作業が、終了した。打ち合わせ期間を入れると、けっこう長かったなー。

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複眼的で、柔軟な思考で臨みたいなー

  「華光会規則」によって、任期満了に伴う責任役員の改選がおこなわれた。当初は、3年毎だったが、あまりにも煩わしいので、「規則」を変更し(この手続きもたいへんだったが)、いまは6年毎になっている。重任とはいえ、毎回、代表役員の変更届を出さねばならない。登記項目なので、書類を揃えて、創立依頼お世話になっている司法書士の事務所へ。丸太町通を挟んで、御所(京都御苑)まで、ママチャリを漕いだ。会館から御所までは30分足らずで到着。このあたりまで自転車を走らすことは、めったにない。案外、近い。余裕をみて出発したので、約束の時間には少し早かった。15分ほどだが、御苑の中を散歩した。空が高い。紅葉は、これからだが、一部で色づき始めている。天気がよく、さわやかな昼下がり。仙洞御所越しに、比叡山が凛として美しかった。

 手続きの方は、だいたいよかったが、若干、不備な点もあったので、いろいろとお尋ねして、教えていただいた。いくら、門徒物知らずとはいえ、宗教者も、今後は、実務能力、常識が問われる時代になっている。華光の場合は、その道のプロを雇うほどの規模でなく、一般の寺院ではないので、尚更のことだ。具体的には、法律と会計か。最低限の実務的な知識が必要になっている。

 今回の総会の会計報告で感じたけれど、皆さんと離れない庶民的な感覚を失わないことが大事だが、それだけでは発展性は臨めず、組織化も難しい。その意味でも専門的な視点は重要になる。また、単なる今生事ではない仏法事である点も忘れはならない。つまり、それらを含めた複眼的で、柔軟な思考が、ますます求めれているのである。とても煩わしくて、チンプンカンプンわからなかった会計についても、長年かけてご指導いただき、いい勉強させてもらっている。その意味でも、会計事務所のN所長には、感謝している。

 帰りに、イタリア文化会館という、イタリア大使館の施設に寄った。ルキーノ・ヴィスコンティの生誕100年のイベントの一貫で、「イノセント」という映画を観た。貴族の華麗で、廃頽的なムードと、男女の抜き差しなら業というのかなー。悲劇的な結末が痛い。

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同人、遠方より来る

朝は、関東から元仏青会員のN君が、突然の来館。急な訪問にビックリ。高校の教諭をしていてる彼が、修学旅行で生徒を引率して、京都へ。半日の自由時間を割いて、会館を尋ねてくれたのだ。近況を報告しあったが、忘れずに、わざわざ訪問してくれたことがうれしい。妹さん共々、以前のように、東京支部にもお参りしてください。

 夜は、MAUN.さんと会食。京都駅八条口にある「コーダルオン」という、ブチ自然食もやっているお気に入りのカフェへ。ブルースやジャズを聞きながら、最近の近況報告。よく考えると、二人きりで飲むなんて珍しいことだよね。個人の問題はもとより、今回の総会や華光のついての話し合い。ご苦労おかけします。気がつくとこんな時間に。まだまだ話は尽きないけれど、お店の閉店時間に。今、帰宅してきました。今夜は酔いました。お休みなさい。

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『サンキュー・スモーキング』

  さてThankyou_forsmoking_01、「サンキュー・スモーキング」。おもしろかった。世間の常識を風刺した、知的コメディー。内容は、ヒステリックなまでの反喫煙(タバコ)キャンペーン。魔女狩りに近い状態。そん中で、全米で1日1200人殺すという嫌われ者のタバコ業界の「顔」として、反喫煙派の議員や市民団体などの執拗な抗議に、巧みな話術を武器に、マスコミなどで堂々と渡り合い、「情報操作の王」として奮闘する男(アーロン・エッカート)のお話。アルコール業界のPRマン、銃器業界のPRマンなどの「死の商人」の広報担当者との連帯や、パッケージに髑髏マークを義務づけを狙う、弱小州出身の議員(W・H.メイシーがいい味だしていた)との対決。スキャンダルに、脅しなどの難局を乗り越えていく様子が、テンポのよい、コメディータッチで描かれます。

 ディベートですね。ディスカッションとは違う。正論云々でなく、また相手を屈伏させる(主張返させる)というよりも、その過程で、いかに第三者(視聴者)を取り込み、味方にして、世論を造っていくのか。このプロセスがおもしろいし、健康へのヒステリックなまでの世間の風刺が効いていた。反喫煙派のぼくも、思わず彼を応援したくなるのでした…。いや、してられました。

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木枯らし一号の日は…

 それにしても、今日は、台風並の強風でしたね。駅のホームで飛ばされそうになりましたが、各地で被害もでたようです。木枯らし一号。やっとこさ、晩秋へという雰囲気もありまして、今夜は冷えてきました。

 久しぶりに自力整体の教室へ。混んでました。華光のM先生やKちゃんもご一緒。1週間以上開いた上に、華光大会などありましたから、「からだ」のこわばりによく気づけます。特に、緊張している部位を、ゆったりした気分でほぐして、かなりスッキリ。お昼食べたあと、京都シネマへ映画を観に行きました。「サンキュー・スモーキング」。これが、予想以上におもしろかった。世間の常識を風刺した、知的コメディー。満足度高かったなー。

 帰って、任期満了に伴う「代表役員」の変更に関しての書類を揃えました。6年に1度、変更届(創立以来重任なんですが)を提出して、登記が必要なわけ。だいたいの書類は、華光大会中の休憩中に作製して、必要な書名捺印はすんでいるのですが、6年毎なので、詳細は、すっかり忘れている。所轄官庁の京都府庁に相談したり、司法書士に尋ねたり。で、「重任で変更ないですが、やはり変更届けが必要ですか」と、思い切って尋ねてみました。どうも、担当者のニュアンからすると、どこのお寺でも、「規則」があって、本来は変更もあるはずなんですが、小さなお寺などは、住職が長年そのままのところは、厳密な手続きもせずに、そのままのところもあるうようでした。でも、それでは法的に通用しないので、もちろんキッチリ手続きしています。必要な書類が揃ったので、明日にでも、司法書士の事務所へ行きましょう。

 夜は、家族そろって、近くにあるスーパー銭湯へ。わが子の、いま一番のお楽しみ。本来は、休日の華光大会中にも、「通学」してもらいましから、お子たちもお疲れさまでしたと、ささやかな慰労を。ここは、ぼくは初めてだったので、子供たちがあれこれ教えてくれました。ここでもリフレッシュ。こころのわだかまりも、洗い流せたかなー。

 

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不滅の法燈

華光大会終わりました。

 まずは、東京支部の皆様、ほんとうにありがとうごさいました。ずいぶん、お疲れになられたことでしょう。

 今回も、いろいろと収穫ありました。まずは、大勢お参りくださったこと。しかもさまざまご縁を通じて、新人も多かった。20代の若い人達も、以前のように、徐々に増えてきていることも尊いです。もちろん、聞き方が変わった方も、心境に変化が起こった方もでられた。

 で、ぼくのところですが、今朝は、ちょっと元気がなかった。いまは、ちょうど腹の左の奥あたりにある、ちょっとした重さというか、違和感というか、いやな感じを味わってます。

 けっこう、よくあることですが、大きな仕事が終わったあとですね。まあ、ホッとして、燃え尽きるのもある。けっこう、いろいろな氣が集まるでしょう。しんどさを置きにくる人、不審や邪気を運んでくる人もある。「元氣」ばっかりではないですから。それよりなにより、ご法の威徳に触れて、凡夫の小ささを知らされるからね。法の偉大さと、その法を、自分のものさしで計らう愚かさと、そこを実地に知らされると、喜びと同時に、わが身の恥ずかしさにも見舞われる。でも、ここにばかりこだわるのは、凡夫の自惚れと聞かせてもらっている。過去に活きているのではなくて、いま、ここに活きているのですからね。

 ご法話は、予定していたところより、そのときのライブ感でお話しました。40分は、その場で感じたところで、レジュメにない話。ラスト、20分程度が、原稿通りに「無盡燈」、不滅の法燈につながっていきました。ご法は、理屈でも、感情でもない、讃嘆談合して広まるものです。如来様が、喜んでくださっている。ところが、みんなは私の「こころ」の喜びを問題にする。それでおかしくなる。十劫も待たれたのですからね。私が、「南無阿弥陀仏」と称えた時の如来様の喜びはいかばりでしょう。そのことを聞かせていただく、そのこころに触れさせていただく。だから、私は変わらないのに、大変化がおこる。私の胸に灯った燈火は、如来様からいただいた燈火なのです。だから、自分のものでありながら、いただきもの。それなら、ケチケチしないで、その燈火をおわけしていく。分けても分けても、燈火は、決して減らない。そうでしょう。喜びを分け合っても減らない。それどころか、逆に回りは、広がった燈火で、ますます明るくなっていく。喜びが広がっていくと、ますます喜んでいける。でも、自分のものにして、小さな胸に留めたり、小さな集まりに留めているかぎり、その燈火は、必ず、燃え尽きてしまう。それでは、あまりに勿体ないなー。特別なことはいらなんじゃないかな。聞かせてもらったまま、喜んでいるままをお伝えしていきたいなー。

 

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華光大会初日

 いよいよ年に一度の華光大会。

 懇親会で飲んでいたけれど、子供夜泣きで、緊急で降りてきました。家内にバトンタッチ。奥さんも、ご苦労さんですが、うちのお子さんもご苦労さんです。

今年は、アメリカカリフォルニアからも参加あります。そのCさんからも、「いつもブログみてますよ」と言われて、ちょっとビックリ。

 さて初日、いろいろありました。そう、予想していないことが起こってこそ、華光大会だ!この混沌とした具合がいい。法話の直後で、救急車で運ばれたK先生。ビックり。ちょっと早すぎるぞー。このところ、法座中に緊急事態が続いて心配。北海道からの参加者は、途中の駅で、体調・精神不良でトラブル発生。泊まれんないので、寝袋もってくる人、布団がないので、ひとつの布団で二人寝ると言い出す人。文句いう人、喜ぶ人、「これ使ってください」と、高額の匿名でご喜捨もある。いや、有り難い。法話も、座談もいろいろある。さすがご法の威徳。きれいに収まらないところがいいーな。事務方としては、しんどいけれど、これぞ華光大会だ!!

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学芸会に、カットに、華光大会の前日準備

 華光大会、前日。

 いつもたいへんなのです。

 でも、このところは楽をさせてもらっています。昔は、1人でやっていたことを、いまは4人で分担できるのですから。というわけで、今年は、前日に、長女の小学校での「学芸会」。ぼくの子供のころは、ちょうど「学芸会」という言葉から、「学習発表会」という形になり、また「学芸会」に戻ってます。朝一番だったので、保育園の行く前の二女もつれて、しっかり、パパをしてきました。ビデオもばっちり? 1年生、ほとんうにかわいい。お星さま役で、みんなもセリフは、2つずつ。繰り返したり、歌ったりハッスルして、15分間、出ぱなしで、頑張りました。劇と、演奏があった幼稚園に比べると、1つ観ればいいので、早く終って大助かり。

 二女を保育園に送ってから、華光大会に備えて、といわけでなくて、たまたま2ケ月ほっておいたので、散髪にいきました。

 新装オープンのお店。アンシャンテ。開店の日にはお祝いにいきましたが、今日はお客で。いい雰囲気です。家内の絵が、お出迎え。いい感じて飾ってある。ボンボン画伯。家具も、華光同人の関係者が、仕事を引き受けています。いい仕事で、なかなか評判でした。先客があったので、おいしいしコーヒーをいただきながら、四方山話。ちょっと愚痴もこぼしたりして。七条大宮ですが、本願寺の財団の持ち物を借りているので、本山関係の方も多いらしい…。

 で、大会を前に、すっきりしました。ヒゲも落としてました。眉もキリリと整えてもらった、あらら、ずいぶん、キリリとした男前になりましたよ。皆さんをお迎えします。

 帰ってから、急いで大会の準備。その前に、独笑師のお子様に、手紙を書きました。愛用のペンをシャツのポケットにしまったら、そのペンが液漏れしていて、ガーン。お気に入りのポール・スミスのシャツに、青色のシミが--悲しい(;_;)。こんなことでも、ちょっと嫌な気分になりますわ。

 今日は、事務方も大忙し。掃除の皆さんも、お手伝いしてくださっています。仏青の方多かったです。高山から、前泊されています。ぼくは、総会のための作業。役所への書類は、遺漏なく整えないと。今年は、役員改選の年ですか。夜は、いまごろになって法話を少し考えました。まあ、大枠ができているので、あとは肉付け。現当二世のご利益に、「氷多しに、水多し」の譬えと、「無尽灯」ということなども加えたいですね。あれも、これもと欲張らないことですね。

  では、皆さんお待ちしています。どうぞ、お気をつけてお出かけください。

 

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もっともっと喜ぼう!

いよいよですね。華光同人のお祭りが近づいてきました。

 今回は、ぼくは、第3日目のご満座が担当です。大会の3日間で、話すことが変わる恐れがありますが、こんな内容を、ぼんやりとも考えています。皆さんにも、分かち合いたいと思います。

 浄土真宗では、現世利益のためにお祈りなどはしません。とってもすっきりしています。解決するのは、後生の一大事、仏に成る道です。

 しかし、現世利益をいわないのかという、親鸞さまは、盛んに、念仏者が、この世で受けるご利益についておっしゃっています。「現世利益和讃」、根本聖典の「教行信証」の「現世十益」。さらには、盛んに「信徳」(信心を得て得られる、この世の徳ですね)を、極めて具体的に語っておられます。華光でも、他の浄土真宗のお寺でも元旦の修正会では、「現世利益和讃」をいただくところが、多いです。

 これがけっこう、かなりヤバイです。若い時は、ちょっと馴染めなかった。

 念仏を称えるものは、いつも天神や地神が護りづめだとか、諸仏が褒めたたえるというのはまだしも、「定めで若死するものも、決して早死にしません」とまで言われている。

 また、ご本典には、この世でうける十個のご利益について書かれている。真実信心のものは、慈悲のこころで、常におこないができるとか、悪を転じて善になるとか、常に、心に歓喜や喜びが起こってくるとか、常に光に包まれているとかね。この世のなかでいただく喜びの表現は、言い出すときりがないほどです。

 もちろん、最後は、「現世での正定聚」(この世のなかで、仏に成ることに確かに定まる)ことに、収まるわけですから、これが一番、大切なのです。

 つまり、真宗の御利益は、現当二世にわたるご利益だといのが、浄土真宗の教義です。現世(今生)、そして当来世(後生)ですね。華光でも、そう言ってきています。後生の解決が、一層目。その上で、二層目に、この世の中でも、たいへんな幸せがいただけるわけです。

 ところが、一般では、一層目を軽く、二層目の感謝の日暮らしや、喜びの生活だけを強調している節があるので、華光では、ことに「後生の一大事」の解決こそが、浄土真宗、それが仏教の正道だと言い続けています。

 ただ、その場合でも、教義(聖教量)としては、後生の夜明け(五趣八難を超える)をさせてもらったものは、今生では、歓喜の生活が送れる、悪が転じて善の生活、光明に照らされた喜びの生活が送れる、そう表現できるのも浄土真宗だと、親鸞さまが仰っていることは、押さえておく必要があります。

 もちろん、それが、第一の目的ではなくて、付録なんです。そこを求めても決して得られない。そこが大きなミソ。求道する時は、まず、それを否定されるところから始まります。

 しかしです。信心獲得の身になったら、信心の徳としては、身にあまるご利益を、今生でいただくというのです。

 しかし、自分の上には、実感がない。実感かないからといって、そこで腰を下ろしてはいけない。実は、これは、他力信心のお徳です。だからこそ、それに背いている自分が知れてくる。狂うほど喜んでいいのに、それを喜ばない。「ああ、恥ずかしいなー」と、深く懺悔されるのも、そこから出ているんじゃないでしょうか。

 「南無阿弥陀仏をとなふれば  十方無量の諸仏は
  百重千重囲繞して   よろこび、まもりたもうなり」

 こんな泥凡夫の生活をしながら、この身に、諸仏方が、幾重にも、幾重にも、連なって、よろこんで、護ってくだる。この諸仏方の喜びが、わが身に伝わらないはずがないじゃないですか。ぼくが喜んでいるんじゃなくて、仏様方が喜んでくださっているんですね。勿体ない話です。恥ずかしいことですが、凡夫ごときが、いくら喜んできりがないんですが、もっともっと喜びの表現をしてもいいですね。あまりにもシャイすぎる、あまりにも気取りすぎている、ぼくがいます。いつも眉間にシワをよせて、この世のなかの悩みをすべて引き受けたような顔してます。

 毎月、広島支部にお参りさせてもらっていて、よくこんな話になるんですね。「喜びなんかない」なんて、言い続けていても意味がないんじゃないの。それは、わかりきっている、私の自性。でも、教えを仰げば、いくら喜んでも、喜んでもきりがないほど、喜べるご法じゃないか、それほどのお徳を、今、この世の、この身にいただいているんですから、それをもっと声に出していこうと。あれは、いわば、ぼく自身に言っているようなものです。

 ああ、華光大会が近いでしょうね。なにか、ワクワクとしてきました。

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