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法座で、育ち合う(2)~仏青大会で気にかかったこと~

 ところで、今回の仏青大会で気にかかったのは、(ぼくのグループでの)みんなのおとなしさだ。平凡な表現を使うと、若さがない。表明的な褒め合いや、お調子笑いで、なんとなく過ごすのではなくて、もう一歩も、二歩も踏み出してほしかった。

 みんなにまかせて、ぼくが黙っていると、長い沈黙が続く。すこし促すと、少し動きだすが、「いま話したくない」とか「ひりとりいたいとか」とか、いかに「話すことがない」かの言い訳が続く。そして、すぐに自分の極小さな内的世界に入っていく。もちろん、そんな人がいてもいい。ただ、初参加の人もいれば、ご法を喜んでいると自称している人もいるのだから、もっと活発な動きが欲しかったのだ。

 別に話したくないときもあるよ。話すことがないときも当然ある。でも、それが3日間もつづくと、面白くない。第一、そんな自分を責めても何も生れないし、発奮させようとしてもなかなか難しい。それより目の前にいる人に関わろうとする。自分を語ろうとする。何かを伝えようとするのだ。うまく話せないかもしれないし、何を話したらいいいのかもわからない。でも、たとえ言葉にならなくても、まずは、「いま、ここに、ぼくはいるよ。目の前のあなたに関心があるよ。」という、そんな態度、姿勢が、基本じゃないのかな。もし、「聞きたい」という人がいるのなら、誰かからの働きを待っていないで、「聞かせてください」と話し手に伝えていくことも必要だよね。

 別に、座談の時に、失敗してもいい。恥をかいてもいい。何も恐れるはことはないのだ。むしろ、みんなに与えられた貴重な時間を大切にする姿勢こそが、自分と、そこにいるみんなをも大事にし、またご法を大切にすることにつながっていくのではないだろうか。

 もし、今回、どう動いていいのかよくわらかない三日間を過ごしたならば、それはそれで貴重な体験だ。次は、その体験がバネになればと願っている。

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コメント

大事なところを聞かせていただきました。
(1)の方を読んで、ちょっとお腹の辺りに重いものを感じてました。
10年まえまでのお世話をかけていた一人だという自覚。
まぁ、これは取り返せないのですが、取り返せないだけに重い。
>先生だけが、頑張って、立派な答えを提供するだけなら
というところは、まさに今の自分のところだし、自分では全部見えていないところ。できれば、同じ分級だった人と振り返りの時間を持って、客観視してみたいところ。
そして(2)のほう。
私のグループは動きがあったように思うけど、踏み込めていたかは自覚と客観では違うだろうしね。やっぱり、仲間と振り返ることが大事な気がする。
すでにご一緒した方にそういう希望を述べてありますが、やっぱり大事なことだったなと。
思ったら実践…ですね。

投稿: MANU. | 2006年10月13日 (金) 00:58

こんにちは。毎日ブログを拝見して、私の中に渦巻く思いを、、時になんとも言えぬ自分に対する腹立ち、それを誰かに転嫁しようとする自分、それら気づきに泣き笑いしながら、その思いおもいの中で念仏させていただいております。ありがとうございます。今日の仏青での思いは、まさに私へのことばと響きました。そう、軽く引受ける。数ヶ月は、その職務への意識(責任感?)はあるが、基本(事の本質を理解)が出来ていないから、元の悪しき状態へ戻る。何もなければ、気にはなるがそのまま、酷いときには従前より悪くなる。私の体重のリバンドのように・・・。それでもこうして声をかけてくださる方がいる。少しは「悪いな」「申し訳けないな」と感じさせ、思わせていただく。この心は、お育てやな、頂きモノやなと。私のどこをどうみても、そんな心はない。五濁と聞かされ、煩悩と知らさされ、五戒をたもてと言われても、何一つ、私の力でなせることはない。私の中には「共に育ち合う人間関係」を腹底から願う心はない。真実の教えに会わせていただいたればこそ、そのことを伝えたいと願う南無阿弥陀仏様の思いが、法を求める者、座に集う者、御同朋御同行から学べと教えていただく。尊いことです。もったいないことです。ある地方では、南無阿弥陀仏様を「はたらきさま」というとか。まさに如来様のお働き以外のなにもでもない。そういいながら、今日も逆らい続ける我が執着(おもい)。南無阿弥陀仏。聞けば、聞くほど深く、広く、はかりしれないお働きであり、み教えである。

投稿: 稜季の父ちゃん | 2006年10月13日 (金) 14:22

 MAUN.さん
 そして、稜季の父ちゃんさん、いつもありがとう。滋味豊かな言葉に、聞かせてもらいます。

 それぞれの居所は違っても、単に言葉の上だけでない、凡夫の「まこと」が伝ってくるようです。

 日々のたゆまぬ実践と、気づきの中で、自分をかけて聞かせてもらっていくしかないんですよね。その姿を通して、伝わるものがある。それが、連続無窮のお働きなんでしょうが、それもすべて仏様のお働きの催しにほかならないのに、しっかり自惚れ、天狗にならせてもらえるわけですから、そこに気づかされたら、恥ずかしいしかないです。

投稿: かりもん | 2006年10月13日 (金) 18:14

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