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聞き間違うのが、私の自性。だから聞かせていただくばかり

 東京法座のご法話は、「聞く」ということを中心にしました。

 ほんとうは、1席分の予定でしたが、そこから膨らませて、3座お話しました。もう1座は、「極難信」をテーマにしました。特に「聞く」法話は、用意した教案以上に、その場の雰囲気で、その時出てきたことを話しました。実は、あまり教案を考えなくても、ご法話のネタに困らないだけの、蓄積ができてきました。おかげさます。でも、これはよくないとも思っています。というのは、あれも、これもとあっちこっちに話題が出てくるので、時間が長くなる。ついつい、同じような話題になる。特に、年齢を重ねていくとと、サアッと切り上げられずに、ダラダラとくどくなる予感がしています。第一、これを繰り返して楽をすると、怠け癖がつきますらかね。せっかく、貴重な、皆さんの時間をいただくわけですから、しっかりと準備をしていきたいと思っています。それは、法話の直接的な事前準備だけでなく、日頃の生活から、時事ネタにしても、映画を観たり、本を読んだりすることも、結局は、ご法座ために勉強しているつもりです。その意味では、新鮮な話題には事欠かないだけのことはしているとの自負は、それなりにあります。もう少し、仏書を読む必要はあるでしょうがね。専門を怠っています。

 ちょっと、話題逸れました。

 一方でそのときの雰囲気も大事にしたい気もします。特に、支部法座のように、3、4席と法座が続くと、座談にするのか、法話にするのか、法話はどこに焦点をあてたらいいのかなどがかなり、絞られる気がします。

 今回の東京法座なら、毎回、毎回、熱心にご聴聞をされながら、山のような資料と、お聖教のプリントと、メモと、録音機が手放さず、「信心獲得」「後生の一大事」などたてまえではおっしゃていながら、本心は、「一度で無理なので」と、宿善を積むために、教学に勤しみ、試験のための聞法し、批判をしながらある会との二股をかけておられることが発覚した某同行の姿を通じて、ずいぶん、聞かせてもらった気がします。(東京の方もそうだと思います)。後半、この人を意識して、ご法話した気もします。懇親会で、「何も聞いていないじゃないか」と、彼に迫っていかれた同人の言葉も有り難かったですね。

  「聞く」-何を、どのように聞くのか。いくら聞く、聞くといっても、「何を」を間違い、「どうのように」を違えてると、百座、千座、重ねても、意味はありません。ただ、黙って、なんでも感でも、聞けばいいというわけではないのです。

 それで、わからないことは、頭を垂れて教えていただく。そこからすべて始まる。讃嘆談合-仏様のお徳を讃える、喜びが拡がる。同時に、聞き間違いを、聞き間違いと聞かせてもらえる、そのことを知らせてもらえる知識・同行で出会えた幸せ。「勝他のため、名聞のため、利養のため」にしか、聞法していない、仏法を利用する自力そのものが私。聞く上での、アラヤ、マナ識、意識の三重の歪みと、それでも降り注ぐ聞薫習(くんじゅん)のお育てなどなど。要は、「聞き間違うのが、私の自性」。だからこそ、「聞かせていただくしかない」ということでしょう。その要を示していただいた。そんな法友に出会わせいただいたことは、何者にも換えがたい幸せです。

SRV250さんsaishoさん>>コメントありがとう。東京支部ではお世話になりました。

SRV250さん、あいからずバイクネタですか。ハンドル変わったので、最初わかりませんでした。

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法座と聞法」カテゴリの記事

コメント

今まで,「わかった!」と聞いてきたのが、聞くことと思ってきたけど,全然聞いてなくて、座談では,自分でこねくり回して発言することをよしとしてきたけど、それも全く間違ってて、じゃ、どう聞いて,どう発言するのかと言われたら,わからない。
今まで,「間違ってるよ」と言われるのが恐くてビクビクしながら聞いて,それを隠すために,固い殻で覆って
きたけど、「間違いを聞かせてもらう」と読ませていただいて、ビクビクしながら、間違いを聞かせてもらおう
と今,思っています。

投稿: Tねこ | 2006年10月18日 (水) 17:31

聞いても、聞いても、
ざるのように流れてしまう、にもかかわらず、
それを風のように忘れて、高あがり。
どこを探しても、ろくな持ち物しかない私なのだと、
常に照らしてくださる仏さまの光のおかげで、なんとか気づかせていただく。

光、ときどき念仏、ああ。。

投稿: 大阪凡夫 | 2006年10月19日 (木) 00:15

Tねこさん>

 今度の日曜日にはお世話になります。

「ビクビクしながら、間違いを聞かせてもらおう」と、今、思ってられるのは、それが、「私のありのまま」だからというわけでしょう。

 もし、道に迷って困っていた時に、「逆ですよ」と教えてもらったら、うれしいよね。でも、間違っているとは思っていなかったら、「違いますよ」と言われても、無視するか、あんまりくどいと腹が立ってもくるでしょう。でも、たとえ自信をもっていることでも、間違いがわかった瞬間は、「恥ずかしいー。でも、間に合ってよかった。よくぞ、教えてくださいました」となるよね。でも、この恥ずかしいのは、世間体の恥ではない。誰に対して? 如来様。だから、私の方は、間違いだらけと気づかせていただける。ビクビクしようが、ハラハラしようが、そんなのはここでは用なし。自分の気持ちじゃなくって、仏様のお働きを聞かせてもらいましょうや。

大阪凡夫さん>

ようこそ。ここでは初めてですね。その後、体調はよろしいですか。それとも、ぼくの思っている人と違うのかなー。

投稿: かりもん | 2006年10月19日 (木) 22:28

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