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十余ケ国の境を越えて…ご示談

 長いメールを見たのは、教行寺法座から戻った翌日だった。

 ご家庭の都合で、5日間の間での急なご示談の依頼。7月の「壮年の集い」からの心境が事細かに書かれている。もう一息かなーとも思ったけれど、「文中にあった、『いまの、自分の位置づけや、今後の指針のため』なら、わざわさお越しにならなくても、今月の法座でもいいでしょう。もし、いま、ここでお聞きになるのなら」と、返事したら、さっそく飛び込んでこられた。週末は仏青大会があるが、華光誌の発送もちょうど済んだところなので、引き受けることにした。

 十余ケ国の境を越えて、「往生極楽の道」を尋ねておいでになる。もちろん、現代は、新幹線の旅だけれども、ご本人の体調や、ご家庭の事情を知ると頭が下がる。(仏様の願力にほかならないのだけれどね。)。

 もちろん、詳しいやりとりには触れるわけにはいかないが、お話を聞いた気づいた点をまとめると次の3点のところに引っ掛かりを感じた。

 1)今生事と、後生事との廃立(水際)

 2)自力と、他力の廃立(水際)

 3)自分の気持ちの変化ではなく、如来様のこころ、気持ちを聞く、いただく。

2)と、3)は、ある種、ひとつのことではあるが、あえて、分けてお伝えした。自分のこころを知ることは大切である。そこを外して聞法はない。しかし、自分の心の変化や、善し悪しだけに囚われていても、一向に聞法にはならない。そこにかけられた、如来様のおこころに耳を傾けていく。それには、自分のこころが役に立たない、自力無効であることに、見切りがつかねば、手放しに聞くことは出来ない。もっとも、誰もが、「自分では役に立たない。どうしょうもないと分かっています」とおっしゃる。ここが最難関。ほんとうに見切りがついていれば、仰ぐしかない。自然と入ってきてくださるはずである。そうならないのは、実は、自分で、自分に見切りをつけているだけだ。自力では、自力を捨てられない。仏様にキッパリ切っていただく。そのキッパリ切っていただくときが、即、摂取の光明に収め取られるときにほかならない。

 思いついて、華光誌の「連続無窮のお働き」を二人で、交互に輪読した。時々、ご心境を聞く。だいたいの様子や言葉で、様子が分かるものだ。まだ、自分の思いだけでお出でになっている。ぼくたちにとそれしかないのだが、その思いになるには、どれだけのご恩徳があり、如来様のおいのちがふりそそいでいるのかを聞いていただきたかった。少しこころが動かされて、一心にお念仏された。静かに、リズミカルにお念仏された。両手に力が入っている。途中で、ぼくは、偈文をお勤めした。自力のお葬式が済めばいいがという思いだった。まだまだ、続きそうだったが、45分近くなったところで、声をかけた。(ご本人は、もっと短いと思われていたようだが)。涙と鼻水をぬぐわれた。少しお茶を飲みながら、事務所で、お話を伺った。

 ご自分の心境、気持ちだけを話された。極難信のご法。「信じることもなお難し」である。

 でも、それでよかったのだ。ぼくも、この人になにかを強く与える気持ちは、さらさらなかった。ご本人は、不満だろうが、空しく帰られて、よかったのだと。なぜなら、仏法には、何一つ無駄なことはないからである。

 不満があるのは、自分の心境のほうなのだ。ぼくたちは、自分でなんでもわかりたい、コントロールしたいと願っている。だから、しっかり法話が聞けたり、理解が深まったり、気づきがあったりすると、心境が進んだ気になる。逆に、惚けていたり、聞く気にならなかったり、聞いてもすべて忘れいたり(この方も、壮年の集いの法話が何も入っていない。覚えていない。罪悪感も以前に比べてないと嘆かれていた。でも当たり前。法話した本人が、「なにを話したっけ」というのだから)すると、心境が後退したと思い、叱咤したくなる。実は、それが大きな自惚れ、自力を頼んでいる姿だとは、気がつかない。自分の器に納まる仏法なら、聞く必要はない。自分の器が、自力の聴聞が、いかに頼りのないかを知らせてもらたのだから、ほんとうは、そこからもう飛躍するチャンスなのであるが、誰もが、もう一度、建て直そうする。しっかりしようとする。ハッキリさせようと力む。

 そうではない。ほんとうは、そのときにこそ、仏様のご苦労に、こころを向けさせてもらえる、千載一遇のチャンスなのである。そのおこころに撃たれれば、、わが口を通して、このからだ中に、「南無阿弥陀仏」が響きわたるのだ。

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コメント

いつもご法話有難うございます。
南無阿弥陀仏

投稿: TDM900 | 2006年10月 6日 (金) 23:32

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