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法供養法座~黒河達児さんを偲ぶ~

 今日は、華光会館では、日曜礼拝。

 そして、一昨年9月21日になくなられた、故黒河達児(釈聞名)さんを偲んで、法供養法座が営まれた。もともと、ご家族を中心に、三回忌法要をお約束していたが、ふとしたお勧めから、それとは別に、華光同人を中心にした法供養の法座を開いてくださることになった。古い同人も、懐かしい顔もあった。黒河さんをご存じない方もお参りされていた。おしなべて、新しいご縁の方が多かった。

 黒河家での家庭法座は久しぶりだ。もともと、ぼくがまだ院生のころから、講師としてご招待くださり、ご家庭を提供して、毎月、京都南支部法座として、家庭法座を開いてくださっていた。いまから思うと、随分、未熟な話をしていたことだろう。そんなぼくを上座に据えて、先生として敬ってくださった。温かく見守るだけでなく、積極的に働きかけてくださったおかげで、ぼくはご法の上でも、成長させていただいた。これは、日高支部の皆様の場合も同じだ。陰に日向に、わが子の成長を見守るように、ぼくの法の成長を、わがことのように喜んでくださった。勿体ないことだ。

 さまざまな思い出が去来する。あれも、これもと考えたが、やはりご本人の書かれたものを読ませていただくことにした。皆さんの、黒河さんの印象は、「親聞」と、それをまとめられた『釈聞名』の大作であろう。しかし、ぼくの場合は、華光誌の記事、なかでも、20年に渡って、連載されてきた「華光の法座」の印象が強い。

 それで、昨夜ゴソゴソと古い華光誌を引っ張りだしてきて、読ませてもらうった。読ませてもらうちに、胸が熱くなってきた。ご法にかけられた執念を思う。華光会館創建前に、ご法を求め、その厳しさ、難しさに、一端は聞法を挫折せされ、「これなら一人で聴こう」と、閉じこもってしまわれたのだ。しかし、結婚を機に、最初の買い物が、今日も拝ませてもらったお仏壇だった。仏壇をいれたら、どなたかお坊さんをと、考えられたときに、増井先生の顔が脳裏に浮かんだ。先生は、大きな単車で来られたという。そして、華光会館が出来たこと。一人で求めても聞けないこと。いまは、励まし合いながらも、求めあっていることなどを話されて、また黒河さんの増井先生を生涯の善知識とする、華光会館での聞法が再開したのだった。

 しかし、容易に後生の夜明けはしなった。今日も、古い同人が、悶々として求道し、頭を抱えておられた黒河さんの求道中の姿を披露してくださった。その黒河さんの宿善開発は、思わぬ方向からやってきた。求道に疲れて、ふと眺めたとき、母に気持ちよく抱かれる、幼子の姿があった。「あれだ!」 子供の方が、どう抱かれる、どうしたら親は楽かとはからうだろうか。ただ母の温まりに包まれて、身をまかせているだけである。「これでいこう」と。その幼子とは、ぼくのことであった。これ一つとっても、浅からぬ縁を感じずにはおれない。

 そんな獲信の様子や、臨終の様子などは、華光会館での追悼法要でもお話させていただいたので、今日は、「華光の法座」の第一号(第26巻4号・昭和42年)と、最終回(第45巻2号・昭和61年)を輪読し、みんなでそれぞれ黒河さんの思い出を分かち合った。あの場に座り、口にだして話さねばわからない尊い経験をさせてもらった。気づかせてもらうことも多かったし、記事に関しては、機会をみてその一部を掲載して、不参の皆さんとも分かち合いあいたいとも思う。

 にこやかに笑う黒河さんの遺影。

「ほんとうに皆さん、ようお参りしてくれましたな。大事なご法の相談ですよ。ひとり、ひとり後生の一大事を解決させてもらいましょう」と、話しかけられているかのようだ。単なる飲み食いの法要ではない。黒河さんの生きざまを、ご法にかける姿勢を、そして凡夫丸出しの家庭生活を通して、その奥底に流れる、阿弥陀様の大悲のお心に触れさせてもらう。今日のこの法座を、いちばん喜んでくださっていたことだろう。

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コメント

今日はありがとうございました。

黒河師の遺影に迎えられ、自分に向き合わせてもらえた法座でした。
今このときの、あの場所ならでは。
単なる追悼ではない、今の私に向けての法座でした。

投稿: MANU. | 2006年9月 4日 (月) 00:46

 先日は亡き父をご縁に、華光の皆様方と追悼法要を営ませていただいたこと、これほどの歓びはございません。ありがとうございました。世間では「親孝行 したいときには 親は無し」と申しますが、信先生やお同行方、そして如来さまの数々のお働きにより、最初で最後の親孝行をさせていただいたこの身の幸せを歓ばずにはおれません。
 突然お浄土の華が咲いたような奇跡の場。不浄に充ちた現世ながら、諸仏に見守られハッキリと私の進路を示されておりました。死をもって示されたご教化を踏みにじっている地獄一定の私ですが、そんな私一人のためにご用意されていた真実の親心。ナムアミダブツ……。

投稿: KURO | 2006年9月 9日 (土) 22:51

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