果てしなくつらなり途切れることのないお働き
今日は、蒸し暑い1日でしたね。京都は、35度近くまで上がったようです。
そのせいだけではないけれど、ここ3日、華光誌に集中していて、やはりお疲れモード。じっと作業するのも、結構しんどいもんです。昔なら、今日あたりの仕事は、徹夜で作業とし、追い込み、仕上げてました。どうも、最近は、そんな無理はしなくなりました。それでも、深夜の作業といを日はありますが。体力的というより、けっこう精神的に「カッカ」きますし、イライラ募りますから。
「聖教のこころ」が思いつかないので、「連続無窮のお働き」でいかせてもらいます。『安楽集』を引用しながら、聖人のご本典製作のお心が窺える一文です。このところ、ズッーとここを味わっていることには違いないけれど、前号の誌上法話に載せているので、「ちょっとね」と思わないでもないけれど、120点満点というわけにも行きませんのでね。
少し聞法旅行の仕事もして、今度訪問させていただく、正定寺様、万行寺様にお電話して打ち合わせしました。楽しみですね。
K先生からも「如来の絶対命令」という題の「巻頭言」も来ました。次いでに9月29日にご自坊への講師にお招きいただくことになりました。
「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆゑなり」。
現代語訳
「真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである」
ことのほか、この一文にこころ引かれています。
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コメント
こんばんは。「真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。~数限りない迷いの人々が残らず救われるため・・・」南無阿弥陀仏。もったいないお言葉です。わたしのため。わたし独りのためですね。「真実のことば」これに出会うことの難しいことを痛感します。綺麗な、心地良いことばは散乱しているが・・・。先日、古本屋さんで「隠れ念仏」に関する書物があり、800円安い、買おうと思ったが、持ち金少なくて、明日に先延ばしをして翌日いくと、もうなかった。凄くショック(後味悪く)で、ネットで少し調べた。そこには、「連続無窮のお働き」を、わたしにかかるお働きが命がけで今に導かれたことを知らしていただきました。余談ですが、子供の頃からよく見る夢(お寺の処刑台からう逃げる私)を、「隠れ念仏」の資料から感じました。やはり私は逃げて、逃げて、逃げ回ってきて、今生でやっと遇わせていただいたのだと。何より、逃げ回る私に離れずついて下さり、南無阿弥陀仏さんと処刑されていったご縁を通じて今の私があるのだと。かりもんさん、ありがとうございました。南無阿弥陀仏。
投稿: 稜季の父ちゃん | 2006年9月 9日 (土) 00:38
華光誌の中で,私の好きなというか、一番心に残るのが
「聖教のこころ」です。短いからかな?短い中にぎゅっと詰まってて,しばらくの間,味わっています。スルメみたいな感じで、、、。
私も,幼い頃から逃げる夢を見ます。設定はいろいろですが、とにかく必死で逃げている。
恐くて恐くて逃げている夢です。
「逃げる私」を、ずーっと知らされ続けています。
投稿: Tねこ | 2006年9月 9日 (土) 14:04