法水を流す
夜になって、すこし蒸し暑くなってきたが、今日はしのぎやすい一日。扇風機も使わずとも過ごせた。いま、窓の外では、虫の音が、秋を告げている。早くも、2006年も、2/3以上が、過ぎたことになる。
ところで、華光会館には、3つの看板がある。
まず、近鉄電車から見える屋上の照明付の「華光会館」。これは、増井悟朗先生の揮毫を、立体にしている。二つ目は、駐車場にある、旧会館の「華光会館」。そして、三つ目は、新会館が出来上がった1年目に取り付けられた、側面の「華光会館」である。今日の工事で、側面にあった「華光会館」の看板が、取り外された。10年の雨風に汚れた文字を、きれいに磨き、掃除してくださったそうである。こうして、ひとつひとつリニュアールされていく。
これに比べて、私たちの体、ましてや心はどうだろうか。保守点検も、補修工事もせぬまま、やりたい放題の毎日。どれだけ、垢やゴミが溜まり、そして悪臭を放っていることか。そんなところに、こころをかけることもなく、いまもまた、ゴミを製造に大忙しいだ。まさに、お釈迦さまの四夫人の説話にある、第四夫人だ。遠国に行く時に、慌ててみても、もう手遅れなのである。ところがである。誰も引き受け手のない、この凡夫の悪臭のゴミを喜んで引き受けてくださる方があり、捨て場所までご用意くださっている。「心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、情(こころ)を難思の法海に流す」のである。
懈怠に流されるのではなく、南無阿弥陀仏の法水を流していこう。
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コメント
支部法座で気づかせていただいたことが後になって本当にすごいことだなぁ、なんて深い深いお心なんだろうとどんどん浸みてきました。「日暮らしモード」で日々を送っている私はゴミを作って溜め込んで捨てられないで恥ずかしいけどそこから抜けられなかったんです。でも私一人のためにここまでしていただいていることをはっきりと教えていただいて深いお心に感動を受けました。「懈怠に流されるのではなく、南無阿弥陀仏の法水を流していこう。」のメッセージがとても有り難くて嬉しいです。ありがとうございました。
投稿: オレンジ | 2006年9月 9日 (土) 23:15