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2006年9月の31件の記事

まあ、善人なんだし、死んだら仏さま

 昨日は、教行寺永代経法座でした。

門徒さん中心ですが、華光同人の方も数名。京都と大阪から、Tさん、Yさんペアも。5月からご縁ができて、皆勤ですね。帰路は途中までご一緒しました。「いつもお参りして、顔を見飽きておられませんか」と尋ねられましたが、いえいえそんなことありませんよ。せいぜい、ご縁のあるうちにお参りください。

 昼座の、前席は、「極重悪人唯称仏」の一文をいただきました。「極重悪人よ」と呼びかけられている。でも、キョロキョロよそ見してるわけですね。それで、みんな自己評価を聴きました。例の「1)絶対、善人。2)まあ、善人。3)絶対、悪人。4)まあ、悪人。そして5)どちらともいえない」というやつですね。すると、やっぱり、お寺ですね。6割以上の人が、「まあ、善人」に手を挙げられる。「特別悪いこともしてませんし、かといって、まあね、腹も立つし、欲もおこるんで、絶対善人ともいえません」とのこと。本心から、そう思われている。そりゃーそうだよな。このあたり、奈良でおこった女児の誘拐殺人の現場にほど近い。そんな死刑になるような人が「極重悪人」というわけでしょうかね。お寺でお説教と、実際の生活のこころとには、大きな隔たりがある。別に隔たりがあっても、そのことに気づいていたらいいのだけれど、まったくの不信もなく、本心から、道徳的に、「まあ、まあいい奴や」で、日暮らしされているんです。せいぜい、腹も立つし、欲も起こすし、汚いこころもあるければ、まあ、お寺に熱心にお参りして、それなりの日暮らしをおくり、子供たちも、あとのおまつりを怠らないようだし、お慈悲な阿弥陀様がほっておかれるわけがない。「まあまあの善人よ、ただ、仏の御名を称すべし」で、お念仏と、感謝の日暮らしを送らせていただきましょう。というところでも、かなり上等な部類でしょう。

 これを、「死んだら仏」という。

 その意味では、ぼくたちは、ドエラいことを聞かせてもらい、そのことによく頷ける身にならせてもらったと思います。不思議といえば、こんな不思議なことはない。ぼく自身は思いたくないんですね。自分ほど賢い、えらい、正しいものはないと思っている。でも、仏様に指名されたら、認めたくない奴が、「極重悪人よ」と呼ばかけに、「南無阿弥陀仏」と返事せざるおえなくなるのですから。これはとんでもない話ですね。「極重悪人唯称仏」の「唯」は、他力を表す「唯」。決して、「煩悩の無くならん悪いやつなので、念仏していたら救われる」程度のお救いではない。「極重悪人」こそがご正客。その身、そのままで聞くしかないです。

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行ってきまーす

  すっかり秋ですね。空が高い。

 これから、教行寺の法座です。聞法旅行では、バスで向かいましたが、ぼくは電車にします。だいたい80分くらいかな。近鉄の急行で、田原本という駅で降りて、2、3分ほど歩きます。この町の中を歩くところが、いかにもローカルです。王寺方面に向かう西田原本から、ワンマンのかなりローカルな近鉄に乗ります。池部駅でK先生がお迎えに来てくださっています。夜の法座もあるので、最終の急行で帰る予定。ギリギリ今日中には、帰るでしょう。ではでは。

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明日は教行寺

  明日は、教行寺様にお招きいただきました。2週間前に、聞法旅行でお訪ねしたばかりなので、すこし変な感じがします。ここは、だいたい2、3週間ほど前にお声がかかるので、ハガキの法座案内には不掲載ですが、ネットの案内に講師派遣法座として出ています。というわけで、今日は、教案作りに専念すべきなんでしょうが、けっこう雑用をこなしました。なぜか、「教案、考えんといかんぞ」という時ほど、たまっていたほかの仕事をしたがるんですね。あきらかに、厄介なものを前に、心理的な逃避の作用が働くわけですわ。もっとも、目の前の仕事が片づけた方が、心置きなく専念できる面も、確かにある。机の整理をしたり、資料や散らかりぱなしの子供のおもちゃを片づけると、自分のこころの中にもスペースができる感じがして、それから、夜になって(けっこう焦りながら)、ゴソゴソ教案を考えたり、原稿を書いたりすることが常です。

 修繕工事では、外壁の塗料の最終確認と、2階のトイレと炊事場改修工事の契約書類を交わしました。窓という窓に、塗料がつかないように、ビニールが張られているので、ちょっと閉塞感がありますね。パタパタと音もする。でも工事は、すこぶる順調。●印刷所に回していた、真宗カウンセリング研究会の会報が出来上がってきたので、大急ぎで「総会」の報告書と、華光誌代の未収の方(思い当たるかたあったら、よろしくお願いしますね)への督促状の作製しました。●それと、京都市では、10月1日からゴミ袋が有料化になるので、その件での連絡に、学区運動会の連絡、赤い羽根の募金のお願いなどなど、町内会長の仕事も、モゾモゾとしました。これが予想以上に忙しいですが、これももう半年の辛抱。

 こんなそんなで、やっと夜になってから教案作り。もっとも、1年に1度だけのご縁なので、これまでの教案をもとに、なるべく普通のご門徒さんにも分かりやすく話す工夫をしていきます。

 お寺のご法座は、どこも座談会がありません。ご法話は、前席・後席という形で、間に15分ほどの休憩を入れて、だいたい2時間弱ほどが、1座となります。今回は、昼と、夜の2座あります。

 1座目は、「唯極重悪人称仏~大悲無倦常照我」のご法話。「極重悪人」というところを膨らませた問いかけと、あとは永代経で話した「常」を中心に、大悲のやむなきお働きについてお取り次ぎさせてもらう予定。夜は、「凡夫が仏になる」にしようか、それとも、肉食、殺生についての詳細を話そうかと考えています。ちょっと、向こうの雰囲気をみて相談してもいいかなとも思いますね。さあ、これから少し詰めます。

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新しい華光会ホームページは、どうかな?

 今朝は、MAUN.さんの主導で、事務局で、リニューアルなった華光会HPの進捗状況について相談しました。丸2ケ月が経過しました。皆さんの感想はどうでしょうかね。ぼくたち5名が、最初にKJ法という手法を使って相談した「図表」に照らし合わしていくと、まずはその雰囲気、ムードとしては合格点。だいたい7、8割程度は計画どおりです。やっぱり、まだお会いしていない人達が、華光に対する敷居が少しでも低くなって、法座の参加の助けになればと願っています。やっぱり、閉じこもっていても、なかなか開けない。でも、最初の一歩は、やはり勇気がいります。そのために、深い深いご法の話ですが、それを普通の生活をしている人達が、こんなふうに語り、喜んでいることが、少しでも伝われば素敵だなーという思いから始まっています。これから、まだまだよくなりますよ。今後は、「誌上法話の感想の分かち合い」「主要法座の報告や感想」「聖典講座などの報告」、そして「リンク」などなどを課題に、どんどん進めていってもらいます。これから、同人の皆さんの活躍の場が増えてくることは間違いなしです。お楽しみに!

 それと、まもなく20,000アクセスなので、「その人には何かご褒美だしましょうかね」などと話しているうち、知らぬ間に、20000アクスセを超えていました。あらら…50,000の時は、ぜひぜひ考えましょう。ブログの方は、だいたい7,800というところですね。●●●

 午後、ぼくは、事務雑用。テープのタイトルやシール、子供大会の写真の焼き増しなどの作業に、法座の打ち合わせと、先日の聞法旅行の請求書の件で、同朋観光さんとの少し会いましたが、宴会費をかなりサービスしてもらって、ホクホク。助かります。事務所では、MAUN.さんたちが引き続き、会計年度の作業してくださいました。ご苦労さまです。

●●●●● 夜は、さっきまで、「伝道研究会」でしたが、ちょっと触れられそうにないけど、「罪悪観と無常観」を輪読中です。最近、ますます、自己中心の自分、我執の塊の自分、自分を守ること必死な自分を、いやというほど知らされます。

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『密息で身体が変わる』

 ぼくの今年の関心事に、「呼吸法」がある。たまたま、マチャプチャレという自然食のお店のママからお誘いを受けて、インド生まれの呼吸法を体験する機会を得た。今年の4月末の1週間連続で、「ヒーリング・ブレス・WS」に参加。サリーが似合う、南インド出身の女性が、『「禍福は糾える縄の如し」と申しますね』という巧みな日本語の講義と、ヨーガ、そして呼吸法の体験。その後、毎朝20分弱の、「スダルシャンクリヤ呼吸法」を続けている。このことは、また詳しく書くことがあるだろうが、一点だけ、インド生まれというところが気になっている。

 実は、2年間ほど、佐保田式ヨーガを習っていた。その間で、日本生まれの自力整体に出会って、乗り換えたのだ。そのとき、手足が長い、アーリア民族で、しかも、気候(四季ではなく、乾期(冬)と、雨期と、灼熱の夏しかない)も風土も異なるインド生まれのものが、ちょっと日本人には会わない部分もあると聞いて、納得したのだ。これは、仏教でも同じでしょう。インドの気候・風土に近い、南方系仏教と、厳しい自然のチベットや、シルクロードを通り、モンゴリアンの中国や朝鮮半島を経て展開された仏教とは異なっている。日本に入っても、また同様に発達・展開し、「たとえ片州なれども」ぼくたちは、浄土真宗のみのりを聞くことができる。親鸞さまにいわせると「大乗の至極」のみのりなのである。

410603563401  ちょっと横道にそれたけれど、きっと日本人にあった、呼吸法もあるんじゃないかなと思っいたら、おお!ヤッパリありました。『密息で身体が変わる』⒤中村明一著(新潮選書)

 「密息」。なにか、秘密というか、密教の特別の行法のようなのですが、なんのことはない。虚無僧の尺八の中で、受け継がれてきた、近代までの日本人なら、当たり前に身についていた、当たり前すぎて、わざわざ伝承される必要もなく、そのために、急激な西洋化の中で、失われていた、忘れて去られた呼吸法なのだそうだ。

 ぼくたちが、普段、正しいと思っている「腹式呼吸」は、西洋人のように骨盤がしっかりたち、強靱な腹筋が必要なもので、まだ西洋化の生活様式が浅く、しかも、食生活も、体型も急激に変化しながらも、まだその途上にある日本人は、まだ完全にマスター仕切れずにいる。それでいて、伝統的な密息もできずに(生活様式、歩き方、立ち方だって変化しているのですから、からだが変化するのは当然ですね)、大方が、胸式呼吸という、口で浅い息をして、あがりやすく、きれやすい、どちらつかずの過渡期のいる状態だという。

 本書では、本来日本人の体型にあった、骨盤を少し倒して(腰を落し)、腹は吐くときも、吸うときも、やや張り出したまま保ち、どこにも力を入れず、身体を動かすことなくおこなう、深い呼吸を紹介されている。身体は安定し、精神的には集中力が高まり、自由と解放感を得られるというのである。

 おお、これこれ。かなり、関心出てきましたね。写真入りですが、一度体験してみたいですね。

 もうひとつ「あれ」と思ったことがある。ぼくが、小学校の高学年から、夏場に必ず「喘息」に苦しんでいた。そのとき、父が、国嶋療法で教わった、逆の腹式呼吸-つまり、息を吐く時にお腹が膨らみ、吸うときに凹ますというもの。本書でも「逆腹式呼吸」として紹介され、もしそんな息の方は、密息が早くマスターできるそうな。

 本書は、単なる呼吸法にとどまらず、日本人が忘れた、乃至捨ててきた、日本や日本文化のすばらしさを再認識させようという狙いもある。その点は、分かるけれど、記述が、総花的な列挙に留まっている点は、物足りない。

 本書を補うものとして、斎藤 孝著の『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス)を、お勧めしたい。これはかなり面白いです。

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9月1日から始まった、極めて個人的、小さなこと

9月1日から、超個人的に、プチ新しくはじめたことが2つある。

ひとつは、新聞を、新たに講読しはじめたこと。

 これは、英会話(お茶の間留学ですね)をメキメキ上達させている家内が、‘’JAPAN TIMES”の講読を少し前から始めた。それがトイレに置いてあるが、残念ながら、ぼくは眺めるだけ。でも1面の写真なんかが、かなり違うのが面白い。

 で、ぼくも、今月から地元の「京都新聞」以外に、「朝日新聞」を購読することにした。ぼくの1日は、まず、新聞を読むことから始まる。けっこう、これは昔から習慣で、中学生のころから新聞が好き。まず起きて、一番に新聞を読む。顔を洗う前に、パジャマのままで、布団に足をつっこんだまま、ときには1時間でも読むことがある。いくらネットでニュースが読める時代になっても、これはかわらない。ニュースより、エッセイや解説が好きで関心のあるテーマもかなり決まっている。そうそう、きょうの新聞では、京都は、1面に安倍さんが千秋楽の表彰式で、一足早く総7理大臣杯を授与したニュースの写真がでていたけれど、朝日には、1面どころかそんな記事のカケラ(1行だけ)もなかったところが、面白い。

 で、もうひとつは、新しく体重計を購入したこと。体重計といっても、体脂肪や、内蔵脂肪、BMIに、基礎代謝まで計れる、カラダスキャンタイプのもの。

 ここ数年、1~2年あっていない人には、必ずといっていいほど、「痩せられましたね。お体、どこか悪くされたのですか」と、尋ねられ続けてきた。さすがに最近は、これが常態となって、そんな人も激減したが、先日の東京支部で、尋ねる人がいた。ということは、この人、何年間か法座を欠席されていたのだね。もちろん、最初のうちは、「実はね…」と、自力整体に、朝食抜き、そして正食法やらの説明していた。でも、いまはそれも飽きた。それで、「いやー実はそうなんです。悪性でね、胃を切りまして」などと、悪ノリをする。すると、「そうですか。お大事に」などと、そのまま信用されたりもする。まあねー、一時は、63キロあった体重が、46キロ台にまで落ちたのですから、心配されるのも無理はないかも…。

 いまは、50キロ台(リリカさん、ご安心ください)まで体重が戻ってきた。測定の結果、BMIもギリギリ、痩せすぎから、標準タイプへ。内蔵脂肪は「3」、体脂肪も「17%」台で、低いか標準値の下を示している総合的にも、「普通」に入っているようだ。それでも、中年ですから。もう少し、日常的に運動しないとなーと思っている、今日このごろ。世間の人とは逆で、もう2、3キロ太りたいとも思ってるかな。

 今日観た映画は、1勝1敗。「ジダン」と「マッチポイント」。「マッチポイント」は、久々にドキドキ、ちょっぴりムラムラね。ウディ・アレン風「太陽がいっぱい」というところ。これはいい。さっそく家内におすすめ。詳しく書く時間があればいいけれど…。

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「連続無窮のお働き」~体験型法座~

 今日は、大阪支部法座と、3階研修場で予定されていた仏教青年会の例会と、合同で、法話会でした。法話会といっても、一方的に法話を聞いてもらうのではなく、華光誌の法話の輪読をおこないました。本人がいるのですから、法話を聞いてもらったらいいのでしょうが、たまには、受け身の法話よりも、体験型の法座にしたかったのです。

 というのも、昔、モレノの「サイコ・ドラマ」法座に取り入れていたとき、(このあたりは華光の先進性ですね。もう35年前のことですから)、よくこんな説明を聴きました。知的理解で「知っている」に止まるのではなくて、また単なる技術の習得ではなくて、体験的に学習する、身で聞くことの重要性と、その効果。つまり、耳だけで聞いて、理解できるのはたった15%程度。そこに目が加わると30%程度。さらに口が加わると、70%に理解度がアップして、最後、体=身で経験すると、90%も理解度がアップするそうです。いかに、「耳」だけでは弱いかということですね。「耳」って、けっこうバカなんですね。

 その意味で、一方通行の、受け身の法話では得られない、みんなで読むことで、「口」を使い、そのために「目」を使い、そしてそれを「耳」で聴き、みんなのことを意識することで「体」も使った輪読だったと思います。ぼくは法座で、参加している人の声を通して、聞かせてもらうことがあります。声が響くんです。みんなを意識しながら、読むことは大事だと痛感させられています。たぶん、ぼく自身も、自分が人に話すことで、自分の声を聞かせてもらっている。そうしながら、自分の気持ちを見せてもらい、ご法を聞かせてもらているんじゃないかと。みんなに、声を出して、伝えることは、皆さんが考えている以上に、深い意味があるように思いますね。

 ただ、今日は、人数が思ったより多かったこと。仏青の若い人もいたこと。そして、華光のご縁が浅い人や新しい人も混じっていこともあって、座談や質疑は大人しめだった気がしました。特に若い人が遠慮がちだったのが、残念。もっと感じたとことを、わかりきっていることでいいので、口に出してほしいと思いました。味わっことを、胸に留めず口にすることが、聞法なんですから。そのときに、特別な味わいはいらないんです。同じことでもいいのです。自分が味わったこと、読んで感じたことを口にするだけで、短くても、また当たり前と思っていることにこそ、意味があるわけです

 それにしても、そのまま受け取る、聞く、読むということは難しいですね。どうしても、その本位を理解するよりも、言葉の端にとらわれる。自分のこころにとらわれる。または、自分を抜きにして、人ごとというか、眺めているようにしか読めないようですね。それで、また質問や味わいを伝えて、そこを指摘してもらうことが大事なんです。

 そのように聞法していくことを、さまざまな無数の名もなき念仏者によって、導き、導き、育て育てられて、教えていただいているのです。「どう聞くのか」も教えてもらわないと分からない。よく華光は「エリート集団」だと指摘される方があります。ぼくにいわせるとそれは違います。ただ、すばらしいお手本が、身近におられるだけのことなんです。その人たちの真似をしてきた。真実の道があることだけでなく、その道を歩む先輩(得道の人、獲信者)に出会わせいただいき、その先輩、先生のお導きをいただける、そんな世界に身を委ねさせてもらったものだけが味わえる大きな徳なんです。それこそ、眺めているだけてはダメ。先輩同行のように、そのみ跡を慕い歩ませてもらうだけなんです。私の方は、自分のことしかない。自分の気持ち、自分のプライド、傷ついたとか、分かってもらえれんとかね。「わが心がどう、こう」と、ちっぽけなことにとらわている私一人に、果てし無く連なって、途切れることなく続いて、最後の最後まで救い取りたいという広大無辺の壮大なお働きが、いま、ここに、生きてかかっているわけです。なんというスケールでしょうか。そこに身を委ねずに、なにを聞くのでしょう。ほんと、間違いぱなしですわ。

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運動会日和

 今日は、朝から長女の運動会。秋晴れで、暑いぐらい日和でした。

 1年生、何事も新鮮にがんばってましたね。最初の体操も、ラジオ体操じゃないんだー。でも、人数が少ないせいもあって、全体に盛り上がりに欠いていたかな。京都市内中心部の小学校は、軒並み児童数が低下していて、各学年が1クラスの単級です。今年の1年生は、29名で、まだ多い部類。隣の学区は20名を切っているようです。当然、行事も、1、2年合同になることが多いようで、横割りだけでなく、縦の交流も多くて、その点ではいい面もありますが、6年間、クラス替えなどもなくて、同じメンバーで過ごすので、問題が起こってくるとたいへんなようです。

 それにしても、うちの子は、ダントツで小さい。(もちろん、ダントツで可愛い!が…)、特に5、6年生になると、ぼくより大きな子がゴロゴロ。「みんな、肉骨粉、飲まされているのかー」というぐらい、栄養が行き過ぎている。それで、ハードル走などを見ていると、かなり体の重い、栄養過多の子供が目立ってました。大きくても、ブヨブヨしてるんですね。そりや、仕方ないです。お金さえあれば、いつでも、どこででも、なんでも食べられる世の中。しかも小金には不自由していないわけでしょう。小金で、買い与えたほうが親は楽ですしね。ドンドン目の前に刺激的なものを並べられて、「食べるな」ということほど酷なことはないわけです。飢餓に対抗して、生きる術を身につけてきた人類が、いや人類どころか、生物史上始まって以来、いかに目の前にあるものを、「食べないか」という超難題に挑戦するわけですから、これはたいへんです。単なるダイエットという意味ではなくて、目先の刺激ではなてく、いかに自分のほんとうの「体」に聞くことでしょうが、これはとても難しいです。

 それに、精神的にも、「自分の金を出して買ってなにが悪いのか」、という風潮でしょう。冥加なんて言葉は、当然、死語。生き物を殺し、食べ物にしている(殺生)が罪なんてこととは、対極の世の中に生きている。こんな環境の中で、法に照らされた私の「いのち」を見つめていくことは、これもまた至難の技ですね。

 運動会日和が、思わぬ方向に向かっていきました。

 

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修繕工事の打ち合わせ

 今日は、設計監理してくださっているMAKI建築事務所のMさんが、広島からお出ましくださって、国土開発の担当者の方々と、ぼくに、MAUN.さんも加わって、工事の打ち合わせがありました。 

 外壁関係工事は、かなり順調に進んでいます。予定より、約10日間ほど作業が早いらしい。いまは、北側(通路側)の外壁や、非常階段付近の作業です。(塗料の関係で、窓が開けられないのが難点ですが)

 今日の打ち合わせでは、細かな点の確認をおこないました。たとえば、外壁の色だけてなく、手すりや非常階段の色はどうするか? 駐車場の天井は? ベランダ部分は? 幅木にあたる部分は? 塔屋の部分は?などということです。また、ひび割れや亀裂箇所の確認と、補修方法なども詰めていきました。屋上から、ズッと見て回りましたが、高圧洗浄で、黒かった屋上も、白くなっていましたが、同時にひび割れの部分もよく目立っています。壁面も同様。汚れやビビが目立ってきて、そこを補修していきます。正面の「華光会館」の看板も、一部はがれていたりと、かなり細かな部分まてチェックしてもらっていると思いました。

 また、2階の女子トイレと、2階の炊事の最終の打ち合わせでしたが、炊事のシンク(流し)を、業務用で特注するのですが、そのシンクの下の部分の目隠しをどうするかで、ちょっと難航。特注になるので、融通が効きそうで、逆に、専門的になって難しい部分あるようですが、なんとか、10月10日からの工事に向けて進んでいます。仏青大会は、もしかすると、クーラーの使用が不可能になるかもしれませんが、トイレや炊事はまだ旧来のまま使用できます。炊事の蛇口(3つに増える。2つが湯水、1つが水の)や、トイレの工事方式や、便器の色などは決まりました。この内部工事、2階部分は、追加工事という扱いで、正式な見積もりをもらい、発注書と請け書を交わして、契約完了。こちらは、来週中でしょう。ただ、今日の話し合いで、だいたい詰まってきたので、こちらもひと安心ということろでしょうか。次回は、10月中旬に、施主確認の調査ということになります。

 写真など、詳しくは、左のトラックバックにあるMAUN.さんのブログをご覧くだされば、徐々に発信されていくと思います。

 http://manu-k.at.webry.info/200609/article_15.html

 ぼくの方も、華光誌が今朝、最終校が渡り、聞法旅行も終わり、工事関係の大枠の相談も終わりました。いまは、年度末がやってきたので、そちらの仕事にシフトします。あと、先延ばしにしてきた、こまごまとした仕事(写真の焼きまわしとか、子供大会のテープ編集とかなどなど)にかかっていきますが、ひとつ、ふたつと大きな荷はおりた感じがしています。いや、どうも、おつかれさまでした。次また大きな荷を背負う、ほんの少しの間だけですがね。

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「当たり前」が「有り難い」~黒河さんの三回忌にて

 お彼岸とはいえ、日差しは強い。黒河さんがお亡くなりになったのが、ちょうど2年前の今日、9月21日。危篤の一報は、近江の聞法旅行の最終日に届いた。聞法旅行の恒例の宴会は、黒河さんが大トリ。その年は、その黒河さんの法味が聞けないことを、みんなで残念がっていた矢先のことだった。そして、翌朝には浄土へ還っていかれた。それから、丸々2年間。この間、ぼくは、何をやってきたのだろうかと考えると、感慨深い。

 初めて、お墓にお参りさせていただく。「南无阿弥陀仏」の「南無」の「無」を「无」にしたのが、こだわりらしい。お墓を拝むのではなく、「南无阿弥陀仏」を拝む。「わしゃ、こんな墓の下にはおらんでー」と言っておられることだろう。ご本人も、ご自宅の裏を流れている「木津川(淀川へ)にでもほってくれ」と言われていたそうだ。わが家には墓はなく、骨に執着する気持ちもサラサラない。そんなものは何の役にも立たないもの。

 ご自宅に戻って、一緒にお勤め。家族の方だけだが、少しご法話をさせてもらった。聞法旅行で、万行寺にお参りさせてもらった時に、ご法話をさせていただくご縁があった。その時にお話したことを、少しだけなぞった。

 大きなご恩、おかげをいただいて、今日の私がある。何ひとつかけても、ここに私はいないのだが、ひとりで大きくなったように錯覚する。親の御恩、生きとし生きるものの御恩、そして、仏法を教えくださった知識、先生の御恩。しかし、すべてがいつのまにか「当たり前」になっている。水道をひねり水が出る、リモコンを押せばクーラーが動く、それと同じように、食卓に並ぶものも、数々受けてきた愛情も、すべてあって「当たり前」で、省み、感謝することなどない。この「当たり前」の反対が、「有り難い」ということである。ほんとうは、「当たり前」のものなど、なに一つない。食べられるということも、しゃべれるということも、歩けるということも、トイレでウンチができることも、何でも自分の力で、当たり前のことだったが、実はなにひとつとして、自分ひとりの力でできるものではない。教えていただき、導いていただき、大きなご恩徳があり、健やかに生かせていただいているおかげなのである。そのことを忘れて自惚れてはいないか。

 しかし、ただ生かされているのを喜ぶだけなら、浄土真宗のおみのりが小さいものになる。なんのために生かされいるのかを、しっかり聞かせていただく。そこに、迷いを離れる道のあることを教えていただく。仏法の真実を聞くために、後生の一大事の解決をするために、仏様のいのちをいただいたことを聞かせていただく。我がいのちをかけて、教えくださった先達、知識に会わせていただかねば、とうとい知り得ることがなかったのだ。

 「善知識にあふことも 教えへることもまたかたし、よく聞くこともかたければ、信ずることもなほかたし」。 難しいというは、同時に「難い」ことである。会うことが稀というのである。ほんとうに、いま私がここに生かされ、そして聴き難いお念仏を喜ぶ身になれたとのである。こんな有り難く、不思議なことはない。そのご苦労が、そのおこころが、南无阿弥陀仏なのである。

          

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けっこう、どんくさい

 かなり早く華光誌の校正が帰って来た。ザーッと見た感じは、タイトルなど指示どおりに近づいている。まあ、このあたりで妥協しないとね。
 ここ5年間は朝食抜き。紅茶を飲みながら、校正をと思った。手がすべて、カップを机の上にバチャン。どんくさいこっちゃ。書類やら本やら、子供大会の写真も、ビチョビチョになる。どうも几帳面なくせに、不器用で、9割いいのに、あと1割が失敗する。家内にいわれると、指先10センチが不器用ならしい。特に、食事では、汁やソースを飛ばしたりする名人。幸い、書類は、クリーアファイルやビニール袋に納まっていて、被害は少なそうに思えた。でも、これも油断のもと。あわててビニール袋を退けたのだが、ビニールって水をはじくでしょう。逆に、そこから2次被害が拡大して、あっちこっちを汚すはめに。ヤレヤレ。いつも、こんなことですわ。ザーッ校正を眺めた。モタモタしたけど、これで、一応終了。ホッとします。急いでお昼食べて、黒河達児さんの三回忌法要へ。(続く)

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昔の同行は迫力あるな

  今朝は、華光誌の校正渡せました。あと、1回で終了。次回は、今回のチェックだけ。

 事務員さんは連休なので、今日も、電話をいつくか受けました。天草に住む、90歳に近い華光同人から、『往生要集』の綴じ本の依頼(けっこう雑用あるでしょう)があり。本願寺近くの仏書専門店を2件回って、購入。そのお礼の電話。関東に住む息子さんの話題から、ご自身の体験談へ。遠く離れた地で、華光誌を頼りに求道されたこと。近くに知識もなく、求め求め、苦しみ苦しんだすえに、「忽然として、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」ですわ。阿弥陀様が、特に哀れと思し召してくださったのでしょうな。名号の利剣で、自力の心が…」と、次々喜びを語られました。その点、息子は、「先生・同行に囲まれて、甘やかされて、頭(ず)が高い。頭(こうべ)を垂れて、命懸けで聞けと、叱ってやりましたわ」、と厳しいお言葉。でも、そんな生き方をされているし、体はヨロヨロなのに、言葉に力があります。年季が違います。……でもねー、息子さんもたいへんですわ。

 3時前に、京都シネマへ映画を1本観に行きました。黒木和雄監督の「紙屋悦子の青春」という、静かな静かな反戦映画。

 その足で、龍大の深草学舎へ。真宗カウンセリング研究会の輪読学習会。いろいろなバックボーンの参加者が10名あって、面白かったけれど、内容はまた明日に。

 明日は、黒河達児さんの(親族向けの)三回忌法要です。

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明日には渡せるぞー

 昨夜は、早めに寝たけれど、朝は、疲労感が残っていました。法悦をいただいて、こころというか、精神的にはいい感じなんですが、身体の声も聞いてあげないとね。皆さんに助けてもらえるとはいえ、やっぱりね、責任がありますから。無事に終わって、ホッとしたのでしょう。午前中は、予定変更して、自力整体に行きました。上半身の首から肩のあたりに疲労物質が溜まっています。内臓も休めてあげるのがいちばんと、朝も、昼も完全に抜こうかと思いましたが、つまむ程度でお昼食べました。

 あとは、ノンビリと行きたいところでしたがね。急ぎの仕事ありまして、ヤレヤレです。聞法旅行の最中に、華光誌の初校が来まして、かなり急ぎでやってくださいました。それで、午後から、校正を観ました。目次はかなり「アカ字」がありましたが、本文の方は、こちらの見落としが中心。ただし、各タイトルの位置とか、字体の感じが気に入られない。このあたりは、人を介しいるので、なかなか伝わらないです。間違ってはいないので、感じというか、フィーリング的なもの。微妙な字間とか、級数、飾り罫線の感じなので、うまく伝わらない、不全感があります。

  今日は、聞法旅行のお礼やら、不参加の方もご様子をお尋ねくださるお電話いただきました。夕方には、新潟十日町の方も、やっとこさで帰宅されました。お疲れさまでした。

 そうそう、「ブログで、おすすめ映画、3本教えてね」という、ファン・レター(ただし、男性)もいただきました。ありがとう。 聞法旅行中のアクセスは、日頃の1/3~1/4程度。皆さん、一緒に旅をしていたわけではないでしょうがね。旅行中は、横浜のTさんご夫妻はじめ、反響も直接聞けました。励みになります。

 さあ、もう一息。元気だして、指示を書き込みましょう。

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聞法旅行も無事終了……

 聞法旅行も無事終了しました。有り難い、尊い旅行でした。教行寺、正定寺、万行寺様の心温まるご接待も有り難かったし、ご法話も、分級も尊かった。そして、参加の皆様ひとりひとりの態度や姿勢も(いろいろありましたが)、白色白光の輝きでした。

 小さくて、古い山奥のホテルでしたが、逆に、静かで、サービスもうるさくなく、じっくりご法座がもてた点がよかったです。森林浴も楽しめた露天風呂は気持ちよかった。

 お世話くださった皆様(中でも、MAUN.さん、T山さん、高山のTちゃん、そして、A川さんに、Oさんも、いつもありがとう)、またご参加くださった皆様、そしてお留守番をして下さった皆様、ほんとうにありがとうございました。

 懸念された台風も、九州・中国地方では、大きな被害が出ていますが、近畿には影響もなく、フェーン現象なのか、今日は、蒸し暑い1日でした。宿舎では、さすがに雨も降りましたが、宿舎での聞法でしたので、影響はなし。皆さんも、夜行バスで高知に帰宅中の方以外は、無事に帰られたことでしょう…というつもりでしたが、残念ながら、1名、影響を受けられました。日本海に抜けるので、北陸・新潟方面に向かう、寝台夜行特急が、すべて運休。明日の朝に変更されて、今夜はもう1泊、華光会館に宿泊されることになりました。お疲れさまですね。MAUN.さんの早めの情報が役立ちました。

 感想は、いろいろあります。じっくり振り返りながら、味わっていきたいと思います。噛みくだき、噛みしめながら、言葉にする機会があれば有り難いですね。

 それにしても、いつも思うことですか、ほんとうに3日間、アッと言う間に終わりました。夢のようです。ウソのようです。こうして、この娑婆とも、夢・幻のまま別れていくのでしょう。もし、仏法を聞くことがなかったら…と思うと、背筋か寒くなります。

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ロード「聞法」だなー

  いよいよ聞法旅行です。以前と違って、皆さんにかなり助けてもらって、準備は楽なのですが、それでも、夜になると、いろいろと準備不足を思い出して、バタバタするし、ナーバスにもなってきて、子供が大声で泣くと、怖い顔でイライラしてきます。でも、法話もだいたいイメージできました。最終日なので、あとはこの3日間の雰囲気で。

 もう四国と、千葉のお同行さん、会館に泊まっておれらます。お二人常連ですね。いま、夜行列車に乗って向かっておもらる方もある。朝6時に会館に到着予定。今のところ、キャンセルもなし。心配なのは、3日目ぐらいに台風の影響があるかもしれないこと。終わったあと、遠方に帰っていかれる方の足もありますからね。こればかりは、いま、心配してもどうしようもないです。

 さっき仕事も終わってあとは、寝るだけ。早めに寝ます。お休みなさい。

 

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『世間とは何か』

 一橋大学元学長で、ドイツ中世史の専門家である阿部謹也さんの訃報のニュースを聞いて、10年以上前に読んだ本を読み直した。『世間とは何か』という新書である。

 個人をベースにした西洋の「社会」とは異なる、日本の「世間」(世の中)という枠組。「世間に顔向けできない」とか「世間を騒がした」とか、「社会知らず」とはいわないで「世間知らず」と使う、その世間。その世間を、中世から近代にかけてのての日本人たちがどのようにとられて、そして現代に影響しているかが述べられている。先日観た「バッシング」の「みんなに迷惑をかけた」の、みんなが「世間」の目にあたるといってもいいかもしれない。

 さて、この中で、1章を設けて、親鸞さんから蓮如さんにかけて、日本にあった地縁、血縁関係を越えて、法縁で結ばれた真宗教団の革新性について、これまでの日本にはない新しい人間関係として評価されている(笠原一男氏の論文に影響が色濃いですが)。そこには、信心決定の上では、魔界や怨霊も、死穢さえも否定されていく。世俗権力と厳しく対峙してまでも、貫かれていく信心があるわけです。まさに「無碍の一道」というわけ。そこに、真宗教団が、あれだけの教線を拡大させ、また権力者たちに恐れられて行ったのか。それが、いつのまにか体制に組み込まれ、そのときに失ったものは何だったのかが、隠されいるような気がしました。

 あくまで、その一つの原因ですが、確かに、教義や教学を学んだり、研究したりすることも大切なことだけれども、地域や血縁を越え、身分を越え、御同行・御同朋とともに、車座に座って、聴き合い、語り合った「法座」という伝道形態が衰退することが、浄土真宗の衰退でもあったわけです。今日の伝統寺院が、現代の流動的な社会状況に対応できないほど膠着化し、地縁と血縁に依存するしか存続の道がなく、将来の見通しもますます暗い状態となって、現場(特に地方ほど)、若い僧侶方は不安感を抱いているわけですよね。

 一方で、混迷を深める社会情勢の中で、「教団」の仏教(真宗)ではない、浄土真宗や親鸞さんについては、魅力を感じている(門徒以外)の人達も数多くおられる。でも、いまの既成の教団では、なかなか、そこに応えることができない。教義を、法話や書物などで一方的に発信できたとしても、「では、どこで実践的に聞法できるのか」「その受け皿になるような「法座」を開いているのか」と問われると、はなはだ心もとない。すこし前のことですが、カウンセリングの関係で知りあった方が、ぼくに愚痴っておられました。大阪在住の彼は、本願寺さんに、「定期的に信仰座談会を開いておられるところ」を尋ねられたら、なんと京都の宮津のお寺を紹介されたそうです。そのお寺自体も、彼のニーズを満たすものではなかったようですが…。

 「世間」の話題からかなりズレてきました。

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冥加につきる

今日の工事は、外壁の高圧洗浄。けっこう、大きな音がしました。外壁作業では、いちばん大きな音がするらしく、明日も続きます。

 仕事は、聞法旅行の準備でした。今日は、買い出しや荷物の準備など。近所のお店で、懇親会用のお酒やつまみ、おかし類を購入してきました。

 実は、聞法旅行の収支はトントンで、赤字になることもあります。あまり高く参加費をとるとご参加していただけない。ところが、有り難いことに、不参加でありながら、聞法旅行のために、毎年、ご喜捨をしてくださる方があるんです。単なる物見遊山の旅行なら、あり得ないことです。

 その方は、薬局を経営されているのですが、長年、熱心なお連れのお同行さんから、お誘いを受けられて、なぜか聞法旅行だけは参加されていました。ぼくが子供の時には、ぼくと同世代のお子さん連れで参加されていたこともあります。かなり歴史が長い。でも、お釈迦様の四夫人の例えどおり、商売(お金)と、自分の体と、そして家族が大事の生活から、なかなか後生の一大事へと踏み出せなかった。それでも、聞法旅行だけは、参加されていました。

 それが、比叡山であった聞法旅行の時。しかも、その年、地元とあって途中で帰宅される予定だったんです。そのときに、「なせ、帰られるの?」と尋ねられて、「あれ、なんで私帰るのかな」と、そのときに、初めて、自分の聞法の姿勢と、自分の後生の問題に心が翻っていかれました。そして、居残ることになられた、その夜、宿善開発されたのです。そして、それから、お味わいがゴロッと変わられまして、自分の原点の集まりなのでと、毎年、お心をくだいてくださいます。さらに、今年は、さらにもう1名、「皆さんの飲み代にしてください」と、仰ってくださる方がありました。勿体ないことです。

 こんなふうに、皆さんのご存じないところにも、さまざまな形でのお力添いがあり、そんなご因縁が整って、私が聞法させていただけるんです。万行寺様では、受け入りのために檀家さんがこ相談くださり、バス駐車場から自家用車でピストンしてくださるそうです。知らないだけなんです。それなのに、自分の力で全部やっていると思って、自惚れるばかりです。実は、その背後で、大きな力が、きめ細やかに、至れり尽くせりで働いてくださっている。まさに、冥加につきるわけです。

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『バッシング』

9月11日。京都みなみ会館で、映画を2本観ました。

Bas  そのうち1本目が、「バッシング」。

 こころに残るセリフがありました。「この国じゃ、みんなが怖い顔している。私も、怖い顔しているんだと思う。」

 いやー、ぼくも怖い顔して、生きてる。毎日、毎日。ビックスマイルとは、なかなかいきません。悲しい現実だね。

 で、映画は、ずいぶん過去になってしまった気がする(これも恐ろしいことですが)、イラクで起こった3名の日本人ボランティア人質事件を材料にした、フィクション。流行語になった「自己責任」という、例のあれ。そのうちの女性をモチーフにしたもので、ドキュメンタリーではなく、設定も創作。

 作品が、「事実に基づくか、創造か」とか、「フィクションか、ノン・フィクション」かなんていうことは、この際、まったく問題じゃない。どんなに事実に基づいたドキュメンタリーであっても、ひとりの映像作家の目を通して切り取られた瞬間、見せ方、きり方、つなぎ方、そして何よりもその立ち位置ひとつでかわる、主観的な作品になるわけですから。そこに意義があるのに、けっこうだまされやすい。原作がある作品でも、「原作どおりじゃない」と怒る人もあるけれど、いかにそれを解釈したり、換骨奪胎して造られたものが、ぼくにとって、面白とか、何か感じられるかの方に、ぼくは興味がある。当たり前ですが。

 その意味でいえば、この映画はいさぎよい。でも、暗すぎる。北海道の苫小牧が舞台。荒廃とした風景。ボツンと建つ、古く、荒れたアパート。それがそのまま主人公と、孤立した家族そのもの。被害者なのに、犯人か、国賊扱い。周りの無理解と、誹謗中傷の嵐。いまの日本のある種の空気を切り取った作品でした。テーマがしんどすぎるけど、悪くはない。お金払って、「みんな」というモンスターに、村十分にされるイヤーな雰囲気を味わいたい時にはどうぞ。といって、彼女に感情移入させるわけでもない。彼女のいやな面というか、コンビニでのかなり個性的な、協調性のない注文の仕方なども見せて、情感に流れないように止めている。もちろん、感情的になるBGMもなし。(エンディングが、フォークシンガーである監督自身の歌でしたが)。セリフよりも、タッチや、身体で見せる手法など、気に入りました。

 ラスト。つきものが落ちたような顔で、再び、彼女は、イラクへ旅立つ。そこに自分がほんとうに必要されている唯一の道を、自らが、自らの力で選びということなるんでしょうが、ぼくにはここが「?」でした。

「つながっていることは悪いことか」といいながら、彼女も、家族も、まったく孤立している。この国には、だれ信頼できる人も、相談する人もいない。これなら、結局、死を選びか、異国に逃げるかしかないんじゃないのかと。今日の日本では、期待することはできということなんでしょうか。たまたま、監督の舞台挨拶もあって、支援者がない理由もおっしゃっていましたが、ぼくには、イラクで接した人々の笑顔が支えになるだけで、しっかりとそんな自己を受け止められることなく、自力で立ち上がっていけるのかが、疑問。もっとも、問題は、その後かもしれないのだけどね。まずは、その歩みの一歩を、自ら踏み出した(自己責任だ)ということなのかとも、あれこれ考えています。

 

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聞法旅行、楽しいですよ

雨。しかも、ヒンヤリした朝でしたね。思わず、もう1枚羽織りました。工事は、今日から、外壁を高圧洗浄する予定でしたが、雨も強かったので中止。今も、シトシト降ってます。この調子なら、明日も延期の公算高いかも…。

 今日は、聞法旅行の仕事。朝は、タイムスケジュールにそって、役割の確認。そして、分級(グループ座談です。華光だけでしか通用ない用語で、華光の特色。ただ、ご法話を聞くだけではなくて、みんなでかかわり合いをもち、聴き会い、話し合います)や、部屋割りの相談しました。皆さんと寝食を共にして、バスや部屋の中でも、仏法讃嘆に花が咲きます。ここがいい。浄土真宗のお寺専門の旅行社ですが、最初にご一緒したときに、社長さんが「長年この仕事をしていますが、ほんとうの聞法の旅でびっくりしまた」と、わざわざご報告にこれらました。普通は、旧跡巡拝といっても、ゆかりの寺を回り、ご法話を聞いたら、あとは宴会か、車中もカラオケ三昧だそうです。その宴会も、また一味違って、ほんとうに楽しい。そして有り難い。たった3日間ですがね。すこしだけでも、生活をご一緒して、聞かせていただくことに大きな意義があります。よそ行きの仏法が、お同行さんや先生方と一緒に旅して、少し身近になる。それで、初参加のAさんは、Bさんと同室にしようとか、この方がいると、ご法のお話が弾むんじゃないかとか、いろいろと配慮(はからい?)をしながら、考えていきますが、あんまり考えすぎても、そのとおりいくかどうかわからないところが、おもしろいですが、でも、スケジュールの隅々まで、細かく配慮しながら、計画しています。未経験の方は、せひご参加いただきたいですね。

 夕方からは、旅行社を交えて、最後の詰め。MAUN.さん、T山さんにも、名簿や名札などの作業で、大いに助けてもらって、事務作業はかなり終了。先生方や、お寺さんなどにも連絡をすませたし、いまのところキャンセルも少ないし、あとは荷物の準備です。

 そして、法話の教案。ぼくの担当が、最終日の万行寺様になりました。今回の旅行のまとめと、やはり西光先生のことに触れないわけにはいけません。ここにも、「連続無窮のお働き」があり、華光にも、そしてぼくにも大恩ある知識様です。テーマが絞りやすくなりました。事務作業をしながら、ぼんやりと考えています。徐々に、まとまってくるでしょう。

 相談の途中で、下の子が発熱で、保育園から呼び出し。あわててお迎えに。ちょっこと予定変更でしたが、出かけていた家内にも、すぐに連絡とれて助かりました。

 華光誌は表紙関係の張り合わせは終了。あとは、印刷所から帰って来た本文をの校正を残すのみ。こちらも、一息つきました。

 

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華光誌から聞法旅行へ

 今日も、最初は、華光誌からです。
 表紙関係だけは、まだ自分で版下を作製しております。ほんとうは、本体も、作製していたのが、DTP機能のワープロ(本体はまだ使用できるのに)のプンリターが故障して、ダメになりました。当然、ワープロなんて生産中止でね。もう丸3年になります。次は、パソコンのDTPソフトでの自家製版を目指しております。これが可能になると、宿願の華光誌の年6回発行が出来るのじゃないかと、密かに思っております。忙しくなるばかりかなー

 さて、今日の作業。表紙は、k先生の「巻頭言」は、如来の絶対命令。勇ましい。南無阿弥陀仏の、南無のお心を深く味わってくださっています。本願招喚の勅命、絶対命令だと。これを名号の字から、名は「名を告げ」名のってくだされ、號は、虎の叫び声で、叫びとなって、十方に響流している。これもお話で聞いていたはダメ。この私にいかに関わってきてくださっているのかを聞かせていただくわけですね。でも、この先は、華光誌お楽しみに、読む楽しみ無くなりますから。で、後記、行事の裏広告(今回は、華光大会と総会、そして年賀交換)、そして写真の説明などの作製は出来ました。明日は、T山さんに、再確認してもらって、張り合わせてもらえば、完成です。

 工事関係は、編集作業の合間に、トイレ修繕の見積もりの件などで相談。10月10日着手目指しています。設計士さんとの打合わせ日時の変更もあって、来週の予定も怪しくなってきました。
 今日は、玄関ドアが、とても軽くなりました。ほんの少しズレていたのを外して、微調整してもらいました。閉まる速度も、ゆったりとなります。ギシギシ音のしていた、2階教室のドアや、1階事務所のドアも、しっかり直してもらいました。こんな細かなことが、10年経つといっぱいでてくる。外壁は、防水用に壁面ミゾに白パテが塗られています。一時、ラッカー匂いが強かったですね。工事は、順調なようですね。

 聞法旅行は、明日、午前に、世話人で打ち合わせ。午後から、旅行社にきてもらって最終確認。今夜は、世話人の時間割のような役割表などを造っていました。その時点で、アレアレ、ぼくの勘違いが発覚。三日目の万行寺様。ご法話もさせていただく予定でした。計画では、参拝時間は40分で「短いな」と。で、M先生に「20分程度のご法話」、乃至、「場合によって挨拶程度かも」なんて失礼なお願いしておりました。ところが、いま、プログラム造っている時点で、よく考えると、1時間40分ある。「10時50分~12時30分」の参拝予定の計画表いただているのに、単純な計算間違い。あわてて、M先生に電話して、「ご法話を50分~1時間程度でお願いします」などと、変更する始末。いや、焦りました。詳しくは、明日、打ち合わせしで、準備にかかります。

 華光誌から、聞法旅行モードへ。今年は、ここに修繕工事が絡んでいるぞ。

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9.11

今朝いちばんに印刷屋さんに、華光誌渡りました。「無事」といいたいところだけれど、昨夜、ここに書いてから、少しフロッピーのデーターがトラブリました。もらろん、バックアップはありましたが、直接、修正していたところも、ほんの少しあったので、そのあたりがどこまで訂正できているのが、深夜に頭悩ませました。

 完成ではないけれど、ホッとしました。華光誌の表紙関係も、今日は順調な作業。皆さんが、いちばんよく読んでくださる(たぶん1番に読まれる。自分の記事が載るときは、そこが1番でしょうが)後記も書きました。あとは表紙写真を選ぶ作業ですね。旅行社とも打ち合わせが出来たし、学区の運動会の案内も出来たし、忙しいなりに、順調な仕上がり。うまく運ぶと機嫌がいい(当たり前か)のですから、現金なものです。

 ボンボン、ムラたちで、凡子マンガや、「子供の聖典」のきれいな絵もアップしています。こちらもぜひ、ご覧ください。

 で、今晩は、これから映画館に行きます。21時20分から、みなみ会館で始まる「セプテンバー11」(11’09’01)。イラン、日本(今村昌平)、アメリカ(ショーン・ペン)、イギリス(ケン・ローチ)そしてメキシコに、インドに、エジプトと、世界11カ国の監督が、ひとり1本、「11分9秒1フレーム」で、平和への祈りを込めたメッセージが届けられたものだそうです。 9時11分に出発しても、みなみ会館なので、充分間に合うのがうれしい。それに、会員は800円ということろも、またうれしい。では、楽しんできます。

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最後の孤独な作業~ジョニー・キャッシャを聴きながら~

 日曜日。 華光誌の編集もあって、もともと法座は入れておりませんでした。土曜・日曜日の出張法座の予定がないのは、なかなか珍しい。

 しかも珍しことに、6時すぎには起きました。法座はなくても、3ケ月に1度の地域の清掃活動の日。会長前集合ですので、サボるわけにいかない。しかも、同時刻に下の子の保育園の運動会がありました。共に、雨なら延期。前日の降水確率90%。でも、起きた時点では、怪しい雲行きながら、雨は降っていない。

 で、工事で汚れ気味の華光会館の前なりとも掃除し、皆さんをお待ちしておりました。挨拶だけして、運動会会場に向かう段取りでした。が、開始時間の直前に雨降り出しました。掃除は中止にはならんわ、運動会も強行されるわで、自転車で濡れながら、なんとか東寺近くの会場へ。2歳児ですから、ちょっと踊って、親と走ってお終いなんです。そのちょっと踊るのも、周りの雰囲気に圧倒されて、指をくわえたまま立っているだけ。それでも、「うちの子はかわいいな」と親バカ丸だしで、ビデオ撮影。ごくごく普通のパパでした。ただ、子供の方は元気がないと思うと、すこし微熱がありまして、1時間もしないうちに、早退させてもらういました。なかなか親孝行な子ですわ。

 おかげで、華光誌の作業に早くかかれました。データーをテキストにしたり、書類揃えたりする。途中で、一カ所でも、間違い見つけても、変更する手続きは同じなので、けっこう時間かかりました。夜になって、赤字で、文字の大きさ(級数)フォント、飾りケイの指示などを入れていきます。いつもこのあたりは、深夜の孤独な作業。もう一息ですが、詰めすぎてたので一休み。気分転換に、ジョニー・キャッシュというカントリー(初期のロッカーでもあるかな)の大御所の刑務所でのライブ聴きながら、これを書いてます。今年いちばんはまっているかもしれない。で、書き終わったら点検して、終了ですね。

 明日、朝イチに印刷所に渡ります。本文は終わったけれど、明日から後記や表紙などの表紙関係の作業。来週に校正が2回出てきて、終了。もう少し、もう少し。

 聖典講座は欠席して、終日、作業。会館では、お久しぶりの法座。ネットで調べて初めての男性、先日の東京支部で初参加の方も、大阪からお参りくださったりして、うれしかったです。ご縁出来れば、いいですね。華光はいいところですよ。

オレンジさん> ありがとう。10月の東京支部もお世話になります。楽しみです。

KUROさん> 21日もよろしく。 

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シャイネス? フレンドリー?

 今日は、仕事ありましたが、思いきって、午前中に伏見の自力整体に行きました。同じ姿勢で、パソコンの作業が続くので、体の歪みやコリもあります。そこで、身を整え、心を整えて、リフレッシュ。2年ほどやっていたヨガ教室の時もそうですが、この手の教室は、断然男性が少ない。ぼくとM先生と、Kさんと、あとたまーに、ムラにも会いますが、ほとんどが女性。それもだいたい年代も決まっておりまして、まず若い男性を紹介した場合、このオバチャンの雰囲気に馴染めるかどうかか、継続のポイントですわ。今日は、Kさんとご一緒。「ブログ見てますよ。工事たいへんですね」と言われました。あとは、先生たちと「蟻の兵隊」の感想を語り合って、何人かを勧誘してきました。
 ぼく、基本的にシャイネスなんですがね。もっとも、社会的不適応を起こすほど、閉じてはおりませんが、やはり初対面の人には、恥ずかしいがゆえに、無愛想になることがありまして、「人見知りする」性格と決めつけておりました。でも、人間変わろうと思えば変わるんですね。変わらないという、超強力な自己暗示をかけておりますので、なかなかたいへんなんですがね。少なくとも、この教室や町内会では、ぼくは、とてもフレンドリー。始めて会う人とも、会話の実践と思って、話しかけております。そのあと、いろんな人を食事に誘うこともありまして、幼稚園関係のお母さん方も参加されていているので、声かけして、お昼をご一緒しました。なんとも、不思議な気がします。
 要は、「ぼくってこんなもの」、「こんな私です」なんて決めつけてしまったら、ある種、楽ですがね。でも、実際は、フレンドリーな面もあるし、シャイな面もあるし、時と場所と、そのときの気分や体調によっても変化するわけで、その時々の自分とお付き合いしております。
 おかげで、午後からの作業は、バッチリ。華光誌の残りのウメも、「法話テープ」「修繕工事のお知らせ」と「こころの相談室」開設の文章を考えました。いろいろ考えているうちに、「聖教のこころ」も、「途切れず、果てし無く続く働き」以外にも、『歎異抄』の第1章2節(ただ信心を要とすべし)や、『浄土見聞集』の一文など浮かびましたが、これは次回以降に取っておくことにしました。
 「Tねこ」さん、「稜季のお父ちゃん」さん、感想ありがとう。励ましになります。

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果てしなくつらなり途切れることのないお働き

 今日は、蒸し暑い1日でしたね。京都は、35度近くまで上がったようです。

 そのせいだけではないけれど、ここ3日、華光誌に集中していて、やはりお疲れモード。じっと作業するのも、結構しんどいもんです。昔なら、今日あたりの仕事は、徹夜で作業とし、追い込み、仕上げてました。どうも、最近は、そんな無理はしなくなりました。それでも、深夜の作業といを日はありますが。体力的というより、けっこう精神的に「カッカ」きますし、イライラ募りますから。

 「聖教のこころ」が思いつかないので、「連続無窮のお働き」でいかせてもらいます。『安楽集』を引用しながら、聖人のご本典製作のお心が窺える一文です。このところ、ズッーとここを味わっていることには違いないけれど、前号の誌上法話に載せているので、「ちょっとね」と思わないでもないけれど、120点満点というわけにも行きませんのでね。

 少し聞法旅行の仕事もして、今度訪問させていただく、正定寺様、万行寺様にお電話して打ち合わせしました。楽しみですね。
 K先生からも「如来の絶対命令」という題の「巻頭言」も来ました。次いでに9月29日にご自坊への講師にお招きいただくことになりました。

「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆゑなり」。

 現代語訳
 「真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである」

 ことのほか、この一文にこころ引かれています。

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法水を流す

 夜になって、すこし蒸し暑くなってきたが、今日はしのぎやすい一日。扇風機も使わずとも過ごせた。いま、窓の外では、虫の音が、秋を告げている。早くも、2006年も、2/3以上が、過ぎたことになる。

 ところで、華光会館には、3つの看板がある。

 まず、近鉄電車から見える屋上の照明付の「華光会館」。これは、増井悟朗先生の揮毫を、立体にしている。二つ目は、駐車場にある、旧会館の「華光会館」。そして、三つ目は、新会館が出来上がった1年目に取り付けられた、側面の「華光会館」である。今日の工事で、側面にあった「華光会館」の看板が、取り外された。10年の雨風に汚れた文字を、きれいに磨き、掃除してくださったそうである。こうして、ひとつひとつリニュアールされていく。

 これに比べて、私たちの体、ましてや心はどうだろうか。保守点検も、補修工事もせぬまま、やりたい放題の毎日。どれだけ、垢やゴミが溜まり、そして悪臭を放っていることか。そんなところに、こころをかけることもなく、いまもまた、ゴミを製造に大忙しいだ。まさに、お釈迦さまの四夫人の説話にある、第四夫人だ。遠国に行く時に、慌ててみても、もう手遅れなのである。ところがである。誰も引き受け手のない、この凡夫の悪臭のゴミを喜んで引き受けてくださる方があり、捨て場所までご用意くださっている。「心を弘誓(ぐぜい)の仏地に樹(た)て、情(こころ)を難思の法海に流す」のである。

 懈怠に流されるのではなく、南無阿弥陀仏の法水を流していこう。

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華光誌の編集作業

 雨。しかも、涼しくてしのぎやすい。今日の修繕工事は、中止。この調子なら、明日も中止かもしれない。

 華光誌の編集作業の真っ只中だ。

 さてさて、ほくは、詳細な「10年日記」をつけている。走り書きだが、几帳面の極みな内容。(就寝時間~起床時間)から始まり、天気、まず午前中の動き。そして、仕事の作業内容がメモされている。これがすこぶる便利だ。だいたい同じころに法座があり、また華光誌の編集もあるので、作業の進行がつかみやすい。法座なら、法話内容はもちろん、座談で気になった人のことも書いている。それが、何年も一覧できるので、仕事のメドが立ちやすい。もちろん、簡単だけれども、読んだ本も、映画も、買ってきたCDの記録も付いている。もっとも、このところブログもあって、2、3日まとめ書きなんてことも多くなったけどね。

 とにかく、それによると昨年、一昨年に比べて、華光誌の編集作業が遅れている。昨年は、7日にフロッピィーを印刷屋に渡している。今年は、修繕工事の相談などと重なって、4~5日は遅れているようだ。

 今日は、ミーティングで事務所に行った以外は、外出もせず、寝室兼書斎兼仕事場の3畳足らずの部屋に籠もりきりだった。幸い、町内会関係で、「体育祭のことですが」という電話と、「リクレーションの行き先だけど」という電話が、2件あっただけで、電話もかからなかった。そうそう、アル中で悩んでいる人から、お味わいをの電話が夜にあったっけ。少し聞くと、真剣な話なんだけれど、だんだんロレツも回らず、要点が分からなくなる。「寂しいんだろうな」と思いつつも、いくら話しても、大量の酒を飲んだとわかった時は、ご法の話は無理だ。時間を決めて切り上げた。

 頑張ったかいあってか、増井先生の誌上法話はルビまで入り、校正も2校まで済んだ。残りの記事も、今夜追い込んで、40頁の本文も、一応、手直しが、いま完成。ちょっぴりホッとした。あとは、校正を3回して、ルビを入れていく。それに、テープ広告などのウメの記事が4カ所と、目次に、「聖教のこころ」で、中身は完成。ただ「聖教」が中々の難敵だ。編集作業と平行しながら、頭の中で、あれこれ絞りだしていかないといけない。

 明日も、明後日も、編集作業一筋だ。この調子で頑張れば、10日、うまくいければ9日には完成するだろう。連休には、聞法旅行もあるので、日程は詰まっている。決算月でもあるので、9月はいつも苦戦続き。毎年のことだけどね。

 でもおかげて、ありがたい華光誌ができそうだ。

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「蟻の兵隊」

Arinoheitai_01  昨日、仕事の合間を縫って、京都シネマで、『蟻の兵隊』を観て、震えた。山西省残留日本軍問題に、真っ正面から取り組んだドキュメンタリー。傑作だ。

自らが、国家の被害者であると同時に、国の一歯車となり、加害者としても生きている事実(60年たったいまも身についている恐ろしさを)、真っ向から受け止めて、ただ事実を、事実として明らかにし(負の遺産も含めて)、目を逸らさずに凝視しようとする、80歳の老人の真摯で、一途な姿勢に、感激した。

『戦争で死ぬ、ということ』という本を紹介したが、こちらは『戦争で殺す、ということ』という面もある。国家の、殺人マシーンに仕立てられていくプロセスを、自らが再体験していく場面での、老人の気づき、態度がすばらしい。

 冒頭の靖国神社での若者との対話、奥様とのなにげない会話、病院での会話、高齢になった同じ仲間との対話。脳梗塞の病床になる元高級将校との対話。ホテルの一室での姿。中国の放送局とのインタビュー、中国で強姦された女性との会話、処刑した被害者家族との対話。そして小野田さんとの一場面、「60年前のことだから」と対話を拒む元将校との対話、そしてラストの一場面も。どれをとっても珠玉の場面ばかりだった。

 真摯に事実を後世に明らかにしよう、それを語ろうとする人も、また(「昔のことだから」と困惑し)沈黙する人も、(短い場面だったが、感情的になった小野田さんをみて「ああ、こうして護らないと、生きていけないのだろうな」とも思わされた)戦争を美化せざるえない人もまた、身も心も深く深く傷つけ、狂わされた戦争の犠牲者であり、同時に加害者になっていく。多くの善良な普通の人々を狂気に走らせ、多くの善良な普通の人々の命を奪っていく戦争の、愚かさ、残虐さ、恐ろしさの一端が見えてくる。

 それにしても、日本という国は、昔も、また今も、どこまでご都合主義で、責任逃れをしていくのだろうか。複雑な思いにもなり、考えさせれる一本。

 しかし、今の日本では、大手の配給が相手にされない内容だが、MIXIやブログ、口コミなどで評判が広がって、上映が拡大しているそうだ。日本も、まだまだ捨てたものじゃないなー。逆にいうと、みんな、今の日本の現状への危機感があるのだろう。京都でも(いちばん小さな劇場だったが)盛況だった。ただ、客層は年配の方が多かった。ぜひ、若い人に見てもらって、共に語りたい映画だった。

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「毛」色の違うお仕事~美容師さんとの研修~

 昨日は華光のご法座でしたが、今日は、毛色の違ったお仕事。

 どこが「毛」色が違うというと、ヘアーサロン、つまり美容師さんたちの組合(グループ)の講習(研修)会に、お招きいただきました。これまでも、学生さんや、小学校(このときは、校長先生や教頭先生含めて)先生方、お寺さんの集まりなどはありましたが、サービス業は始めて。別に接客のノウハウをもっているわけじゃないのですね。むしろぼくが聞きたいぐらい。「ぼくでいいの?」と思わないでもないけれど、まあ、これもご縁ですから。仏教や真宗の話ではなくて、「話の聞き方、伝え方」を中心にしました。

 いろいろとワークやったり、気持ちの聞き方研修をしました。

 話を聞くには、「内容(事柄)を聞く」のことと、「気持ち」を聞くことがありますよね。皆さん、これまでのお仕事は、いかにお客さんの内容を聞いて、話題を膨らませるのか。豊富な話題を提供できるのかということに腐心されて、努力されてきたようです。そこには、「気持ち」を聞くなんてことは、まったくなかったのでしょうね。「いかに人の話を聞いてなかったか」ということを、体験されたようで、これは収穫ありました。

 一方的な講義ならたぶん問題にならないのでしょうが、ぼくと同世代ぐらいのオーナーさん方と、若いスタッフには、参加の意欲や取り組み、経験などにも、温度差がかなりあって、自分の感じを分かち合う時など、ちょっと難しいところもありましたが、それでも、最後は、自然とフリートークのようになって、それぞれが、気づいてもらえることがあったように思いました。

 技術やセンスを売るお仕事であっても、サービス業である以上、そこには、コミュニケーション能力が問われ、感情や気持ちも含めた、人格的な部分が、ますます問われるようになってきているのだと思います。そこには、ひとつのハウツウなどの安直な道はなく、実際の人間関係の中で、失敗したり、傷つきながら、そのスキルを身につけていくしかないわけです。そして、そのヒントや自分のクセなどを少し教えてもらうだけでも、随分、変わってくるのですがね。そこを、しっかり見据えていく。ただ受けいれるだけなんですが、それが難しい。分かりきっているからこそ、見逃し、せっかくチャンスに蓋をしてしまう。

 ぼくの回りを眺めてみても、身近な関係の中で、同じ過ちを何度何度も繰り返し、自分で落ち込んだり、閉じて頑になったり、相手を恨んだりして、傷つき、または傷つけながら、それでいて、同じようなパターンの解決法で癒していくことを、繰り返すだけで、その痛みを通じて学ぶことが少ないんじゃないかなーと。

 ちょっとしたことなんですが。自分を知ることは、ほんま難しいです。ぼくも、常に学ぶ姿勢を持っていたいです。

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法供養法座~黒河達児さんを偲ぶ~

 今日は、華光会館では、日曜礼拝。

 そして、一昨年9月21日になくなられた、故黒河達児(釈聞名)さんを偲んで、法供養法座が営まれた。もともと、ご家族を中心に、三回忌法要をお約束していたが、ふとしたお勧めから、それとは別に、華光同人を中心にした法供養の法座を開いてくださることになった。古い同人も、懐かしい顔もあった。黒河さんをご存じない方もお参りされていた。おしなべて、新しいご縁の方が多かった。

 黒河家での家庭法座は久しぶりだ。もともと、ぼくがまだ院生のころから、講師としてご招待くださり、ご家庭を提供して、毎月、京都南支部法座として、家庭法座を開いてくださっていた。いまから思うと、随分、未熟な話をしていたことだろう。そんなぼくを上座に据えて、先生として敬ってくださった。温かく見守るだけでなく、積極的に働きかけてくださったおかげで、ぼくはご法の上でも、成長させていただいた。これは、日高支部の皆様の場合も同じだ。陰に日向に、わが子の成長を見守るように、ぼくの法の成長を、わがことのように喜んでくださった。勿体ないことだ。

 さまざまな思い出が去来する。あれも、これもと考えたが、やはりご本人の書かれたものを読ませていただくことにした。皆さんの、黒河さんの印象は、「親聞」と、それをまとめられた『釈聞名』の大作であろう。しかし、ぼくの場合は、華光誌の記事、なかでも、20年に渡って、連載されてきた「華光の法座」の印象が強い。

 それで、昨夜ゴソゴソと古い華光誌を引っ張りだしてきて、読ませてもらうった。読ませてもらうちに、胸が熱くなってきた。ご法にかけられた執念を思う。華光会館創建前に、ご法を求め、その厳しさ、難しさに、一端は聞法を挫折せされ、「これなら一人で聴こう」と、閉じこもってしまわれたのだ。しかし、結婚を機に、最初の買い物が、今日も拝ませてもらったお仏壇だった。仏壇をいれたら、どなたかお坊さんをと、考えられたときに、増井先生の顔が脳裏に浮かんだ。先生は、大きな単車で来られたという。そして、華光会館が出来たこと。一人で求めても聞けないこと。いまは、励まし合いながらも、求めあっていることなどを話されて、また黒河さんの増井先生を生涯の善知識とする、華光会館での聞法が再開したのだった。

 しかし、容易に後生の夜明けはしなった。今日も、古い同人が、悶々として求道し、頭を抱えておられた黒河さんの求道中の姿を披露してくださった。その黒河さんの宿善開発は、思わぬ方向からやってきた。求道に疲れて、ふと眺めたとき、母に気持ちよく抱かれる、幼子の姿があった。「あれだ!」 子供の方が、どう抱かれる、どうしたら親は楽かとはからうだろうか。ただ母の温まりに包まれて、身をまかせているだけである。「これでいこう」と。その幼子とは、ぼくのことであった。これ一つとっても、浅からぬ縁を感じずにはおれない。

 そんな獲信の様子や、臨終の様子などは、華光会館での追悼法要でもお話させていただいたので、今日は、「華光の法座」の第一号(第26巻4号・昭和42年)と、最終回(第45巻2号・昭和61年)を輪読し、みんなでそれぞれ黒河さんの思い出を分かち合った。あの場に座り、口にだして話さねばわからない尊い経験をさせてもらった。気づかせてもらうことも多かったし、記事に関しては、機会をみてその一部を掲載して、不参の皆さんとも分かち合いあいたいとも思う。

 にこやかに笑う黒河さんの遺影。

「ほんとうに皆さん、ようお参りしてくれましたな。大事なご法の相談ですよ。ひとり、ひとり後生の一大事を解決させてもらいましょう」と、話しかけられているかのようだ。単なる飲み食いの法要ではない。黒河さんの生きざまを、ご法にかける姿勢を、そして凡夫丸出しの家庭生活を通して、その奥底に流れる、阿弥陀様の大悲のお心に触れさせてもらう。今日のこの法座を、いちばん喜んでくださっていたことだろう。

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外壁の色は、創建当時の色で

 早くも、会館はスッポリと工事用のシートに覆われた。かなりの人数を集中して、作業が行われた。少し薄暗い雰囲気になる。足場や養生だけで、何百万もする工事である。

 色見本を参考に、外壁の色を相談した。全体を、まったく新しい色に変えることが出来るのだ。ただ「お寺」なので、あまり奇抜な色はそぐわないだろう。第一、長年付き合うと飽きがくる。それで、いまの濃厚なウグイスというのか、茶黄土というのかの色を基本に、明るめを中心に9パターンの見本を作ってもらった。太陽に当てて見る、日陰で眺めて見る。ごく一部なので、これが全体となるとどうなるのか。工事関係者と、ぐるーと会館の回りを見て回る。よく目をこらしてみると、陽の当たる場所、雨がかかる、かからないでも、実は色や汚れが違うことがわかる。最初に、濃い目の落ち着いた色を選択したので、汚れが目立たないだけで、やはり年月が経っている。最初より、若干明るめの色を考えたが、業者の進言で、「5年、10年先を考えたら、雨垂れのシミや、ムラなどが目立ちずらい濃い目の色がお得では」との話があった。もちろん、決めるのは施主であるが、いろいろな現場をみた専門家の声を参考にすることにした。最初の見た目の変化も大事だけれど、長いおつきあいを大事に、選択することにした。検査し、高圧洗浄をかけ、ヒビなどの修繕をしたあとで、吹きつけをする。11月の華光大会には、建設当時の会館の雰囲気になるのだろう。

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修繕工事一つに深いおいわれ

 9月1日。緊張気味に、朝を迎えた。

 前夜の雨が少し残っていたが、予定どおり、修繕工事が始まった。9月になったせいか、残暑も一息である。今日から1週間は、足場を組んだり、養生する外回りの作業である。朝、8時すぎ、2台の大型トラックが、足場の資材を積んできた。予想以上の量である。しかも、けっこうな人数が、熟練した技で、会館のまわりに足場を組んでいく。その技はすごい。窓をしめておかないと、それなりの騒音もする。別に何があるわけでもなかったが、こまかな呼び出しが何度もあって、華光誌の編集も停滞し気味。それは、それでいたしかたない。

 しかも今日は、防災の日。京都市の6000人規模の訓練が開かれた。今年は、南区が担当なので、町内にも割り当てがきて、町内会長のぼくに代わって、家内がのぼりを持ち、腕章をつけて出席てくれた。会館の上空も、ヘリコプターが何度も旋回していた。

 その会場が、華光会館創建前に、父や母が、しがないアイスキャンディー屋をやっていた「ご旧跡」のある、殿田公園(球場)なのだ。会館から、歩いて10分もかからないが、案外、同人の方でも知らないだろう。いまは、普通の長屋風の民家なので、もし訪れてもどこかはわかりずらい。とにかく。その地で、大学に行き、華光の活動をおこない、さらには、会館建設という夢をもちながら、父と母、そして祖母たちが汗水をたらしていたのだ。そして、会館の近くのたばこ屋(いまはなくなった)に、アイスキャンディーを、母が、小さな体で大きな荷物を背負って卸にきている姿が、向かい風呂屋(これもなくなった)兼散髪屋のオーナーの目に留まった。毎日、毎日、男物の大きな自転車にまたがり、身を粉にして働く、20歳の母の姿を、不思議に思われて、声をかけられたのだという。主人の名は、北口光三氏。

 その後、会館横にあった、北口ご夫婦の銭湯の2階の大広間での法座がもたれるようになった。父はもちろん、西光先生、吾勝先生、T師などが講師を勤めれていた。そして、とんとんと話が進んで、華光会館が建設されるのは、それからたった2年ほど後のことである。その華光会館の建設予定地は、北口氏が借りられていたもので、その借地権を譲ってくだされた。今のような、資金も、ろくな組織もない時代のことである。事業家の北口氏と、情熱に燃える青年僧侶たちの熱い思いが、無謀な計画を実現させたのだ。しかし、その後の借金返済の苦労の一部を、以前、ここでも少し触れたので、いまは述べないが、一筋縄ではいかなかったのだ。

 その後、昭和62年、全同人のご協力で、やっとその借地を買い取りことができたのだ。会館建設から30年も後のことである。さらに、それから、10年後の平成8年に、新華光会館が再建され、さらに、そこから10年経って、今日の修繕工事の運びとなった。

 境内地取得や再建の時に比べると、借金の必要もなく、募金も、10分1以下の規模とはいえ、それでも、同人の皆様には、この厳しい世情のおり、大きなご負担をおかけしている。そこには、皆様のご法にかける熱情があり、その賜物で、この念仏精舎が維持されていくのである。

 これから、2ケ月。きれいにお化粧直しされる華光会館で、ますます念仏の相続が麗しく続くことを、願って止まない。

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