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身をかけて聴く

 昨日は、丸一日ゆっくりしたが、今日は一日忙しかった。朝から子供大会の片づけ。合間に、仏青役員と仏青大会の相談。そして、明日から11日間の夏休みに入る事務のT嬢と、仕事の引き継ぎ。夜には、町内会の方と、地蔵盆と、遠足と、9月1日の防災訓練の打ち合わせと続いた。

 でも、大半は、子供大会の後片付けだった。準備に比べると、1日で終わるのだか、それでも、来年に向けての荷物の準備でもある。もう何十年も前から同じ段ボールのミカン箱。①は仏具関係、②は往生要集の掛け軸、③は携帯するための仏壇のワク、④は仏旗と内敷。⑤キャンドル用品、⑥は水泳用品、⑦追ハイとキャンプファイヤー用品、⑧ゲーム用品、⑨衛生用品となる。そこに、事務用品や、教案や絵本などなどが続く。準備は万全でも、帰路はグチャグチャになって帰ってくる。それを、荷造り点検表に照らし合わせていく。水泳で使ったビニールシートや大型ボートなどを洗い、薬品も調べる。不足しているもの、来年用意するものを書き出して、準備完了。労を惜しまず、丁寧にするくことで、来年の大会への布石となるのだ。これで、あとは、会計と、写真の送付と、法話テープとビデオの編集、それに感想文「はちす」の作成となった。これらは、9月ごろをメドにしている。

 仕事の合間に、ご示談の申込み電話。子供大会前も、間も、何度もお電話くださったようだ。かなり焦っておられる。さらに、子供大会参加の19歳の男の子も、話を聞きにわざわさ来館した。まったく世代が違う二人だが、どこかよく似ておられる。いくら気持ちだけ焦って、盛り上がってもダメだ。後生をとり詰めることはまったく別だとお伝えして、13日の京都支部法座をお勧めした。結果を求めて焦るだけなら、コースを走らないで、近道して参加賞のテントをめざしているようなもの。「ご聴聞」と言っても、ぼくたちのそれは、いつも自分が中心である。自分の気持ちが大事、気持ちの変化が大事。仏さまのご苦労やお働きなどは眼中にない。有り難くなるか、ハッキリするか、スッキリするか、楽になるのか。要は、いかに自分の心が変わるかの連続なのである。

 そんな我が身のありのままに気付き、同時に、そこにかけられた仏さまのご苦労をを聴かせてもらう。仏さまのご苦労といっても、遠いところにあるのではない。今回の子供大会でもそうだ。1回の法話のために、何時間もかけて考え、検討し、リハーサルをしていく。本番は、たった15分で終わる。ほくたちは、その結果のところでしか「善かった」「悪かった」と評価していない。子供大会は、ぼく一人を聞かすために、さまざまな工夫がされ、何日もかけて計画し、準備されていく。その目に見えないところに、仏さまのご苦労がある。そのとこを、このわが身をかけて、聴かせていただく大会なのだ。そう、仏さまの元手がかかっている。頭や理屈ではなく、そのほんの100兆分の1にも満たないが、「しんどい」と愚痴り、身体を休ませ、楽することしか考えない凡夫(ほんとうに、惜身惜命、愛妻愛子とはよくいわれたなー)が、惜しい惜しい、身体をほんの少しだけ使って聴かせてもらうのだ。

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