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仏の子供大会の小さな思い出

 今年も、無事、「華光仏の子供大会」が終わった。猛暑といっていい天候だったが、おかげさまでたいした病人も出なかった。3泊4日、いろいろなことがあった。

 午後7時。今津町の箱館山から帰宅した。夕食を食べながら、楽しかった出来事、不快だった出来事、子どもの成長、先生方の成長などなど、次々と家内に話していた。濃厚だった4日間の出来事を、喜々として話す姿は、子どものころも、先生になっても、変わっていない。この大会は、いまのぼくを育ててくれた、原点の集まりなのである。

 子供大会も、数を重ねて55回目。初期は、1年に「春の大会」と「夏の大会」、大人中心の大会と、こども中心と、年に2回大会が開かれていた年もあったので、年数は今年で47年目になる。初期は、米持参で、5泊6日。途中で、自宅に手紙を書く時間まであったようだ。

 ぼくの最初の記憶は、粟田の光明寺であった「大会」。そのころは、どんな集まりでも、冒頭は、全体で輪になって自己紹介があった。まだ幼かったぼくには、これが恥ずかしくて苦手だった。でもこの年は、幼稚園にも行き出して(なぜか年長から1年間だけの幼稚園生活は、馴染めずに泣いてばかりの弱虫だった)、ハリキッていたのだ。母の横に座って、自分の名前だけは自分で言うと宣言していた。ドキドキしながら、順番が回ってくるのを待っていた。たぶん、かなり終わりの方だったのだろう。もうプレッシャーで、小さな胸ははち切れそうになっていた。さあ、いよいよぼくの番。みんなの視線が集まった。次の記憶は、廊下で大泣きをしながら、母にズボンをゆるめてもらって深呼吸している姿である。そして、「ウゥン、ぼ、ぼ、ぼく、じ、じ、じこしょうかできる」と泣きじゃくっている。あとの記憶はまったくない。

 翌年から正式に班活動に参加した。小学校1年生。華光会館が会場で、M先生の奥さまになられたKさんが高校生で班長。班会議は、道場の隅っこだった。そして、道場でみんなと寝るのが、うれしくて、たまらなかったこと。小さな風船をめぐって、江原(日高)の男の子に、頭を思いっきりブタレたことを、なぜか鮮やかに覚えている。書きながら、ほかの記憶も蘇ってきたなー。なぜか、バスにのって、「大文字の送り火」を見に行った。ということは、その年は、8月16日に開かれていることになる。S子、K子ちゃん姉妹のお父さんに、西本願寺の庭や書院を案内してもらったのは、翌年のことだろうかなー。そんな年もあった。

 最初の自己紹介の時、「今年で何回目です」と、誰かがいい出した。それを聞きながら、ぼくは何回目なんだろうかと考えていたら、思わず昔話になった。

 39回連続、39回目の子供大会。プログラムは、あまり変わっていない。でも、毎年、同じことを繰り返しながら、なぜかマンネリにはならない。生きた人間相手だからなんだろ。顔ぶれがかわると、また一からはじまる。班員、副班長、そして中学になって班長を経験し、何人かが、高校生でお手伝いにまわり、大学生で先生を経験し、そして、法話や分級担当する先生になっていく。その長い成長のプロセスが醍醐味だ。気がつくと、ぼく自身も、そのプロセスと共に成長させてもらってきた。毎年、いただくものは違う。

 小さな思い出から、大きなものをいただいたものだ。

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コメント

お疲れ様でした。
「毎年、同じことを繰り返しながら、なぜかマンネリにはならない。生きた人間相手だからなんだろ・・・」この言葉に惹かれます。いつの時にも変わらない智慧の心ですね。時代に応じて変わる色、時としてそれだけを評価してしまうことがある。しかし、47年間55回続いているこの大会は、かりもんさんの39回連続参加のお味わいからも、また出発数日前からのブログからも伺える。測り無く大きな仏さまの働きがある。変わりゆく時代色の中に、変わらぬ真実を知らせていただく。もったないことですが、生きていればこそですね。南無阿弥陀仏。先のことは分かりませんが、来年は娘が、参加有資格者。今のところ本人も楽しみにしています。

投稿: 稜季の父ちゃん | 2006年8月 9日 (水) 15:25

 ありがとうごさいます。お世話くださっていたころが懐かしいですね。そのころの子どもさんが、いまはお母さんやお父さんになって、2代目で参加されるケースが多いです。いまは、参加者がすくないですが、これから2~3年の間で、うちの子供も含めて参加者が増えることでしょう。
 今年お手伝いしてくださった先生方も、みんな子供のときからのライバルであり、大親友同士なんですね。またそのような充実期がやってくる予感あり。
 楽しみだなo(^-^)o。
 「父ちゃん」も、次回は保護者として参加されるのかな?

投稿: かりもん | 2006年8月 9日 (水) 22:02

4日間ありがとうございました。
色々、ご迷惑もおかけしました(猛省)

私は大人になってからの参加です。参加するたびに「子どもからこんな素晴らしいお座に参加できる子ども達は幸せだ」という思いになりますね。子ども大会で育って、先生になっている人たちを見ると余計にそう思います。お育てってすごいんだと。

後二年すれば、上の娘が高校生で参加…たぶんそのときが私の引き際なんだろうなと思ってます。

まだ二人、息子が参加することになりますが、そこは先生方にお任せすることにしましょう。

「稜季の父ちゃん」さん、ぜひ保護者で参加してくださいね。

投稿: MANU. | 2006年8月10日 (木) 09:12

ブログ読んでて、胸が熱くなりました。
でも、上手く言葉にならないので、
なんと書いたらいいのかわかりませんが、
今年も4日間ありがとうございました。

来年から熊本で就職しますが、
3年くらいは、子供大会に帰って来れないんじゃないかと、思っております。

私も早く、子供、孫を連れて参加したいです。

投稿: きょうこ | 2006年8月11日 (金) 00:49

きょうこちゃん、ありがとう。
若い人からのコメント初めてで、うれしいです。
よく頑張りましたね。うまくいかなかったことも含めて、四年間の総決算です。それを身体を使って「教」えてもらった「子」供大会ではないでしょうか。

投稿: かりもん | 2006年8月11日 (金) 17:22

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