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2006年8月の34件の記事

『狩人と犬、最後の旅』+2

 今日で、8月も終わり。京都は、まだまだ残暑厳しい。予報では、日中は34度になるようだ。それでも、朝晩はずいぶんしのぎやすくなった。見上げた夕方の空は、もう秋、雲が美しかった。
 さて、今週は、久しぶりに映画の予定なし。華光誌に専念。今日も、かなり頑張って、誌上法話は、一応完成させて、悟朗先生の元へ。体験記や随想に入って、まずは割り付けなど、これで、38頁分のメドは立った。手直しは、明日以降へ。で、これまでに登場した以外の、8月に観た映画を書けるだけ。

 『狩人と犬、最後の旅』(The Last Trapper)は、ノーマン・ウィンターという、実在 する壮大なるロッキー山脈に生きる、「最後の狩人」(The Last Trapper)の物語。とにかく大自然の描写が壮大で、美しい。幻想的な光景は、同時に想像を絶する自然の過酷さも伝たわる。そんな中で、自然や動物を観察し、必要なものを狩り、生態系のバランスを図る役割を担ってきたのだ。一方で、ここにも環境破壊の影響が押し寄せている。森林伐採などによって、獣道は破壊され、大自然なかで共存が難しくなている。今年限りの引退を考えていた男が、一匹の「ダメ犬」との出会いと、犬と信頼を気づく過程で、何かが変わっていく様子を描いている。
 ぼくには、本人が本人役で登場するのに、ドキュメンタリーではなく、(回りは役者?)不可思議な、不自然な視線が、気になった。まあ、理屈ではなく「よくぞ撮ったな」という映像を見るのなら、断然、大画面で。それを楽しみのも悪くはない。それにしても、『ディープ・ブルー』『皇帝ペンギン』『グレート・ビキニング』などなど、この手の映画大流行り。ぼくには食傷ぎみ。それでも乗せられて観に行くのも、なにかの性だね。

 『東京ゴットファザー』は、珍しくアニメ。悪くなったなー。

 『リアリズムの宿』は、オフ・ビートの魅力。クスッとおかしかった。山下敦弘監督が、つげ義春の漫画を大胆にアレンジして描きあげた作品。ちょっとだけ顔見知りの、駆け出しの脚本家と映画監督が、ド田舎の駅に降り立っのだけれど、ここでトラブル発生。二人の仲介役の友人がこない。こうして、奇妙な男二人の旅が始まり、そこへ、真冬の海で泳いでいた少女か加わり、ふらふらと彷徨うように、鄙びた温泉街での旅がつづく。ドラマティックなことは起こらないけれど、クスクスおかしいです。

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自力の執心の悪臭 

 さて、今夜は、伝道研究会。先の高山法座、東京法座、そして真宗法座の集いin広島などの振り返りで盛り上がる。中でも、三つの心(黒い心、白い心、暗い心)のうち、「暗い心」の扱いで、気づくことあり。これは広島でも、話題になっていたテーマだ。

 信の一念の端的に暗い心は、キッパリ晴れる。本願に対して、「露・塵ほどの疑い」はなくなるのだ。ただ、「キッパリ晴れた。私は救われた」と、断言することで、逆に、一念の体験に止まる(いわゆる「握る」)恐れもあるのだ。親鸞聖人、自らが体験されたように、実際の「自力の執心」の恐ろしいのだ。

 では、疑いはなくならないのかと問われれば、ハッキリと疑いは晴れる。自力・他力の水際は、火をみるより明らかなのである。そこに真宗の真骨頂があるのだ。しかし、「捨てろ」といわれても、「捨て場所」(死に場所)がないと、捨てるわけにもいかない。阿弥陀様は、暗い心の、捨て場所までもご用意してくださている。昿劫以来、一度も死ななかった暗い心の断末魔。疑いが晴れ、代わりに出てくる念仏の声なのである。昿劫以来の粗大ゴミは、ハッキリなくなった。しかしながら、その臭い臭い悪臭だけは、染みついて、しばらく残る場合もあるのではないだろうか。その場合、残っているのはゴミ(これは露・塵も役に立たない。捨てもの)か、それても悪臭の残り香か。ここは知識同行に近づき、誤魔化さずに、しっかり聞き分ける必要がある。

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先達の陰徳

 広島での「真宗法座の集い」の決算書が出来た。今回は、参加者を12名に絞り(直前にキャンセルがあって、参加は11名だった)、世話人という形で、京都から2名が参加した。2名分の交通費並びに宿泊代などを考慮した結果、1泊2日の参加費(宿泊代や部屋代は別途実費)だけで、1万円と設定した。華光の行事の中でもいちばんの高値に、ちょっと迷いもある。一方で、もっと参加費をいただくだけの自信のある内容でもある。それでも、世話人には謝礼を出さない(すべて華光会の会計へ)こともあって、おかげで、いつもいただく支部法座のご法礼より多めの収益が出た。

 それにしても、いつもながらの明朗会計(1万円×11名の参加費と、交通費・宿泊代の支出では誤魔化しようもないが)で、まあ、我ながら、正直で、良心的な会かと、わが身に染みついた貧乏症の性格も加わって、かなりあきれ気味に思う時もある。

 しかし、この長年に渡って培われてきた誠実さこそが、華光の財産の一つではないか。いくら、有り難い、魅力的な言葉を並べても、胡散臭そうな集まりは、結局、人が消費され、去っていく。お金の出入りが不透明なのである。

 そんな華光の実態を知って、逆に、喜捨をしてくださる方のおかげが重なり、この度の修繕補修工事もスムーズに出来、事務の担当者も常駐してもらえることになった。この貧乏症もまた、いわば先達からの陰徳のおかげなのだ。

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「戦争で死ぬ、ということ」

S1026  東京の行き帰り、ノンフィクション・ライターの島本慈子の「戦争で死ぬ、ということ」(岩波新書)を読んだ。

  湾岸戦争が始めた時、「ハイテク戦争」と呼ばれた。テレビ・ゲームような画面を繰り返し見せられ、「かなりの高精度のピン・ポイントで、重要施設のみを空爆している」との情報が流れた。それが誤魔化してあり、情報操作以外なにものでもないことは、徐々に明らかになってくるが、最初は、「たいへんなことが起こっている」と感じながら、一方で、なにか遠い、漠としたイメージしか生まれなかったのも事実だ。ほんとうに知らねばならないのは、その下で起こっている大惨事に、目を逸らさずに、具体的に凝視すること。その空爆の下で、残酷にも生身のいのちを奪われ、傷つられ、人と人が引き裂きされていく。無数の民のこころを、恨みと憎しみと、悲しみに多い尽くしてる実態である。

  この世には、さまざまな死がある。通り魔的なまったく不条理な死もある。しかし、戦争で死ぬということは、まったく意味が異なるという。そこには、悲しみだけでなく、憎悪と復讐心の果てることのない連鎖があるからだ。その「大量殺人」の実態と、それが必然的に生み出す怒り・反発・憎悪・復讐心・悲しみといった「人間の感情」を、しっかり見据えること。過去の事実のなかにこそ、未来を開く鍵があると、本書は結ばれている。

 戦争体験者が、自らの体験をもとに戦争の悲惨さを訴えるものではないのに、その惨状の記述には、思わず目を覆いたくなる。「戦後生まれである著者が、自分の感性だけを羅針盤に、客観的な文献と証言の海を泳ぎ、若い読者にも通じる言葉で「戦争の本質(エキス)」を提示しよう」との試みだそうだ。ぜひ、若い世代にもお勧めしたい。
 
 第一章 大阪大空襲――戦争の実体からの出発   
  第二章 伏龍特攻隊――少年たちの消耗大作戦   
  第三章 戦時のメディア――憎しみの増幅マシーン   
  第四章 フィリピンの土――非情の記憶が伝えるもの   
  第五章 殺人テクノロジー――レースの果てとしてのヒロシマ   
  第六章 おんなと愛国――死のリアリズムが隠されるとき   
  第七章 戦争と労働――生きる権利の見えない衝突   
  第八章 九月のいのち――同時多発テロ、悲しみから明日へ   

 ぼくには、戦時下にすでに原爆開発競争の報道があったことや、七章の、社会が複雑になればなるほど、その実態がますます巧妙で、見えづらくなるり、知らず知らずに戦争に加担し、加害者になる実態もある点など、考えさせられること多々あり。

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聞法旅行〆切と、修繕工事打合わせ。

 で、今日は、東京支部法座の余韻もどこへやらで、充実の仕事の一日。

 午前中は、今月最後の自力整体のレッスン。臍下丹田の位置を確認できたのが、収穫。お昼も、そこそこに帰宅して、同朋観光と「聞法旅行」の打ち合わせ。珍しく、定員をオーバーして、いま現在で48名(+-1~2ですが)もある。大盛況だ。始めての参加者も多い。正シート45名から、49名のバスに変更して、ホテルの部屋割りも確定した。集合時間の場所も確認できたので、参加者への案内状を作成して、早急に送付しないといけない。明日中に、作業に取りかかろう。

 夕方からは、修繕工事の打ち合わせ。広島から、設計者のM木さんにもご足労いただき、運営委員長も交えて、業者との打ち合わせ。外壁の色の最終決定は、後日になったが、同系色でも、少し明るめがいいかもしれない。内部の修繕工事は、2階を中心に。2階女子便所の2つを和式から、手すりつきの洋式ウォシュレットにすることにした。(洋式3、和式1になる)。そして、炊事場も、業務用の流しを特注し、蛇口1→3に変更するなどの相談。問題は、シンクの特注品の納期で、流しの部分が、華光大会(11月3日~5日)に間に合うかどうかが微妙な点だ。まあ、できれば、華光大会でお披露目したい。1軒残っていた、隣家へのご挨拶も、今夜は何度も大声で呼び出して、ご理解いただいた。あとは、9月1日の作業の日を待つだけとおもったけど、忘れていた。プチ問題発生。ヤバイーや。9月1日は、作業開始と、ほぼ同時刻に「防災の日」の大々的な訓練。仮設トイレの設営やら、バケツリレーがある。「町内会」ののぼりをもって、引率する約束だった。これは、家内にお願いしないといかんかな。まあ、工事は最初の顔合せだけなんだけど。

 合間に、華光誌の誌上法話の手直し。いつもの分量になってきたぞ。小見出しなして11頁強。あとは、小見出しをいれ、本格的に手直ししていかないとなー。これも明日以降の仕事。どうもヤバイぞ。でも、プログ書く余裕ありだしなー。充実の1日というところかな。

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ご同輩、ボチボチ行きましょうや。

 さきほどのことである。突然、ある人から電話。6ケ月前から依頼し、最近、確認したはずの原稿の依頼を、「無理だ」と断わってこられた。あまりにも、突然だったので、すこしご事情をお尋ねした。笑っちゃうほど、それはまるまる、ぼくの「8月16日パート2」状態。オオー、ご同輩! そこにもおられましたか。微小国とはいえ、皇太子殿はたいへんですなと、お気持ちをお聞きした。突然、きれて、爆発する! けっこう、ひとりでいろいろと抱えていらっしゃる。たまっていても、真面目で発散されることもない。危険ですぞー。なにより、妃殿下にご理解いただけないご様子。聴き方なんて、無視して、「いえ、わかる、わかる」。「同じ、同じ」と笑うしかない。まあ、結局は、犬も喰わんというやつでしょうが、結婚も、2桁の年数になると、どこのご家庭も激しくぶつかり合うようですなー。もっとも、これをエンエンと続けて、諦めがあり、感謝へと移行するとの説もありますが、まあ、いまがしんどいですなー。途中で、笑いながらも、ぼくの悩みを伝えることに選手交代。おかげで、先方も、どうにか落ちついてこられた。予定通り、原稿も書いてくださることになったぞ。「ブログも覗いてね」と伝えておいたので、この程度でやめておきますが、まあ、こんどは、酒でも飲みながら、語り合いたいですね。

 

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おつかれさまでした。

 10時半ごろ東京法座より、帰宅。別便だったT山さんは、一足早く、ちょうど高山支部の法座に行っていた父と京都駅で一緒だったらしい。今日は、片づけをすませて、風呂に入って寝ます。感想は、また後日ぼちぼちと書きたいですね。とにかく、ありがとうございました。

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東京法座の教案

 華光誌の作業が(たぶん、4日程度)遅れているので、ここ2日は、誌上法話をまとめる作業中。自分のものならともかく、他人のものは、創作するわけにはいかないので、テープを起こしたものを短くしたり、要約したり、まとめたりしている。特に、G先生のご法話は、あっちこっちに話が飛んで長くなるので、なかなか骨が折れる。だいたい、13頁になったので、あと1,2頁縮めるところまでこぎつけた。

 明日は、東京支部法座。工事の挨拶回りの合間に、教案作り。気分転換にカフェで資料眺めたりした。1席は、誌上法話(連続無窮のお救い)を輪読と決めている。あと2席も、材料は豊富になる。それが逆にアダになって、どれを選ぶかで迷っている。二種法身の話もあるが、ちょっと難しい。修行の五段階の話は、メーンになるので十月に回そうか。まだやっていない歎異抄は、四章と、九章。気分は、九章だけど、すこし調べ直すと、もう少しよくなる思いがするので、これはパスかな。あとは、「難信の法」「現世利益」和讃の輪読、「大樹芯譬経」の話、「孤独について」と「あなたは誰ですか」のワーク……。簡単なものなら「仏法の底」もある。助っ人て、T山さん参加されるので、分級座談を中心にするのも悪くない。話がないというのも、それはそれで困るけど、絞れないのも、また困りもの。

 三席ある時は、メーンの教義的ものが、一つと、あと二つはそこから派生するか、短めのものと考えているが、いつも多く材料をもっていきすぎて、密度が濃くなって、一部しか伝わらないことが多い。そうならないようにと思いつつも、強迫観念的に用意してしまうのが悪い癖。

 東京支部の皆さん、どうしましょうかね? 

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『プールトで朝食を』

 プルートで朝食を(Breakfast on Pluto)て、なんておしゃれなタイトルだろう

 Pluto            タイトル同様、内容もなかなか個性的。さすが、ニール・ジョーダン監督(脚本も)。この人には、「クライング・ケーム」という傑作がある。観たのは、12、3年前のことだけれど、アイルランドでのIRAの活動が活発が背景にあって、また、ゲイ(おかま)がカギを握るなど、よく似たモチーチが使われることが多いようだ。

 いわくつきで、教会の前に捨てられた男の子が、美しき「女性」として成長し、変化の激しいアイルランド・イギリスの社会状勢のなかで、母親探しをする物語だ。暴力が渦巻く世の中に、ユーモアと暖かさが伝わってくる。それに、彼女のファションやディテールもオシャレだし、なによりも70年代の音楽に、キュンとなる。ほんとうは、激しい展開なのだけれど、そこを押さないで、彼女(彼?)同様に細やかな視点で進む。

 ネタばれ承知で書くので、観る予定の人は、読まないでね。

 彼女の勤める「のぞき部屋」で、父親を認めた神父とのマジックミラー越しの対話。その前にあった、教会での告解室でのシーンの逆バージョン。まさに、現代の懺悔室で、牧師が(ファーザー)が、ほんとうの「ファーザー」になるシーンから、「母親を探して行って、父親に出会った」とのセリフで、ふたりが朝食をとるシーンには、プチジーンとなった。

 実際のプルート=冥王星は、太陽系の惑星から格下げの憂き目にあう瀬戸際だけれど、どうなるのでしょうか? せっかく、野尻抱影氏による、言い得て妙の和名なのにね。(これでも、ぼく高校時代に、地学部の天文班に所属しておりました)

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「学び」~あたらしい教科書0~

 大学生になってアルバイトを考えたら、父に強く叱られたことがある。「華光の仕事がある」と。結局、その後、ほんの少し大学などで講師をした以外は、社会で働く機会を失った。いま考えると、父にも立場や考えがあったことだが、経験という意味では、不幸な出来事だったのかもしれない。しかも、学生時代、特に大学院に入ってからは、勉強と華光の仕事の両立がたいへんだった。無理だと思って、博士課程への進学は断念した。数年後、西光先生の強いお勧めもあって、博士課程に進んだが、ほとんど研究らしい研究をしなかった。小学校から本が好きで、大学時代も文庫本をよく読んでいたが、このころの10年ほどが、いちばん本を読まなかった。また遊ぶころに羽目を外すこもとなかった。まだ父も若かったが、ぼくも未熟だったし、事務員もいなくて、とにかく事務仕事に追われていた。その上、すこぶる給料も安かった。結婚する前の30歳ぐらいまでは、学校に籍を置き、布教と事務仕事をこなしながら、毎月8万円の給料。もちろん扶養家族だったので、生活が成り立っていた。
 それが、40歳を前に、学習意欲が蘇ってきた。ここ5年前は、毎年、右肩で読書量も増えている。地方法座への新幹線の車中が、格好の勉強場所となる。専門的な本は読まないが、携帯しやすい、新書や選書サイズのものが圧倒的に多い。
 長い前置きだった。
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「学び」~あたらしい教科書0~(あたらしい教科書編集部)は、装丁がかわいい。シリーズの総合案内的な本だ。数学や哲学の学問から、小説や映画の教養、また園芸などの実用趣味まで、多種多様の分野からの専門家の声に、光るものがある。「知識の島が大きくなるほど、不可思議の海岸線が長くなる」という米国の牧師の言葉があるが、たしかに経験を積めば積むほど、蓄積されるものも増えるが、同時に知らないことが増えるのも事実である。自分の小さな無知を知らされるが、ますます学ぶ意欲が出てくる。楽しみながら、学ぶ。ぼくも、そんな年齢になってたきようだ。

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追伸:徐々に、徐々にだけど

●●●●● そんな、こんなの合間を縫って、今日も、短いが、濃~い夫婦の話し合いあり。嫌なことをため込まずに、少し冷静に伝え、聞き合うようにはなってきた。身近な、わかっていると思っている関係ほど、感情的になるし、わかってもらえるという甘えもあるし、身近すぎてコミニケーションの努力も怠ってしまうね。ほんとうは、みんないつまでも他人なんだからね(ひとり、ひとり別という意味で)、身近な関係ほど、時間を使い、伝えて、聞かないと、なーんにも分からんわけですわ。でも、これが難しく、同時に最大の悩みのタネなのだから、厄介な生き物ですね。 ●●●●●●

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寝違いにもめげず

 久しぶりに寝違えて、右の首が動きづらい。昔から、右の肩甲骨から肩、首が固く痛くなるのが恒例だった。あとは、疲れてきたら、寝ていて足が強烈につる(こむらがえり)ことも、しばしば。ところが、自力整体をはじめてから、めっきり影をひそめていたので、なにか久しぶり。いろいろと、疲れているのかね。でも、めげずに今日も自力(信心ではないですぞ。整体レッスンです)に励んできた。

 で、今日は、華光会館の外壁工事の発注、計画。この華光会館を建設を請け負った、日本国土開発の担当者と、契約書を交わした。そのあと、二人で、近隣の挨拶に回った。華光会館の私有地を、近隣者の便宜のために通行してもらっていた。しかし、今回は、狭い場所に、足場を組んでの作業である。子供の安全や、防犯の意味でも、2ケ月の間、通行止めにする。そのために、華光の東側の路地16軒に挨拶。もちろん、再建の時もあったけれど、あの時は6ケ月。しかも、完成後に使用できないのではという不安と、会館前に駐車(もちろん駐禁ね)してたい人から、かなりクレームがついた。防火(袋小路になる)対策が、名目上の理由だった。その点、今回は、2ケ月間。表の油の小路も4車線に拡張されたので、あまり問題がなさそうだ。しかも、今は、町内のお世話をしていて、先日の地蔵盆でも顔を合せた方が大半で、一緒にやっている役員さんも多いので、その点は若干、気も楽だ。でも、やっぱり、クレームをつけるお家もあった。やはり、防火対策を口実で、通行できるように求めれた。でも、安全対策の上で、これは譲れない。増えている子供の事故の可能性のほうが高いし、足場を利用した防犯上の問題もある。丁重にお話をして、なんとか理解していただいたか。それにしても、反応はさまざまあって、たいへんでもある種面白かった。留守のお宅も多く、夜も挨拶回り。ついでに、9月1日の防災の日の回覧、レクリーションの相談などで、回った。難しいお宅2軒が、昼も夜も留守。これは明日。あと、ぼくが以前、クレームをつけた隣の工場の本社にも挨拶が残った。

 夕方には、MAUN.さんのまたまたご尽力で、ぼくの書斎兼仕事場兼寝室の3畳の部屋に、パソコンが入った。コンセントを求めて、綿埃だらけになったが、とにかくかっこいいゾ。ありがとう。近い将来は、以前のようにここて華光誌の版下を作りたい。ここかもら、メールもてきるようになった。さっそくアクセスしたが、残念ながら、親指シフトというワープロの特殊なキーボードでの入力は不発。今夜は、いつものように事務所から。善太郎さん、お軽さん、庄松さんなどのことを、自身が後生の夜明けをささたことうきっかけに調べているという方から、とてもとても(かれらの言動の伝承について)詳しいメールが届いた。その熱意に脱帽。ぼくの知る範囲では、源左さんや、三戸独笑師の話も、彼らの言動として混じっていたので、その点をお伝えした。いろいろと有り難い方がおられるのだなー。

 

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いよいよ修繕工事と、華光誌作業なれど、まだまだ序の口の巻

いよいよ、華光会館の修繕作業開始が迫る。今日、連絡があって、明日の午後に、施工会社との契約。さらに、工事担当者と、工事期間の2ケ月、会館横の私道を通行止めにするので、近隣への挨拶に行くことが決まった。さらに、来週、28日には、広島から設計士のM先生にご足労願って、最終の詰めの相談も決定。それで、今日は、改めて、工事箇所の詰めをおこなって、外壁や防水関係の外に、要望が多かった2F炊事場の改築、2F女子トイレの洋式工事など、どこを工事するのかの最終確認をおこなった。

 今日から、華光誌もいよいよ本格的に作業開始。昨年よりも4日遅れのスタート。原稿がタップリあるけれど、まずは、誌上法話から。Kさんにお願いして、悟朗先生のテープを起こしてもらった分を、まずは、あらかた三分の一程度、削る作業から開始。ほんとうに最初の段階。誌上法話に小見出しを付け、11頁にあさめるまでには、実質5日は必要なので、これは東京法座までは無理からもしれない。でも、今回は、あんまりノンビリ作業してはいられなんぞー。

 広島真宗法座の感想は、また明日以降に。車中で読んだ本のこと、先週観た映画のことなどなどと、書きたいことは山積みなれど、ちょっとこちらは、ゆっくりとしたペースで。

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地蔵盆~もうクタクタだな~

 京都の各町内では、地蔵盆という町内ごとの子供のお祭がある。昔は、2日間あった。いまの子供も忙しい。普通の公立小学校に通う、小1のわが子も、明日から学校が始まる。一応、1週間は、自主的という建前で、8月31日まで夏休みというのは、今や昔の話である。

 そんなこんなで子供も忙しく、お地蔵さんも、1日だけになった。それでも会長の仕事はたいへんだ。夫婦共々疲れました。準備も含めて、朝8時~夜8時まで。おやつも2度、ジュースに、アイスに、スイカに、福引に、商品ゲームに、スーパボールに、ヨーヨーと、子供には、楽しい行事が目白押し。そこにもってきて、今年の会長は一味違う。率先して、ゲーム大会を挙行。「もしもしかめよ」に「探偵ゲーム」「オブレネり」、、、と、まあ次々と子供を接待して、昼すぎにには、もうクタクタ。日頃は、アトピーで甘いもの、添加物のおやつを制限されているわが子も、パラダイス。夜、体調不調になるまで食べまくった。

 途中、新選組で有名な壬生寺から、お坊さんの参り。「坊主が、坊主を上手に」接待したわけだが、若いお坊さんの耳慣れないお勤めをお尋ねすると、「梵網経」というお経。たしか「父母恩重経」とならんで、中国で成立したお経だと思うけれど、まあこれはこれで、珍しい体験。

 あとは、お世話になったお宅の挨拶まわりを済ませ、音頭をとって、町内の人々と、「虎」で打ち上げ。ああ、世間の人ねとい感じがいいわ。それはそれで面白かったけれど、とにかくクタクタ。広島、真宗法座の余韻も、一気に吹っ飛ぶ、1日。でも、ひとつおわって、一安心。

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広島から帰って来ました。

 「広島、真宗法座の集い」から帰って来ました。

 家に帰るまえに、京都駅について、八条口を下がったところにある、カフェに、グレーのハンティグ帽を忘れていたので、「コーダル・オン」というお店で、夕食を食べて帰りました。トロアジのフライに、茗荷湯葉の付け出し、オクラの酢の物などを、玄米と一緒に。今夜のビールはとてもおいしかった!

 さて、急のキヤンセルや、1日だけの参加者もありましたが、広島同人を中心に13名、2日間の法座を過ごしました。アッというまにおわりました。ほんとうに、ウソのようです。帰りには、ひとりひとりが、とても、いとおしく、尊く感じられてきたのに、もうお別れでした。それぞれの業を抱えて、それぞれの家に帰って行かれました。こうして、人生を終えていくのでしょうね。では、最後に、帰っていく、みなさんの「家」はどこにありますか?

  疲れたので、今夜はここまて。あすは、町内のお地蔵さんがあって、早朝から準備。おかしや果物、お花に、お供えと、テンヤワンヤで準備はしましたが、さてさて、この世のつきあいもたいへんですわ

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これからです

 宿泊法座の前は、いつもワクワク、ドキドキ、ちょっと不安もあれば、興奮もするし、億劫な気分にもなる。おかげで、寝つけなかったり、早めに目がさめることもある。これから、新幹線。西に向かっていくが、台風は大丈夫かな。

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エルヴィス・オン・ステージ

Elvis  昨夜は、いろいろとあったので、調子が出ない。で、気分転換を兼ねて、京都みなみ会館へ。開始5分前に家を出てもOkなので、大助かり。昨日バスした「エルヴィス・オン・ステージ」(Elvis:that's the way it is-special edition)。いや、初めてだけど、堪能。今年観た映画で、「ウォーク・ザ・ライン」という、アカデミー賞の最優秀女優賞に輝く、感動作だったけれど、これは、ジョニー・キャシュという、カントリーの大御所を取り上げたもの。レイ・チャールズの「レイ」と、類似する部分も多かったけれど、そこではじめて、ジョニー・キャッシを知った。映画に合せて、CDが発売されたものだから、いま、いちばんはまっている。なぜ、ここに書いたかというと、若き日のエルヴィスも登場して、キャシュと同じツアーに出たりしていたので、ちょっと横道●●●●

 とにかく、かっこいい。ラスベガスでの70年のステージ。ビートルズだろうが、S&Gだろうが、なにをカバーしても、プレスリーそのもの。ちゃめけたっぷりの素顔と、甘い歌声、大声援とともに、熱狂し、失神しまくるファン。ステージをおりて、女性にKIssしまくるけれど、もうたいへんな騒ぎ。この大絶叫がすごく盛り上げる。主構造もちろん大切だけれど、実はそのまわりをとりまく文脈、熱狂する観客のノリやフッションなどからも、時代の空気が読み取れてくる。従構造との一体感を、感じているわけだねと、わかったような賢そうなコメント。

 でもね、ほんとは単純。スクリーンを観ながらも、ぼくのこころは、落ち込んだり、閉じかけたり、怒りがフツフツ湧いてきたりという状態だったので楽しい映画でよかった!

 ●●●●●

 おかげで、あとの仕事ははかどる。大きな会社の経理まで町内の寄付集めにいったけど、あとの地蔵盆の準備は、家内にまかせて、明日の法座の打ち合わせや準備も少し。大方は、書斎兼仕事場兼寝室の3畳の部屋の荷物整理。右のものを左に動かし、手前に入っていたものを、奥に終い込むような作業だったけれど、今の今でかかってかなりお疲れ。でも、気分まですっきりするは、不思議。

 あすは、広島です。

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今年の8月16日(パート2)

 そんなこんな時に、夕方、帰って来た家内と、さっそくぶつかる。うーん。いつものパターンだね。ささいな彼女の言動が、これまでのひっかかっていたことと共に、攻撃的に出てしまった。しかし最近、彼女も、そんなぼくを恐れないでしっかり自分のところは主張してくる。それで、いちおう相手の話すことは聴くけれど、人事ではなく、お互い自分のことなので、非常にシリアスな話し合いになってしまう。どうしても、ぼくに甘えがあって、彼女にカウンセラー的な対応を求めているようだ。

 お互い吐き出して疲れたけれど、それぞれが、自分の内にも目を向ける力もあるので、謝るとこは誤り、認められる部分は、認めるので、それなりに修復はできそうだけれど、お互いの違いもわかってきて、不安を感じる点もある。このパターンを繰り返しながら、ここ数年は、進んでいる。これでいいんじゃないかと思える面もあるけれど、相手のところではなくて、「もっと大人にならないとな」とか、「細やかすぎて、受容力というか、おおらかさがないな」とか考え込むと、ますますそれとは違う面の自分を、自分が責めだしてもする。それで、そのとき我慢したことが、いつか爆発するというパターンになってしまうようだ。

 ぼく自身が、華光の責任者にある立場で、それが年々重たくなっている。どこかで、すべてを知っておきたい、コントールしたいという思いと、どこかで「まかせねば」という理想とが、葛藤を起こして、ぼく自身がお留守になってしまう。前回は、「結局、なにがしたいの?」と、彼女に問われて、ハッと答えに窮してしまった。いつも、自分を殺して生きてきた気がするのだ。これがここ5年ほど続いている、ぼくの課題である。

 この課題に気づけたことは大きいけれど、簡単には解決しないようだ。でも、ボチボチでも、確実に学び、変化し、成長しているのも事実だと思う。一方で、どこかで、ぼくを理解し、受容している場(人)を求めるような気もする。灯台もと暗しなんだろうけれど、どこか寂しくもあるなー。

 ずいぶん、シリアスになった。

 おかげで、五山の送り火をすっかり忘れていた。あわてて屋上に上がった。台風の影響が、風が強い。会館から、鳥居、船形、左大文字3つが見える。昔は、大文字がいちばんよく見えたけれど、いまは、見えない。

 

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今年の8月16日(パート1)

 8月16日。なんの日でしょうか。もちろんお盆、京都なら、五山の送り火。で、今年、初めて知ったけれど、エルヴィス・プレスリーの命日だそうな。というわけで、まったく知らないけれど、だからこそ知りたいという気持ちもあって、「エルヴィス・オン・ステージ」という90分ほどの映画。朝いちの、みなみ会館で見ようかと考えた。でも、気づくとく、それなりに仕事が迫っている。迷ったけれど、予定を考えたすと、プチ焦りだした。それで、今日はパス。仕事に専念。もし可能なら、明日考えよう。で、どんな仕事がしたかというと、

 電話と、メールで、相談が1件ずつ。明日のご示談のお申し出は、お断りする。あさってにせまった「真宗法座の集い in広島」の準備をする。名簿やプログラムの作成、打ち合わせ連絡など。いつもの支部の宿泊法座では、3~4回程度は法話があるので、それなり準備が大変だが、その点は、今回は気楽。今回の集いは、提案があって、参加全員が、ひとつは仕事を分担してもらうことになった。集い自身の進行も、なかなか理想どうりには進まなくても、そんな方向で進めばうれしい。今回は、ぼくが目立つより、皆さんが目立つ集まりになればと思っている。

 「壮年の集い」の法話編集。MDからテープへ。(時代の流れと逆行だけど)、自分の声を聞くのは、大嫌い。しかも、このときは前半、モタモタしている。後半からは、やっとエンジンかかってきたけどね。まあ、ぼくの分はよかったけれど、父の「仏像観賞テスト」は、MD本体の故障で、前半始めが未録音と判明。残念ながら、こちらは編集できなかった。「子供大会」の法話は、明日以降の作業。そのほか、テープのタイトルやシールの作成なども少しした。そして大きな仕事は、華光誌の原稿の整理。K山さんから、誌上法話のテープおこしが送られてきたので、編集用のパソコンに移動させる作業をしたが、本格的な仕事は、月曜日から。エンジンかけてやらんとね。

 それにしても、仕事が立て込むと、どうもイライラする癖がある。急にやってくるのでこいつは厄介。ひとつは、華光誌の編集が迫ってきたこと。(予定では、20日スタート)。でも、去年はなかった広島の法座があり、その翌朝には、町内会の地蔵盆があって、結構、これが忙しい。さらに新しいパソコンを3畳ほどの勉強部屋にいれるので、月曜日には、部屋の整理も必要だ。聞法旅行の〆切も近づき、連絡の要項づくりや打ち合わせの準備も迫っている。そして、いちばんのたいへんなのは、9月から始まる、外壁の補修工事のための打ち合わせに、ご近所への挨拶まわり。子供大会の写真や決算、テープ編集もある。と、ほんとうはひとつひとつしかできないのに、急にドーンと今日から押し寄せきたという次第。

(ちょっと、ここまで。つづきは、怒濤の犬もくわない編へ。)

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「靖国問題」

 8月15日、小泉さん、やはり参拝しました。別に、驚きもしませんでしたが。

 賛美両論の「靖国問題」。書店でも、コーナーを設けて、平積されています。かなり感情的なものあり、外交の立場から、または宗教の立場からと、玉石混淆の感さえあります。

 その中で、手頃で、コンパクトにまとめられているのは、「靖国問題」高橋哲哉著(ちくま新書)

 感情の問題として、また歴史認識の問題(A級戦犯合祀の問題なども)、そして、宗教の問題(浄土真宗はじめ、既存宗教からの関係にも言及される)、さらに文化の問題などに分類して、靖国にどんな問題がはらんでいるかを、コンパクトにまとめています。これで、756円は安い。

 もう少し関心のある方は、同じ著者の「国家と犠牲」(NHKブックス)も、面白かった。
靖国を、日本の、一部の歴史の問題にせずに、普遍的な立場から、この問題を捉えています。
 無関係なようで、生きているものには「教育」で「戦争」はつながり、同時に、「戦争」と「慰霊」はつながるんですね。軍隊を保有し、常に戦争に備えている近代国家は、「祖国(戦前は、国体であり、天皇だった)のため」の尊い犠牲を顕彰する装置が必要で、そのためには、それを称賛する教育も不可欠なわけ。では、犠牲なき社会は単なる理想にすぎないのでしょうかね。ぼくたちの進むべき道は? 考えさせられます。

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表現アートセラピー

 真宗カウンセリング研究会の拡大世話人会があった。毎月の打合せ会とは別に、1年1度は、食事をしながら、自由な話し合いの場をもっている。8月15日、ちょっとお盆の最中で、日が悪かったか。6名の参加しかなかったが、おいしい御馳走も食べられて、楽しい集まりだった。

 ぼくがお世話役になって、11月23日(祝)に「パーソン・センタード・表現アート・セラピー」を開くことを決めた。今年の5月に試しに開いてみたら、大好評。ぼく自身も、30数年間、閉ざしていた自己表現のあらたな可能性に、すこし光を見いだした気がした。今回は、第一人者の小野京子先生に講師依頼をしたが、あまりにも急な無理なお願いだったので、前回と同くじ、水間みどり先生にお願いすることにした。

 「パーソン・センタード・表現アート・セラピー」は、「パーソン・センタード」と冠されるように、カール・ロジャーズさんの娘さん、ナタリーさんが提唱されたもの。まだ1度だけの体験で云々できないが、少なくても、表現の上手い・下手はもちろん、作品を権威者が評価したり、解釈したりするのではなく、安心できる自由な雰囲気の中で、既成概念や頭ではなく、いま、ここでの、自己自身のいのちの流れを感じながら、それを言葉だけでなく、音や絵や立体やさまざまなチャンネル使って、より自由に表現するものだった。

 「アート」と聞いて、尻込みする人もある。それは、だいたい学生時代の評価や学校教育の弊害からきたもの。自由な雰囲気で、自分を表現する楽しさを、共有できたら、それでいいのだ。

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『アダン』~田中一村~

 なぜ、急に田中一村のことを書いたかというと、今月、「アダン」という映画を観たからである。

 昨年、再び奄美を訪れたとき、彼が晩年を過ごした寓居(移築場所らしいが)を尋ねた。家というより、みすぼらしい小屋たった。ただ庭には、南国の木々や草花が、鋭い光を浴びて輝いていた。モダンな最新の記念美術館と比べると、まったく無名の生前と、その後世の評価が一目瞭然だった。

Ada_1  たまたまお守りをされていた男性から、ちょうど奄美で先行ロードショーの「アダン」という映画の話題が出た。「アダンという少女は想像上の設定だけど、映画はすばらしかったよ」と言われていた。それで、会員になっている映画館にリクリストを出したら(そのせいではないだろうけれど)、京都みなみ会館でも上映れることになった。

 ドキュメンタリーではないので、必ずしも伝記どおりではない。かといって、監督の解釈ばかりで、あまりに掛け離れるても、おもしろくない。それに、単なる物真似でも、何も伝わってこないから、こういう作品はなかなか難しい。榎木孝明扮する田中一村は、どこか明るい、楽天的な考えで、それでいて絵のために、妥協せず、真摯に、人間の極限に近い執念で生きるひとりの男の狂気に似た信念のようなものが、垣間見れた気もした。

 ただし、現地を訪ね、その絵に触れている分、ぼくにも、少しぼくなりのイメージができあがっていて、物足りなさを感じたのが、正直な感想。悪い映画ではなかったけれど、もう少し狂気の部分がほしかったかな。

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「日本のゴーギャン 田中一村伝」

016796580000_1   4、5年前に、初めて奄美大島に旅行したとき、開館まもない「田中一村記念美術館」を   訪れた。わが家では、夏の旅行は八重山などの南の島が恒例となっていたが、奄美は初 めて。先島に比べるとグッーと近い。ちょとした奄美ブームで、島唄や元さちと、黒糖焼酎と並んで、田中一村も孤高の画家として、脚光を浴びていたころだった

 まぶしいほどに真新しい立派な館に、その作品は展示されいていた。名前や有名作の写真程度で、なんの予備知識しもなかった。

 しかし、日本画で、これほどの衝撃を受けたのは初めてだった。いや、ジャンルなんか関係ない。綿密なタッチ同時に、生命力のようななにかが伝ってくる作品だった。

 さっそく、画集と共に、伝記も購入した。なかでも、「日本のゴーギャン 田中一村伝」はすさまじかった。一切の妥協を排し、世俗の縁も経ち、一心不乱に筆のみを握るために生きる、その執念のすさまじさに、身震いする思いがした。ほんとうに、天才と狂気が紙一重である。

 その点、ぼくのご法にかける姿勢なって、凡人そのもの。

 今日も、自分の命を惜しみ、身を惜しんで過ごしました。

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盆参り

 伏見の御香宮から、桃山御陵と乃木神社の深い緑の道を抜け、宇治川の流れに沿いながら、宇治橋を渡って宇治市内へ。そこから、迷いながらもう少し車を走らせた。今日は、宇治、伏見の方面の3軒。

 日頃慣れない勤行だ。お坊さんの声のほうが大きいのが当たり前。ところが、一軒だけ、ぼくよりも大声で勤行をしてくださるお家がある。ご法話も、どこまで伝わっているか、わからないが、「人身受け難し、仏法聴き難し」をテーマにした。ただし、若い家人にご縁ができそうで、もう一押しが難しい。

 父は、年忌法要を兼ねたM家での京都支部法座へ。帰省中の同人もある中で、なかなかの盛況だったそうだ。これも単なる飲み食いの年忌ではない。ご法を中心に、自身の聞法のために開かれる法座。

 ほんとうに華光の同人の皆さんは、有り難い。お育ての尊さである。

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『ゆれる』

Yureru_01 久しぶりに見応えのある、正攻法の日本映画だった。 

 タイトルどおり、ぼくのこころも、揺さぶられた。

 温厚で、家族にも、家業にも、また狭い田舎の風習にも、従順に生き、人望も厚い兄、香川照之。ことごとく父とぶつかり、田舎を捨て、東京で、芸術家(写真家)として華麗に生きる弟、オダギリ・ジョー。見た目もにつかわぬ二人だが、兄の性格のゆえか、唯一、心を許せる間柄だった。母の一周忌をきっかけに帰省した弟が、兄と、ふたりが愛するひとりの女性の3名で、子供のころの思い出の渓谷に出かけた、吊り橋の上で、その「事件」がおこる。

 それは、事故なのか、殺人事件なのか。単なるミステリーではない。なぜなら、ほんとうの事実かどうかは、観るうちに問題ではなくなってくる。それは、そこに関わる人々のゆれる思いが、作り出した、いくつかの異なる「事実」があるからだ。生身の人間の心の複雑さ、多様性、そして、関係の不思議さが、丁寧に描かれていた。ラストシーンの答えも、ぼくたちに委ねられていくのも、いい。

 兄弟役の二人に加えてて、滑稽なまでに、家長風をふかせて威張る父、伊武雅刀の存在もいい。彼もその虚勢の後ろに、家を捨て、東京で弁護士をする兄に対する、ゆれる複雑な思いを抱えていた。

 本作が2作目の女性監督。複雑な男の兄弟愛と深い相剋、葛藤を、脚本から手がけているそうだ。脱帽。

 余談ながら、冒頭はロードムービー風に始まり、法事の場面は、浄土真宗。勤行はなく、お説教が、それなりで、妙にうまかったのがおかしい。もちろん、ぼくだけがクスッとした。まだ上映中で、地方によっては、これからなので、機会をみて。そうそう、男じゃないけど、T子ちゃん、A子ちゃん姉妹にも、おすすめです。

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お盆参りというよりも、、。

  お盆参りといっても、ぼくの担当は1軒だけ。父は、道にまよいながら、宇治や伏見のお宅を4軒。

 華光同人のF家。同人宅のお参りは、ある種たのしい。ここは、お盆といっても、年忌法要にのように、親戚もお参りされ、お供えも用意されて、とても丁寧に心を込めておられる。みんなで「阿弥陀経」をお参りして、そのあとはご法話。子供大会のテーマにちなんで、「人間の値打ち」について。いわば、人間に生れた意義、意味みたいな話だ。ぼくなりに、このテーマを掘り下げながら、中学生もお参りしてくれていたので、動物と人間の比較などを通して、なるべくかみ砕くことにこころがけた。外見の比較、人間の特徴から内省的な方面へ。鏡が使える=自分を観ることができる。内省、反省ができる。死ぬことを悼み、自己の死ぬことを自覚できる。その意味でも、自分を知ることができるのは人間だけで、仏法を聞けるのも人間だけということが尊いなー。そのあと、座談会とまだはいかないが、すこしご法話の中身にふれながら、皆さんのお話をうかがった。お盆というより、法事法座に近いかもしれない。

 夕方には、冷気が入り込み遠雷。突然、停電になる。その瞬間、華光会館の非常灯がすべて点灯。今後の非常時のために、会館を見回ったが、廊下も各部屋も正常に作動していて、むしろ明るいぐらい。避難には十二分。これは頼もしい。10分ほどで回復したが、デジタルの電子機器のセッテングかかなり必要。またポンプでくみ上げている、水も濁りが、、。いかに電気に頼っている生活をしているかの証明だ。

 夜は、福岡のフルティーな地ビールや、粗供養にいただいたワインを飲む。おいしい役得。ごちそうさま。

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かしこぶってもさあ、本当はなーにも知らないんだよなー

 一週間経つのは早いー。というわけで、朝は、自力整体の教室へ。スッキリ。右側の凝りがよく分かります。河原町六条なので、お昼は、Te Concepcionへ。今日は、雑誌かなにか取材中だったけれど、すぐにおわって、しばらく客はひとり。で、前菜のクリームチーズと黒ごまのテリーヌがおいしかったので、お昼からグラスワインも注文。ちょっとぜいたく。ゆっくり読書しながらお茶を飲む。至福の一時。

 次の予定まで2、3時間あったので、映画「ハチクロ」(ハチミツクローバー)という手もあるけれど、中年親父の観るものじゃないかなとか、京都博物館での特別展「美のかけはし」にしようかと迷ったけれど、じっくり大型書店を覗くことにした。月に1度ぐらいは、2時間ほどかけて、書店を見て回る。これはCD屋も同じ。ネットでも購入できるし、品揃えいいかもしれないけれど、実際に本棚の前にたって、手にとるのとは、絶対に別物。

 平積みをみれば、いまの流行が分かるし、世間の関心事も分かる。「人間見た目が9割」なんかというベストセラーが生れると、「〇〇は8割」とか「〇〇女は10割」なんて類似本がたくさん並び、言葉が消費されては消えていく。専門や関心事以外の本棚の前にも立って、背表紙だけでも眺める価値あり。出版不況と言われるが、目もくらむほどの膨大な種類。さまざまな分野に、そまざまな専門家がおられ、ありとあらぬる研究がなされている。ただただ、自分の無知を知らされる。ぼくが見ているもの、知っていることなって、ほんのほんの小さな世界の出来事しかないことを痛感させられるな。

 で、今日は、サイフと相談して(といっても、図書カードだけど)5冊お買い上げ。

「戦争で死ぬ,ということ」(岩波新書)は、ちょっと読み出すとやめらず、背筋がゾッとする。

「人は話し方で9割変わる」も話題で1冊。

あとは、心理関係で、「ひとの目に映る自己」(印象管理の心理学入門)は、装丁がかわいい。

「対人関係の心理学」は、星野命先生の編集で、8年ぐらい前のもの。

あと、故玉城康四郎博士の「仏教の根底にあるもの」(講談社学術文庫)。斯界の第一人者でありながら、晩年までニューセイエンスやトランスパーソナルにも関心をもっておられた碩学の名著。

 3時半ごろもどって、あとは事務仕事。外壁工事を検討して、Goをだす。初めての方のおたよりは、妙好人に関する質問メール。東京に引っ越された同人の相談にのって、調べ物。あとは、書類をづくりに、町内会の案内状の作成。前半は、ゆったり、後半は、バタバタした1日も、いまは、静かにおわる。

 

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これも大切な仕事なんです

 暑い一日。まだ蒸し暑い、事務所で、これを綴っている。

 今日は、電話やメールの一日だった。華光会館の改修のために、皆様の篤い思いが届けられる。ご家庭の事情が許すかぎり、一言お電話でお礼を述べている。今日は、子供大会のときに届いた方数名にお電話。また、子供大会へのご喜捨もいただく。いまは、体調を崩し、ご無沙汰の方だったので、こちらも、何名かにお電話し、お声を聴かせてもらった。お盆も近く、急遽変更があって、ぼくの担当分のお盆参りが三倍になった。それが、なかなか連絡がつかず、いろいろなところに電話して、調整してもらう。増えたといっても、ぼくの担当は、三軒になっただけである。世間の坊さんからみれば、笑止千万だろうね。

 華光会館の改修工事の打ち合わせも、大詰め。見積もりや計画表のメールが届く。相談のうえ、この線で、進んでいくことになろう。明日、運営委員長に声をかけて決定しよう。

 まあ、そんなこんなで、電話やメールばかりてしていた一日だった。

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身をかけて聴く

 昨日は、丸一日ゆっくりしたが、今日は一日忙しかった。朝から子供大会の片づけ。合間に、仏青役員と仏青大会の相談。そして、明日から11日間の夏休みに入る事務のT嬢と、仕事の引き継ぎ。夜には、町内会の方と、地蔵盆と、遠足と、9月1日の防災訓練の打ち合わせと続いた。

 でも、大半は、子供大会の後片付けだった。準備に比べると、1日で終わるのだか、それでも、来年に向けての荷物の準備でもある。もう何十年も前から同じ段ボールのミカン箱。①は仏具関係、②は往生要集の掛け軸、③は携帯するための仏壇のワク、④は仏旗と内敷。⑤キャンドル用品、⑥は水泳用品、⑦追ハイとキャンプファイヤー用品、⑧ゲーム用品、⑨衛生用品となる。そこに、事務用品や、教案や絵本などなどが続く。準備は万全でも、帰路はグチャグチャになって帰ってくる。それを、荷造り点検表に照らし合わせていく。水泳で使ったビニールシートや大型ボートなどを洗い、薬品も調べる。不足しているもの、来年用意するものを書き出して、準備完了。労を惜しまず、丁寧にするくことで、来年の大会への布石となるのだ。これで、あとは、会計と、写真の送付と、法話テープとビデオの編集、それに感想文「はちす」の作成となった。これらは、9月ごろをメドにしている。

 仕事の合間に、ご示談の申込み電話。子供大会前も、間も、何度もお電話くださったようだ。かなり焦っておられる。さらに、子供大会参加の19歳の男の子も、話を聞きにわざわさ来館した。まったく世代が違う二人だが、どこかよく似ておられる。いくら気持ちだけ焦って、盛り上がってもダメだ。後生をとり詰めることはまったく別だとお伝えして、13日の京都支部法座をお勧めした。結果を求めて焦るだけなら、コースを走らないで、近道して参加賞のテントをめざしているようなもの。「ご聴聞」と言っても、ぼくたちのそれは、いつも自分が中心である。自分の気持ちが大事、気持ちの変化が大事。仏さまのご苦労やお働きなどは眼中にない。有り難くなるか、ハッキリするか、スッキリするか、楽になるのか。要は、いかに自分の心が変わるかの連続なのである。

 そんな我が身のありのままに気付き、同時に、そこにかけられた仏さまのご苦労をを聴かせてもらう。仏さまのご苦労といっても、遠いところにあるのではない。今回の子供大会でもそうだ。1回の法話のために、何時間もかけて考え、検討し、リハーサルをしていく。本番は、たった15分で終わる。ほくたちは、その結果のところでしか「善かった」「悪かった」と評価していない。子供大会は、ぼく一人を聞かすために、さまざまな工夫がされ、何日もかけて計画し、準備されていく。その目に見えないところに、仏さまのご苦労がある。そのとこを、このわが身をかけて、聴かせていただく大会なのだ。そう、仏さまの元手がかかっている。頭や理屈ではなく、そのほんの100兆分の1にも満たないが、「しんどい」と愚痴り、身体を休ませ、楽することしか考えない凡夫(ほんとうに、惜身惜命、愛妻愛子とはよくいわれたなー)が、惜しい惜しい、身体をほんの少しだけ使って聴かせてもらうのだ。

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仏の子供大会の小さな思い出

 今年も、無事、「華光仏の子供大会」が終わった。猛暑といっていい天候だったが、おかげさまでたいした病人も出なかった。3泊4日、いろいろなことがあった。

 午後7時。今津町の箱館山から帰宅した。夕食を食べながら、楽しかった出来事、不快だった出来事、子どもの成長、先生方の成長などなど、次々と家内に話していた。濃厚だった4日間の出来事を、喜々として話す姿は、子どものころも、先生になっても、変わっていない。この大会は、いまのぼくを育ててくれた、原点の集まりなのである。

 子供大会も、数を重ねて55回目。初期は、1年に「春の大会」と「夏の大会」、大人中心の大会と、こども中心と、年に2回大会が開かれていた年もあったので、年数は今年で47年目になる。初期は、米持参で、5泊6日。途中で、自宅に手紙を書く時間まであったようだ。

 ぼくの最初の記憶は、粟田の光明寺であった「大会」。そのころは、どんな集まりでも、冒頭は、全体で輪になって自己紹介があった。まだ幼かったぼくには、これが恥ずかしくて苦手だった。でもこの年は、幼稚園にも行き出して(なぜか年長から1年間だけの幼稚園生活は、馴染めずに泣いてばかりの弱虫だった)、ハリキッていたのだ。母の横に座って、自分の名前だけは自分で言うと宣言していた。ドキドキしながら、順番が回ってくるのを待っていた。たぶん、かなり終わりの方だったのだろう。もうプレッシャーで、小さな胸ははち切れそうになっていた。さあ、いよいよぼくの番。みんなの視線が集まった。次の記憶は、廊下で大泣きをしながら、母にズボンをゆるめてもらって深呼吸している姿である。そして、「ウゥン、ぼ、ぼ、ぼく、じ、じ、じこしょうかできる」と泣きじゃくっている。あとの記憶はまったくない。

 翌年から正式に班活動に参加した。小学校1年生。華光会館が会場で、M先生の奥さまになられたKさんが高校生で班長。班会議は、道場の隅っこだった。そして、道場でみんなと寝るのが、うれしくて、たまらなかったこと。小さな風船をめぐって、江原(日高)の男の子に、頭を思いっきりブタレたことを、なぜか鮮やかに覚えている。書きながら、ほかの記憶も蘇ってきたなー。なぜか、バスにのって、「大文字の送り火」を見に行った。ということは、その年は、8月16日に開かれていることになる。S子、K子ちゃん姉妹のお父さんに、西本願寺の庭や書院を案内してもらったのは、翌年のことだろうかなー。そんな年もあった。

 最初の自己紹介の時、「今年で何回目です」と、誰かがいい出した。それを聞きながら、ぼくは何回目なんだろうかと考えていたら、思わず昔話になった。

 39回連続、39回目の子供大会。プログラムは、あまり変わっていない。でも、毎年、同じことを繰り返しながら、なぜかマンネリにはならない。生きた人間相手だからなんだろ。顔ぶれがかわると、また一からはじまる。班員、副班長、そして中学になって班長を経験し、何人かが、高校生でお手伝いにまわり、大学生で先生を経験し、そして、法話や分級担当する先生になっていく。その長い成長のプロセスが醍醐味だ。気がつくと、ぼく自身も、そのプロセスと共に成長させてもらってきた。毎年、いただくものは違う。

 小さな思い出から、大きなものをいただいたものだ。

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故瀧雄さんからのご催促

子供大会とは別に、今日は、昨年10月に亡くなった谷本瀧雄氏の奥さまから、最後の手紙(というより、判明の難しいメモのコピー)が送られてきた。少し前に、今号の華光誌のぼくの誌上法話で、瀧雄さんのことに触れたことのお礼の電話をもらって、この手紙の話は聴いていた。しかし、現物を見て震えた。亡くなる4時間前。薄れる意識の中で書かれたものだ。文字が重なり読めないが、「先生にお世話になりました。〇〇〇〇不明さま」と、「〇世〇仮。唯佛〇」(たぶん、世間虚仮、唯佛是真」ではないか。)と綴られている。それに、ぼくの17年の報恩講での法話の感想(未完)がそえてあった。

  その文字にならない筆跡に、震えた。瀧雄さんのご法にかける執念を見る思いだ。最後まで次の世代のご法の相続を願い、在家なありながら、自宅を解放して、日曜学校をや花祭りに取り組み、子供大会の前後には、必ずお電話をくださっていた、ありし日のことを思い出した。手紙が、子供大会の前日に届いたのも単なる偶然ではない。生きて働いてくださっている。そういえば、その前々の夏に亡くなった辻忠良氏からの最後の手紙も、子供大会への励ましての手紙と、子供会へのご寄付だったことを思い出した。

改めて身が引き締まると共に、大きな力を得る思いだ。諸菩薩の守護を受けているのだ。

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いよいよ明日から

さあ、いよいよ明日から、「華光仏の子供大会」が始まる。夏らしい日が戻ってきた。暑い。でも、こうじゃないと、子供大会じゃない。あとは、子供の体調管理は心配。

今日は、余裕かまして、午前中は、伏見大手筋の自力整体の教室へ。ちょっと風邪気味で、のどがイガイガする程度で、あとはOK。ナーバスになる度数も、減ってきた。ついでに、子供用の不足分をの薬を買って、会場の土産も購入した。帰宅して、 ムラを連れて、反省会時お酒やせつまみを大量に購入。最終の荷物チャックをして、車に荷物を詰めた。初参加の保護者からは、荷物の細々した心配の電話。変更事項の確認をして、書類と教案の整理をすると、もうこの時間になる。あと残りは、会計の仕事と、福岡からの先生の到着を待つだけか。個人の荷物も一応完成した。もう一息。今年は余裕ありだな。さあ,頑張ろう。

しばらくブログもお休みです。

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いろんな親がいる

 小学1年生になった長女のKANが、出身の幼稚園のOB会のサマー・キャンブに出かけた。3月末生まれということもあって、かなり幼い。昨夜も、「kちゃん、明日から2回お泊まりするんだよ」というと、「ゲエー」とびっくりしていた。いまごろ気づいたの?。本人は、わかっているのか、いないのかわらかんが、とにかくぼくの大きなリックを背負い、いやリックに背負われて、とてもうれしそうに、元気に出かけていった。

  わが子を預けて、ぼくは、他人のお子さまのお世話である。子供大会が、2日間前に迫った。保護者から、連絡が2件あった。子供の状態を説明してくだり、「ご迷惑をかけますか」とのお電話。また、初めて参加させるお母さんには、3泊4日は不安な様子。うまく馴染めるか。元気にすごせるかと、お母さんのほうが、倒れんばかりの極度の不安感である。その気持ちにおつきあいをしながら、信頼しておまかせしてもらうようにお伝えした。3泊4日、いろんなことがおこる。仲良くなることでも、そう簡単なことではない。泣くこともある、ケンカすることもある。寂しい思いも、怖い思いもする。手に負えない子もいる。2日目夜には、ホームシックで、いろいろなところ(腹が痛い、鼻が痛い、意が痛い)が痛くて、泣く子がでる。とにかく、いろいろなことが起こるが、しっかり4日間、おつきあいさせていただく。最初は、不安でも、きっと「よかった」と、見違えるようにたくましくなって帰っていかれることだろうと、これまでの経験で確信している。それだけの準備と、経験と、自信があるのだ。いや、きっと最後には、「よかったな」といわせる、仏さまの念力がかかっているのだ。

  それで今日も、子供大会の準備だ。K子ちゃんに来てもらって、初日の役割を細かく伝える。ちょっとした配慮や連絡が出来るか出来ないかで、成否の分かれ目となる。ラジカセのデッキ。ラジオ体操用に大きなラジカセを持参している。ところが、できあがったはずの荷物のなかになかったので、その旨尋ねると、「会場で借りる予定」との返事。「ああ、それいいね」と思ったけれど、「会場で貸してもらう確認しているの?」と尋ねると、「大丈夫だろう」という憶測の仕事。念の為、会場に確認をとってもらうと、「ない」との返事。そうなんですよね。こんなことが、けっこういろいろある。「昨年の班わけ表、参照にしてね」と伝えると、「頭に入ってます」との頼もし返事。でも、確認しなくていいのかなと思っていると、名簿も名札も終わって解散したあとから、「実は、昨年と重なっているグループがあるんですが」との連絡。もう1度やり直し。念の為、荷物も、再点検した。詰めが甘かったり、抜けているものがちょこちょこある。薬箱の点検と、保険の契約、仏華などの作業もした。あとは、教案と、会計計算と、懇親会の買い出し、手土産などの買い物などは、明日の仕事。遠方から、2名が宿泊する予定だ。

 さて、わが子を送り出して、家内はホッと一安心。少し重荷がはずれて、(といっても、夜泣きする下がいるが)、お母さん方と遊びにでかけた。祇園で飲んできたと、上機嫌。一方で、こんな親もいる。子供のことで、まったく不安がっていない。少々、世間さまとはずれても気にするそぶりもなく、むしろそれを(^。^)に転嫁している。子供というより、自分に対して自信があるのだろうな。

 それにしても、いろいろな子、そして親に会えて、ほんとうに面白い。勉強させてもらえます。

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「破獄」

「破獄」というタイトルに引かれて、1冊の本を手にした。もう20年も前のことだから、まだ学生時代である。たったいま、ネットを開いたら作家の吉村昭氏の逝去のニュースが目にとまって、すぐこの本を思い出した。(7月31日に、79歳で逝去されたそうだ。)

 お盆には、破地獄の文といわれる偈文をあげるが(浄土真宗の伝統と違うのかもしれないけど)、これは、別に「地獄を破る」話ではない。破るのは、監獄。昭和11年青森刑務所脱獄。昭和17年秋田刑務所脱獄。昭和19年網走刑務所脱獄。昭和22年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曽有の4度の脱獄を実行した無期刑囚佐久間清太郎。その緻密な計画と大胆な行動力、超人的ともいえる手口。監獄に閉じ込められた男と、彼を閉じ込める男たちの壮絶な戦いを、戦中・戦後の混乱した時代背景に重ねて入念に追跡した、力作だった。厳重極まる警戒と(犯罪者に人権などない戦前のことですから)非人間的な扱いを受ければ受けるほど、不可能を可能にした男が、最後の府中刑務所では、その試みすらしない。そこには、ひとりの所長との出会いがあった。恐れでも、憎しみでもなく、厳罰でもない。大胆に、彼を温かく人間として扱うことだったのだ。
 昔のことだけれど、けっこう感銘受けたなー。

  別のこと書くつもりだったけど、こんな時もあるよね。

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